ぬきたし(抜きん出た姉としての器量もない私はこの世界でどうすれば)

「ピザパンのラス1、弟に残しといたってね。あの子1個しか食べてないから」朝食時ひとりで見たその母からの書き置きは、平等どころか、あまりに私に肩入れしたものであった。私は既に心の赴くまま3つほどピザパンを食していた。これは結果として、変わらないものであるから、仕方ない。謝罪することも無い。必要ない。

「良き姉」という虚像は私に程遠く、また憧憬の対象というわけでもなく、かと言って特別憎むべきものでもなかった。幼い頃から、所属としての姉を根拠にして何かを決断したり、行動したりすることは皆無に近かった。

幼少期から弟に決して優しくなかった。嫌いでもないが、多分好きでもなかった。これでもし両親のうち片方に一度でも姉なんだから〜などと言われ我慢を強いられていた日には、速攻で何らかのハラスメントを加えていた可能性もある。ぼやかしておくけども。
親らや友達らへの力の誇示の道具として弟を見ていたことも、あった気がする。最低だ。わずかに3つ歳上と言うだけなのに何がそんなに偉いのか。

両親はまるで私の、自分の手ではどうしようもない所属への反骨心とか憎悪を初めから理解していたかのように、私を誰かの姉と見ることは一度もしなかった。
我が家とは真逆の教育方針の従姉妹の家庭を嫌い、そして、長女を哀れんでいた。長女は私より少し年下。下に妹弟。その子らの母親はとにかく長女に我慢を強いた。妹弟の失態は全て長女のせいになり、代わりに叱責された。我が家の教育の価値観しか知らず生きていた私はただ呆れた。世の中が良くなるにはもう少し時間がかかると思った。

万学の祖と形容される古代ギリシャの哲学者・教育者のアリストテレスは、師のプラトンによるイデア論をやんわりと退け事物の本質を個別に内在する形相(エイドス)、物理的な広がり、存在を質料(ヒュレー)とした。
かつてひとりっ子であった私の中に内在していた姉としての形相は、…いやそもそもいつから私の中に可能態としての姉の形相が芽生えたのだろう。なぜ弟はこの世に生まれたのだろう。大元のきっかけは? 物理的な行為の話は今はしていない。ただ私は知りたい。なぜ私は誰かの姉になったのか。可能性としての姉の形相が現実態へと変わり、弟という質料が生まれ落ちた時、私はそれに納得していたのかどうか。ふにふにとしてやたらと丸い、別段望んでもいない姉という所属の根拠が、果たして憎くなかったのか。
人間の可能態としての形相は常に変化し、固定されたものはひとつもない。無限にあるということは即ちひとつもないということであり、確定された未来も意味も目的もないままフラフラと座標軸の中を行ったり来たりするだけの存在であるということだ。考えれば考えるほど、なぜ生きているのか分からなくなってくる。死んでないから生きている。最大の生物あるあるとしての死を迎えるまで時間を消費するだけの存在なんて…。

これからも私は許される限り「姉」に背を向けて生きる。ここ数年、弟に嫌悪感を抱いたことはあまり無い。私は勉強と絵が得意だったが、弟はそれに輪をかけて両方得意だった。取った偏差値と、受け取った賞状の数の差を見ればそれは明らかである。やめてくれよと思ったことは、まあ忘れているだけかもしれないけども、ない。本当はあるけど、ここに書くにはまだ傷が癒えきっていないだけの可能性も、ある。姉弟は続くよどこまでも。体育がふたりとも苦手だったことは救いか。

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