ポエジャンの続きⅡ(手を伸ばし追いかけた)

日付・いつか
僅かばかりのキーマカレーを高温で熱したら死ぬほど暴れ回って、ストラックアウトみたいに白ティーに飛んでエラいことなって、閉口しつつも(これからご飯食べるってのにね)皿にくんで、ラジオを左手で流し、小雨を見つつ、口に運ぶ うめー

日付・不明
体を固くし、仰向けに、脚を内股にして寝っ転がっている小さなゴキブリを、窓枠の隅に発見した時に 明らかに数日前まで息があって、(虫にも肺はあるのかな? 興味はないし、知識はないし、調べて虫の画像を拝むのも嫌だから、一生知らんまま)(おそらく虫好きの子どもなどにとってはこんなこと常識なのだろう。自分は、「自分にとっての常識は、他人にとっての非常識」をモットーとしているので、対話相手がどれだけ無知に見えても、それを心で揶揄したり見下したりすることはしまいと心がけている)←コピペに失敗してここまでで消えた 続きに何書いてたか覚えてないけど勘で続き書く↓
その呼吸で大気と繋がって生命として尊重された存在であったのに 今となってはこうして固くなって葉カスにまみれて放置されている その姿を見た時に意味もなくなるほどなと思った
生命の不平等さを 図らずも目に焼き付けてしまった私は、課題をする気も失せて好きな芸人のnoteを全部読んだ

日付・不明
進学校に通う弟が、大学受験を控える夏だと言うのにまったく勉強せずパソコンで何やら作っているらしいとの話を聞いた。いいぞ、その調子だ! と思った。こんな時代、大抵何してたって、なんとか生きては行ける。例えば安土桃山時代、狩野家に生まれたにも関わらず、絵の勉強を一切しないなどというのとは訳が違うのだ。生きていけるのだ。選択肢を増やすために勉強をしていたはずなのに、却って狭まっていては本末転倒もいい所なのだ、本来は。

日付・今日
残りの人生を死ぬまでの暇つぶしと捉えるか、マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝的に考えるか(自省録「思い起こせ 君はどれほど前からこれらのことを延期しているか」、「君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明を取り入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものにはならないであろう」「5万年生きるつもりなのか?(悠長に生きるな)💢」)でその人の生き方は大きく変わってくると想うけど、結局のところどちらか一辺倒は良くないなと思えるのが関の山というか、どちらも正解でどちらも間違ってる
己が所有する命なのだからそれを丁寧に扱って磨いて美しいまま過ごそうが、適当に扱って泥につけて荒廃させようがどちらがより優れているとかはないと思うけど

日付・わからない
(電車の中で書いたと思われる)
皆が真摯に規範を遵守すればする程その他の人々の存在が浮き彫りになり、やがて清廉潔白な者達は迷惑な人達を排除しようとするのだろう。同調ではなく受容をし、他者への理解を示した上で己はこう、という意志を示すことの出来る社会になればどれだけの問題が解決されるか、などと言えるような状況でもないけれども。
一定時間担保された上で、電車と新幹線どちらに乗るかと言われれば自分は前者を選ぶ。安価なのはもちろんだが、騒音・揺れ・固い椅子・他者の存在等々のどうしようもない妨害らに囲まれたシェルターであるからこそ、限られた時間の中、その不自由さの中に、ある程度の自由を見出すのが楽しかったりする。音楽鑑賞には向かないが、例えば読書や課題の作成には最適だ。シンと静かな自室では、改めて手をつけるのが面倒に思える事柄であっても、ここではこういう事しか出来ないな、と、言ってしまえば追い詰められる事によって、必然的にそれに手が伸び、そして環境も整っているので自然と作業が捗るという訳だ。人(生物?)には継続癖があるので、一度触ればそのまま終わりまでしてしまいたくなる。何かをやり始める時点で既に半分終わっているとはかくの如しである。
どうでもいいけど座席に海苔落ちてる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?