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百 文 字 日 記

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愛しい日々の欠片。
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百文字日記 ( 九月二十五日 )

百文字日記 ( 九月二十五日 )

何かを取り戻した日。 欠けたものを埋めるため、ピタッとハマるものをいつも探していて、それは結局何処にも落ちていなくて、だから自分で作るしかないんだと知った。そうやって、形を変えながらいつも作ってきたんだ。

百文字日記 ( 九月二十四日 )

百文字日記 ( 九月二十四日 )

夏は眩しすぎて見上げられなかった青空を久しぶりに見た。美しいことは沢山あるのに落ち込んだままの気持ちを持ち直せない。底辺で転がる闇雲な時間が私に知らせるのは、絵の具を手に取って前へススメということ、ただそれだけだった。

百文字日記 ( 八月三日 )

百文字日記 ( 八月三日 )

夢は不思議。単に記憶の整理、とは思えない夢を見ることがある。久しぶりの悪夢だった。これは、はじまりの合図だ。悪いものに怯まずに強く居られるか、夢の中で跳ね返せるかどうかが、どれだけ丸腰で挑むことが出来ているか知る為の指標だから。

百文字日記 ( 七月十七日 )

百文字日記 ( 七月十七日 )

久しぶりに会う人、久しぶりに訪れる土地。あの時の自分が落っこちたままの場所と再会するとき、この数年、自分がしてきたことの結果を知る。ほんとうに強くなってきたのなら、景色は見違えるほど美しく、苦しい記憶と対峙することはないのだ。

百文字日記 ( 六月十二日 )

百文字日記 ( 六月十二日 )

とあるコンペに自分なりの力作を提出したけれど、完全なる選外でした。そのことをきっかけに考えたのは、作家と観る人の距離感や、伝わるもののギャップについてのこと。週末のnoteに書こう。転んでもただでは起きぬぞ。

百文字日記 ( 五月二十八日 )

百文字日記 ( 五月二十八日 )

もの凄い雨が通り過ぎていった。何も起こらない日々などない。比較的穏やかな生活にも、雷に打たれ雨風にさらされるような困難は訪れる。そういうときにいつも絵を描いてきた私にとっては、これが唯一絶望を光に変えられる方法なのだと思う。

百文字日記 ( 五月二十四日 )

百文字日記 ( 五月二十四日 )

どれだけの覚悟でやっているか?忘れてはいけない。ダメな日もある、停滞するように感じる時もある。誰かのせいにしていないか?一歩踏み出すかどうかは自分が決めること。自分を救うことができるのは、自分だけだから。

百文字日記 ( 五月二十三日 )

百文字日記 ( 五月二十三日 )

久しぶりに絵の具に触れ、心が満たされていった。幼い頃の自分の絵を描いている間ずっと、德永英明さんの壊れかけのRadioが脳内でリピート再生されていた。

「 思春期に少年から 大人に変わる
道を探していた 汚れもないままに 」

何も知らなかった頃の私。

百文字日記 ( 五月二十二日 )

百文字日記 ( 五月二十二日 )

参拝している夢を見てからなんとなく気がかりだったので、お参りへ。鳥居をくぐると背筋が伸びる。清々しい気持ちのまま、アトリエの掃除。ここ数日デジタルの作業をしている時間が長く、アトリエの居心地が悪くなってきた気がする。絵の具に触れなくちゃ。

百文字日記 ( 五月十九日 )

百文字日記 ( 五月十九日 )

晴れ間が過ぎて雨が降り、木漏れ日は街灯に変わった。弱さを引きずって夜の道を歩く。鏡の中の瞳に向かって「そんなに弱くないでしょう」と問いかける。いつだって自分の瞳を信じてここまで来たんだから。この眼を裏切ることはできないはずだ。

百文字日記 ( 五月十七日 )

百文字日記 ( 五月十七日 )

光も風も味方するような吹き硝子展へお邪魔して、作品と空間の使い方に痺れたあと、美味しいものを食べた。ゆっくりとダークゾーンに落ちかけていたところ、グイッと引っ張り上げていただいたようなお天気のいい日でした。感謝。

百文字日記 ( 五月十五日 )

百文字日記 ( 五月十五日 )

知らない道を歩くのは楽しい。喫茶店を通り過ぎて、川へ向かってみる。知らない生活の音や香り。見慣れないナンバープレート、どこにでもあるチェーン店。目的を持たないことって、人生の最大の贅沢みたい。たった数分の散策が、特別で格別に感じた。

百文字日記 ( 五月十日 )

百文字日記 ( 五月十日 )

「少しずつやっていたら、必ず到達するから。挑戦することを、諦めるな」という言葉は、私の御守り。手応えなく感じる日は落ち込む。けれど確実に1ミリでも進んでいることを思い出して自分に丸をあげる。辞めなければ、いつか辿り着くと信じている。

百文字日記 ( 五月九日 )

百文字日記 ( 五月九日 )

五月の愛媛は、美しい。一気に視界が緑色になってゆく。連休が過ぎて人の減った道、刈られた草の青臭さに包まれて歩く。日差しは強くなってきたけど風はまだひんやりとしていて、木漏れ日に見惚れる。すれ違う人も皆、柔らかく鮮やかな空気を纏っていた。