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百 文 字 日 記

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愛しい日々の欠片。
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百文字日記 ( 五月六日 )

百文字日記 ( 五月六日 )

本日、noteに登録してから5年記念日だそうです
。葛藤や決意を何かに残したくて何気なく始めたnoteですが、サポート、購読してくださる皆さまのおかげで5年も続けられています。いつも本当にありがとうございます。

一投稿目の懐かしい記事📖✍🏻…

百文字日記 ( 五月一日 )

百文字日記 ( 五月一日 )

無神経な言葉に傷付くとき、自分もそうして誰かを傷付けてきたんだろうと深く反省する。そういう時期は誰にでもあって、気付くタイミングもそれぞれ。昔の自分からの傷みだと思って受け入れる。変わる苦しみを放棄しなければ、すこし優しくなることはできる。

百文字日記 ( 四月二十九日 )

百文字日記 ( 四月二十九日 )

雨の日は珈琲が美味しい。湿気に覆われたような日は何を考えてもだめなことが多く、温かい飲み物には救われる。ここから夏にかけての気候が毎年恐ろしい。アトリエの業務用除湿機が、私の心の拠り所。今すぐ真冬に帰りたい。

百文字日記 ( 四月二十七日 )

百文字日記 ( 四月二十七日 )

感情は、訪れる。仕方ないのだ。浮かれても、沈んでも、過ぎるまで、過ごすしかないと思っている。蓋をすることはしたくない。良いも、悪いも、共に時間を過ごす。正しく、少しずつ、自分の中で燃え尽きていくまで見守っている。

百文字日記 ( 四月二十五日 )

百文字日記 ( 四月二十五日 )

慣れない画材に楽しみながら、苦戦中。画材が変わると、リズムが変わる。やっと少しだけ自分らしさのようなものが出てきて、うれしい日です。今日この作品を眺めながら、小説のような絵が描けたらいいなあ、と思いました。

百文字日記 ( 四月二十四日 )

百文字日記 ( 四月二十四日 )

どんなに口が達者でも、逆に口下手だったとしても、根底にある「その人のことをどう見ているか」は節目ごとに表面化するものらしい。大切にしているものを尊重し合える関係は、たとえその大半を理解できなくても、丁度いい温度で続いていく。

受け入れる愛情を持てない関係は、当たり前みたいに破綻していく。

百文字日記 ( 四月十九日 )

百文字日記 ( 四月十九日 )

穏やかな雰囲気の影に、ざわざわと渦巻く何かを感じるのが春。良いものも悪いものも、解放されて彷徨っている。直感で、毒素を外に出さなければと感じて岩盤浴や塩風呂で汗を流して整えると、嫌なものを受け入れない強さが戻ってきた。

百文字日記 ( 四月十六日 )

百文字日記 ( 四月十六日 )

言えないと思っていた言葉が言えた夜、爽やかな星空が脳内に現れた。朝、眠りから覚めると、うれしい連絡が来ていた。数ヶ月前、空中に放った願いを思い出す。何かの詰まりが取れたから、ようやく届いたのだと思った。

百文字日記 ( 四月十五日 )

百文字日記 ( 四月十五日 )

思い立ったが吉日。外からも内側からも新しい風が吹いている。何かを始めるタイミングなんて、本当はいつだってとっくに訪れていて、あとは一瞬だけ訪れる矛盾のない瞬間を逃さないことだけなんだ。行動を起こすことを恐れないで。

百文字日記 ( 四月十一日 )

百文字日記 ( 四月十一日 )

私は天からのメッセージを絵に出来るような神聖な画家ではないかもしれない。けれど、人間らしく、毎日個人的なことに埋もれながら、喜んだり悲しんだりして、自分の人生に沿って正直に作品を創っていきたいと思うのです。多くの人と同じ目線で。

百文字日記 ( 四月九日 )

百文字日記 ( 四月九日 )

四方を塞がれたように行き詰まるとき。大抵いつも、天井を見上げて気づく。上にも道があるということ。敢えて突拍子もない寄り道をしながら、訪れる変化を観察していた。全く関係のないような所に、最大のヒントが眠っているなんてよくあることだから。

百文字日記 ( 四月五日 )

百文字日記 ( 四月五日 )

頑張らなきゃ、と思うときほど心をふわっとさせてみる。日々の小さな部分から愛してみると脳がしんとして、段々と見える範囲が広がっていく。個人的なことに素直な心で向き合うほど、多くと繋がることが出来るような気がした。

百文字日記 ( 四月四日 )

百文字日記 ( 四月四日 )

時速7.5km、それか8kmくらいで走ると、身体が段々一定の動きに定まってきて、走っている感覚がなくなる。呼吸や血流が自分と一致して、止まらず循環する。それが心地いい。私にとって走ることは瞑想なのだ。

百文字日記 ( 四月三日 )

百文字日記 ( 四月三日 )

蓄積された思考をそっと取り除いてくれる雨の音。書道では余白を書くように、足すことが探求の全てではなく、在るということが選択の全てではない。黒を選ぶ日々は終わりにしよう。光を描きたいのなら、最後にはいつだって白色を選ぶことだ。