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真顔で読まないで

今年から毎週日曜日にnoteを更新することを恒例としよう。こう取り決めた先週は、一文字も文章を書くことなくじわじわと過ぎていった。他にもいろいろと習慣を決めていて実施し始めている期間でもあったから、という言い訳は十分成り立つと思う。私は私の飽きやすさや自堕落さ、ひいてはアナーキーな一面をしっかり認め、そして肯定している。今更決め事を守れなかったからといって何だというのだ。
とは言いつつも、やはり、習慣づけようと決めたことは、続かないよりは続いた方が望ましいとは思う。どちらかと言うと。だからこうして今週の出来事や考え事、読んだ本の感想でもまとめようかと、日曜の夕方にPCと向き合っている。何か私の書く気力を触発してくれるような、使い勝手のいい、それでいてシンプルなテキストアプリでもないかと探してみたが、結局Wordに行き着いてしまうのでものの数分でブラウザは閉じた。いい加減遠回りはやめようと思う…。
「さよならを教えて」のサウンドトラックを聴きながら、ゆっくり書いていきます。頑張るぞ。

「イニシアチブ」の意味がいつまでたっても覚えられない

これはガチ。
私は、誰にも見せるつもりのない、というか見せられない、極めて個人的なミニノートを常に持ち、ほぼ毎日何かしら書いている。所謂なんでもノートで、その日のタスク、初めて聞いた言葉とその意味、思ったこと、一言日記、話のネタになりそうな事柄、おえかき、お菓子のパッケージの切り抜きの添付… 最新のやつをペラッとめくっただけでも、なかなかに内容はカオスである。そしてなんでもかんでも貼り付けるから、分厚い。
ノートの主要項目の一つ「初めて聞いた言葉とその意味」では、そのままではあるが、聞いて難しく感じたり、忘れたくないと思った単語を書いて、その下に自分で調べた意味を書くことで、できるだけ頭に残りやすくなるようにしている。その書き留めた単語の中に「イニシアチブ」も含まれる。
悩みがある。「イニシアチブ」の意味が覚えられない。これを、意味がわからない言葉、として直近でノートに書いたのは18日の月曜日なのだが、もちろんこれまで生きてきて「イニシアチブ」を聞いたのはこの日が初めてではない。今まで何回も聞いて何回も意味を調べたはずなのに、頭に入っていないのだ。大変遺憾である。
同じ現象を引き起こす単語として「プライオリティ」があげられる。ちなみに、18日のノートの同じページに「イニシアチブ」と「プライオリティ」は仲良く並んでおり、その横に丸いシールが貼ってある。子憎たらしくもあり、何だか可愛らしくもある。次にお前らをノートに「意味知らん単語」として登場させる日はないと思えよ、と念じながら、そのページを目に焼き付けておくこととする。

パンツぱんくろうの恐怖

2000年代初期生まれの人なら多くの人が見覚えのあるEテレアニメ、みたいなタイトルの動画を見ていると、その中に「パンツぱんくろう」があった。
はなかっぱのカラバッチョの亜種みたいな見た目(色は黒)のぱんくろうが主人公。年の頃はおそらく5歳程度。超ショートアニメで、そいつが朝、顔の付いた洋式トイレに話しかけるところから話は始まる。ドアの前で、「ぱんくろうです」とぱんくろうが言うと、トイレくんは、「おはいりなさい」となかなかにいい声で言う。トイレくんと相対したぱんくろうは初手「うんちです!」と自己宣告。そしてトイレくんにまたがってうんちする。めっちゃキバる。そしてすっきりした顔でトイレから降り、パンツをはき、唐突にトイレくんとふたりで「今日も朝から立派なうんち~♪」と歌いだす。その歌というのもパッパラピーと愉快なものではなくて、結構フラットな感じの曲(に、私は感じた)。展開の唐突さとか、主張がガチガチに固まっている感じに、ところどころ入るダラララララン… みたいな独特の重厚感のあるSEや、ひと昔前のテレビ特有の雰囲気、温度感、画質の悪さなども手伝って、低レベルなプロパガンダを見せられているような錯覚を覚え、ひとりで見ていて若干の気味の悪さを覚えた。
色々分析はしてみたが、つまるところ、人は、何か特定の主張を聞くときに「歌」というツールを唐突に使われると不安感を抱く、ということでいいだろう。そしてそこに至るまでの展開が急であれば急であるほどプロパガンダみを醸し出すことができる。無害思想プロパガンダ作成選手権を開催したときに大いに役立ちそうな知識である。

透明感のある水

弟と哲学的ゾンビの話をしていた時、私がクオリアについて話そうと、目の前のペットボトル入りの水を指さして「じゃあこの水の透明感とかも…」と切り出したら、弟が唐突に笑い出した。理由を聞くと、「実際に透明であるものに対して、透明感、という表現を使うのはおかしいと思うから」という。弟は、私のこの「透明なものに透明感を見出す」感性がツボにはまったのかここ半年で一番笑っていた。最初はなぜ笑うんだい? のスタンスでいた私も、弟の笑いが30秒くらい持続した時点でどうでもよくなって一緒に笑っていた。
どうでもいいけど弟、マックスで笑ってるときの声が時々音声バグみたいになるから、笑うたびに指摘してやっている。

「京大芸人式身の丈にあった勉強法」を読んで(先週)


学校の勉強はストレッチ、という考え方はわかりやすく、また伝えやすい文言だなと思った。教職課程をとっている人間として、「学校の勉強はなぜしなくてはいけないのか?」という問いからは目を背けることが出来ない。逃げることが出来ない上に、やたらと身近にあって、それでいてなんとも答えに窮するこの問いかけ。
仮にこの悪魔の問いを投げかけられたとして、あたふたして答えに詰まってしまうようでは、もう、その子供に一生涯なめられていくこととなるだろう。私はもしこう問いかけられたとしたら、そもそも「勉強しなければいけない」という前提を捨てろと言うかもしれない。答えにくい問いが目の前に現れた時、そもそも論に立ち返るのはとても有効な手段だ。勉強というのは基本的に手段であるから、その手段をこれから先絶対に必要としないという自信があるのならやらなくていいと思っている。しかし、最大の人生あるあるとして、「何があるかわからない」というものがある。ありふれた言い方になってしまうが、選択肢を広げたいなら、勉強しておくことがおすすめだ。
これから先、どのような業種に興味がわいて、どのような学問を学ぶ必要に迫られるかわからない。どのような運動においても必ずストレッチが必要なのと同様に、義務教育は必要とされているのだろう。

「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」を読んで(先週)


部分的に参考になるところはあったが、全文を通して評するなら… あんまり。SNS弱者と言ったらいいのか、表現が難しいが、とにかく過敏というか、SNS向いてない人向けの一冊、といった感じだった。SNSで他人に見られながら何かを発信したり、投稿を見たりなどを健康的な精神でもって続けていくためには、ある程度の鈍感さや豪胆さといったものが必要だと改めて痛感はできた。あとはメタ的視点さえ盛り込めば完璧(一瞬鼻につくような投稿があっても、分析さえできてしまえばなんということはない)。
SNSで目に見える幸せは、映画のハイライトだけ見ているようなもの、という言葉は、SNSなどを通して嫉妬心や劣等感を抱きやすい方々には、ちょうどよい処方箋になり得るのではないかな。これはSNSだけでなく、世の中のありとあらゆる報道、ひいては「ことがら」に言えるかなとも思う。特にネットなんてつぎはぎのエエトコ見せの世界でしかないのだから、何事も真に受けすぎない事が肝心だ。他人を羨ましがっていても仕方ない。何もいいことない。

「メモの魔力」を読んで


メモを目的とせずに知的生産に役立てるための外付けハードディスクとして用いる、とこの一言だけで前田氏のメモ観が手に取るようにわかるのが、表現者としても卓越しているなと思った。
作中何度も出てくるファクト→抽象化→応用の流れは読破する頃にはとっくに頭に入っていて、なんなら読みながら私もメモをとって抽象化作業を進めていたくらい。詳しく言うと、何か「書きたい」と思えるような、面白い、具体的な事例を見つける→それに対しなぜ? やどうやって? と疑問を投げかけることで要素を抽象化する→抽象化した「面白い」の原液を、自分が目標にしている事柄や、創り出したいものに応用していく、というもの。我々は人間として人間世界に生きているので、そんな中で見つけだした具体例を抽象化して出来上がった仮説は、対人間に効果的な場面が非常に多い。使い方次第で色々と変えられそう。
PCの台頭に伴い、記憶や処理能力といった部門で人は圧倒的に勝てなくなってきた。そして(今のところ)人間に固有の思考力、要約力、創造力を高めることにしか、いよいよ価値が見いだせなくなってきている。日々メモをとるという習慣は、これらのほぼすべてを同時に養うことが出来る行為であるという。試しにやってみる価値はあるのではないか。

「キカタン日記 無名の大部屋女優からAV女王に駆け上った内気な女の子のリアルストーリー」を読んで


読みやすくて一気に読んだ。漠然と面白いな、という感想でさわやかに読了したのだが、この感情の源はやはり、「AV女優」という遠い存在の在り方について、赤裸々に知ることが出来たという、知的欲求が満たされたがゆえの後味であったのであろう。キカタンという謎ワードも、この本を開かなければ一生知ることはなかっただろうし。
上原亜衣という絶対的ナンバーワン・超人気女優が、並大抵でない努力や忍耐の上でいかにしてここまでの栄光を掴んだかという、努力の過程が描かれているのも良かった。

長い! 最後まで読んでくれた方もしいたら、ありがとう。次からはもっと短くします。ごめんね。(4015文字)

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