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『一線の湖』をもってその画は完成する 〜『線は、僕を描く』続編を読んで〜
こんにちは。
今週の衝撃は『一線の湖』を読んだこと。
この作品は第59回メフィスト賞受賞作で2022年には映画化され話題となった水墨画を描く青年の物語『線は、僕を描く』の続編にあたります。
そこあったのは、単なる“その後”ではなく“そこからさらに広がった先に見えた壮大な景色”でした。
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続編であって下巻である
『一線の湖』は、前作『線は、僕を描く』から2年後のお話です。
あの続きが読みたいとワクワクして本を手にした私が、夢中でページをめくりラストにたどり着いたころに感じたのは『これって下巻!?』でした。
まるで上下巻でこの世に出されている作品かのような続編に、単なる続きだと予想していた私の頭の中が追いつきません。これは『ちょっとみんな読まなきゃ!』と前作既読勢に向かって、急いでメガホンを片手に大声でお知らせしなくてはならない案件だと強く思い、ここへやってきました。
前作をしっかりと包み込みながら、その先に見えた景色がこんなにも素晴らしいだなんて。そう気づくと無意識に拍手していました。
時系列はたしかに2年後というベクトルでまっすぐに進んではいます。だがしかし、一個人の感想で語彙力もなく申し訳ないけれど、“この下巻をもってこの物語という名画は完成する”と確信したのです。その感動は柔らかな和紙に置いた墨が滲んで広がるように心に染み渡りました。
余白の魔術師
先日図書館で拝読した水墨画の本にはこう記載されていました。
水墨画では描かれていない画面の空白の部分を余白という。余白は西洋画のバックとは違って、理想的意思暗示の絵画上大変重要な意義を持つところである。
画面における余白は無限にして魂の宿るところであり、墨の黒と神の白さの相剋する旋律、描かれた対象の黒を実とすれば、描かれていない紙の白い余白の部分は虚となるけれど、この実と虚が互いに響き合い美しいバランスをとると画面が充実し緊張して生命のみちた気概や情趣が充実し凝集して、秀れた水墨画としての芸術的価値を発揮する。
このように物理的計算ではない直感的空間である水墨画にとって大切な“余白”を小説でも表現されていることについて、今回続編を読みながら再発見しました。必要のない部分をきっと自然に取り除かれたその文章の美しさを。
作者である硯上裕將さんは水墨画家でもあります。作者が描いたこの作品における“余白”は 読者の想像を大きく広げ、主人公である青山くんの心の機微を浮き上がらせる魔法のような存在でした。
水墨画は心象性の強い絵画だと聞きます。移りゆく心をも文章で写した『一線の湖』は作者しにか書くことができない世界です。そこにあったのは『線は、僕を描く』からさらに広がった先に見えた壮大な心の景色でした。
この作品は、前作を読んだ方はもちろん読んでいない方でも楽しめると思います。2作をあわせて読むと、まるで上下巻があるような素晴らしい物語になるオススメの作品です。
あなたの心に残る一冊となりますように。
お読みいただきありがとうございました。
桜
↓ 前作『線は、僕を描く』の紹介動画:
※出典:日貿易出版社 山田玉雲著 『水墨画の基礎技法』1998.10
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