ポエジャン

歳の頃は18ぐらいの時分、医者により近視との判断が下され、私は近視とは近くが見えぬの意かと間髪入れず尋ねた。医者は慣れた様子で否、遠くが見えないという事じゃと返した。診断が終わり、医者と私の対峙する空間に母が入ってきた。医者は母に、私の近視のことを告げた。母は近視とは近くが見えぬの意かと間髪入れず尋ねた。医者は慣れた様子で否、遠くが見えないという事じゃと返した。

去り際にありがとうございますじゃと告げると医者はまたいつでも来るが良いと言った。柔和な町医者である。


近くのものばかりジッと見るために、筋肉が適応し、特化した結果、近場のものに対する焦点の定め方ばかり上手くなって、遥か遠くにあるものがぼやけて映るようになる。これ即ち近視である。別名進化の空回り。虹彩でさえ空回りする程努力しているというのに人類は。

虚しさを覚えると同時に私は、餓鬼の頃母親がよく言った、近くのものばかり見てないで遠くのものも見な、目悪くなるで、は、本当だったのだと、密かに感心もした。大体子供への教育というものは、幼い頃はある程度「うまいこと都合のいいように操る」方に特化して、内容的には適当こいていても許されるべきものであるとは思うのだが(聡明なまま子育てをすることは、多分不可能で、そうしたいならシェルターに詰めて育てるしかない)、これはその適当こきには含まれないということだ。


それを思い出しつつノスタルジアに包まれつつ、私は少し意識して、外界に雄大に広がる山々を見た。それらの細かな輪郭の作画の繊細な移り変わりを眺めた。所々にまだ春の面影のある深緑を目の当たりにした。

暫くして私は、自身がコンタクトレンズを付けていることに気がついた。存在してくれてありがとうでお馴染みのコンタクトレンズだが、この場合どうなんだろう。調教され倒した虹彩をなんとか正気に戻すために装着するこの透明な文明の利器は、私のこのちょっとした… 「目を元から治しましょう」運動の邪魔をするものではないだろうか。いつまでも補助輪つけて自転車練習してる的な。

やたらと退廃的な気持ちになってしまった。かといってブルーライトを浴びるのも気が引けて、私はどこにも行けなくなった。


電車で田舎道を進んでいく際には、望まなくとも視界に荘厳な雰囲気の山々が常に入り込みそして横スライドでス、と消えていく。たまにしつこく枠内に残るものもあるがそれは私が手動でス、と消す。

ふと見上げた山頂に、やたら隙間のある、銀色で、それでいて背が高く機能性もそこそこありそうな(コードいっぱいついてる)、東京の電信棒みたいな概念が立っていた。そこから、私が乗る3号車はどれほど鮮明に見えるのだろうと思った。

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