仙波さくら
画家の生活のこと。 応援してくださる皆さまへ向けて書いています。 * 毎月4本のブログを更新 * ( 制作によって変動することがあります。) 2022年からの記事は、全て遡って読むことが出来ます。
愛しい日々の欠片。
詩と水彩の作品を載せていきます。
新しい絵を描きました。 真実は、どんなに厳しくても美しいもの。 見たくないもの、受け入れたくないものもあるだろう。 だけどその先には必ず、息を呑むような絶景が待っている。 *** 人生で一番大きな絵を描きました。 ただ大きいだけかと思って描き始めたけれど、この制作は想像より遥かに厳しいものでした。 「お前にやれるのか」 ずっとそんな声が聞こえ続けるような時間。 今、全てを捨てて 自分にできる最大の絵を描くと決めました。 何度も脚立を上り、描き、下り、運び、離れた
何かを取り戻した日。 欠けたものを埋めるため、ピタッとハマるものをいつも探していて、それは結局何処にも落ちていなくて、だから自分で作るしかないんだと知った。そうやって、形を変えながらいつも作ってきたんだ。
夏は眩しすぎて見上げられなかった青空を久しぶりに見た。美しいことは沢山あるのに落ち込んだままの気持ちを持ち直せない。底辺で転がる闇雲な時間が私に知らせるのは、絵の具を手に取って前へススメということ、ただそれだけだった。
こんにちは、仙波さくらです。
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台風が過ぎて、久しぶりの太陽がうれしい日。 アトリエの掃除をして、セージを焚いて、空気を思いっきり入れ替える。 すっきりとした空気に、身体も軽くなる。 今日も、自分にできることをやる。 今日も、本当のことだけをしたいと思う。 当たり前みたいに存在している水や光のように、 真実はいつも私達を覆っている。 だから、生活は美しい。だから、世界に嘘はつけない。 お腹の底から笑ったり、怒ったり、納得したいなら 雨が降ることや、風が吹くことのように 自分を覆う本当のことを、受け入
迷うということは、自我。自分に期待しているのだ。自分が選べると思っている。傲慢だ。自分には何の能力もないと自覚してはじめて、道が見える。それはこだわりを捨てるということ。100%で拘り抜く決心ができないんだったら、0になるしかない。中途半端なことは、誰にも伝わらないから。 こだわりを捨てることは、プライドを捨てること。 絵を描いていて思うのは、自分の考えなど一切捨てて、ただ間違いないと思うものを描けるなら、そこに迷いなどないということ。本当に筒のように空っぽになれるのなら
預金残高は減っていくばかりでも、チャレンジの時間はやってくる。怖くても飛び込むしかない。何も惜しまずに自分の希望へ注ぎ込む。そのために生きてきたのだから。いつまでも、例えば、たったの百円しか無くなったとしても、それを握りしめて絵の具を買うような生き方をしたい。そうすれば必ず生き延びられると私は知っている。 大きな絵を描くと決めてからいろんなことを考えた。
夢は不思議。単に記憶の整理、とは思えない夢を見ることがある。久しぶりの悪夢だった。これは、はじまりの合図だ。悪いものに怯まずに強く居られるか、夢の中で跳ね返せるかどうかが、どれだけ丸腰で挑むことが出来ているか知る為の指標だから。
8月から、これまで「仙波サクラ」だった活動名を、平仮名の「仙波さくら」に変えました。 これは私の本名と同じです。 ほんの些細な変化のようだけど、自分の中ではひとつの節目です。 自分という人間がとても弱いことを知っているから、画家であるときだけでも強くありたいと思っていました。本名で戦うことはとても恐ろしいことのように思えたし、見下されるんじゃないかと思っていた。舐められたくなかった。本当の自分で苦しんできたことの記憶を封印し、自分を守る為に少しだけ名前を変えた。それは私に
なんだか人生って感じがしています。 今年が始まってからずっと、うまく掴めないような時間を過ごしているようで、去年のようにがっちり掴んで踏みしめてやってきた時間とのギャップがあまりにも大きくて。不思議な感覚でした。 もっと燃えるような戦い方がしたいのに、起こる出来事は小さくて地味なことの積み重ね。だけど、避けては通れないような整理整頓や今までの自分では選べなかった選択に繋がっていることばかり。 これまでのランダムな爆発とは違う、地道な筋トレのような毎日。 新しい感覚には戸惑
久しぶりに会う人、久しぶりに訪れる土地。あの時の自分が落っこちたままの場所と再会するとき、この数年、自分がしてきたことの結果を知る。ほんとうに強くなってきたのなら、景色は見違えるほど美しく、苦しい記憶と対峙することはないのだ。
本格的に暑くなってきましたね。皆さまくれぐれも熱中症などお気をつけください。気を付けていても、日常の動きだけでクラっとくるような灼熱です。 こんな中、いつも通りの動きができるわけもなく、普段の3割もこなせたら十分なんじゃないかと思う。すごく元気な人でさえ参ってしまう酷暑です。みんな、涼しいところに居てほしい。無理せずに乗り切りましょう🎐 少し遅くなりましたが、7月もどうぞよろしくお願いします🌻
私の作ったもので、誰かのテンションがちょっとだけ上がるとか、心がほわっとほぐれるとか、一瞬のときめきで気分が上向きになるとか、そういうことが起こることは、私の幸福そのものだと何度も再確認している。噛み締める。私もそうして誰かの絵に救われてきた。私を救ってくれた絵の意味なんてわからなくても、私は救われてきた。絵はそういうものなんだと思い出す。わかり合うのではなく繋がるための媒体なんだと思う。誰の中にもそれぞれの正解が存在している中で、同じ絵の前に立ち、これいいねと言い合えること
猛烈反省大会。とにかく走り書きしてみます。ブログからしばらく離れてしまって、百文字日記もマガジンも放置してしまった。言葉にする余裕のない日々だった。情けない。強制的に正しい方へ向かえるよう、多少の痛みを伴ってでも私の抱えている間違いを徹底的に教えていただいているような日々です。自分は未熟すぎると痛感しています。 ここでまた、一つの原点回帰をすることになる。
とあるコンペに自分なりの力作を提出したけれど、完全なる選外でした。そのことをきっかけに考えたのは、作家と観る人の距離感や、伝わるもののギャップについてのこと。週末のnoteに書こう。転んでもただでは起きぬぞ。