仙波さくら
画家の生活のこと。 応援してくださる皆さまへ向けて書いています。 * 毎月4本のブログを更新 * ( 制作によって変動することがあります。) 2022年からの記事は、全て遡って読むことが出来ます。
愛しい日々の欠片。
詩と水彩の作品を載せていきます。
預金残高は減っていくばかりでも、チャレンジの時間はやってくる。怖くても飛び込むしかない。何も惜しまずに自分の希望へ注ぎ込む。そのために生きてきたのだから。いつまでも、例えば、たったの百円しか無くなったとしても、それを握りしめて絵の具を買うような生き方をしたい。そうすれば必ず生き延びられると私は知っている。 大きな絵を描くと決めてからいろんなことを考えた。
夢は不思議。単に記憶の整理、とは思えない夢を見ることがある。久しぶりの悪夢だった。これは、はじまりの合図だ。悪いものに怯まずに強く居られるか、夢の中で跳ね返せるかどうかが、どれだけ丸腰で挑むことが出来ているか知る為の指標だから。
8月から、これまで「仙波サクラ」だった活動名を、平仮名の「仙波さくら」に変えました。 これは私の本名と同じです。 ほんの些細な変化のようだけど、自分の中ではひとつの節目です。 自分という人間がとても弱いことを知っているから、画家であるときだけでも強くありたいと思っていました。本名で戦うことはとても恐ろしいことのように思えたし、見下されるんじゃないかと思っていた。舐められたくなかった。本当の自分で苦しんできたことの記憶を封印し、自分を守る為に少しだけ名前を変えた。それは私に
なんだか人生って感じがしています。 今年が始まってからずっと、うまく掴めないような時間を過ごしているようで、去年のようにがっちり掴んで踏みしめてやってきた時間とのギャップがあまりにも大きくて。不思議な感覚でした。 もっと燃えるような戦い方がしたいのに、起こる出来事は小さくて地味なことの積み重ね。だけど、避けては通れないような整理整頓や今までの自分では選べなかった選択に繋がっていることばかり。 これまでのランダムな爆発とは違う、地道な筋トレのような毎日。 新しい感覚には戸惑
久しぶりに会う人、久しぶりに訪れる土地。あの時の自分が落っこちたままの場所と再会するとき、この数年、自分がしてきたことの結果を知る。ほんとうに強くなってきたのなら、景色は見違えるほど美しく、苦しい記憶と対峙することはないのだ。
本格的に暑くなってきましたね。皆さまくれぐれも熱中症などお気をつけください。気を付けていても、日常の動きだけでクラっとくるような灼熱です。 こんな中、いつも通りの動きができるわけもなく、普段の3割もこなせたら十分なんじゃないかと思う。すごく元気な人でさえ参ってしまう酷暑です。みんな、涼しいところに居てほしい。無理せずに乗り切りましょう🎐 少し遅くなりましたが、7月もどうぞよろしくお願いします🌻
私の作ったもので、誰かのテンションがちょっとだけ上がるとか、心がほわっとほぐれるとか、一瞬のときめきで気分が上向きになるとか、そういうことが起こることは、私の幸福そのものだと何度も再確認している。噛み締める。私もそうして誰かの絵に救われてきた。私を救ってくれた絵の意味なんてわからなくても、私は救われてきた。絵はそういうものなんだと思い出す。わかり合うのではなく繋がるための媒体なんだと思う。誰の中にもそれぞれの正解が存在している中で、同じ絵の前に立ち、これいいねと言い合えること
猛烈反省大会。とにかく走り書きしてみます。ブログからしばらく離れてしまって、百文字日記もマガジンも放置してしまった。言葉にする余裕のない日々だった。情けない。強制的に正しい方へ向かえるよう、多少の痛みを伴ってでも私の抱えている間違いを徹底的に教えていただいているような日々です。自分は未熟すぎると痛感しています。 ここでまた、一つの原点回帰をすることになる。
とあるコンペに自分なりの力作を提出したけれど、完全なる選外でした。そのことをきっかけに考えたのは、作家と観る人の距離感や、伝わるもののギャップについてのこと。週末のnoteに書こう。転んでもただでは起きぬぞ。
【 チャンスの神様には前髪しかない…!? 】 昔聞いてから、面白くて印象的だった言葉。元はヨーロッパに伝わることわざで、後ろ髪を掴もうとしても掴めないことから、チャンスはすぐに掴め!という意味なのだそうです。勝手に、小走りで駆け抜けていく小さい妖精みたいな神さまなんじゃないかと思っています。 本当にチャンスって、ちょっと準備不足かなぁ、なんて思っている時に来るもので、踏ん張って一世一代のジャンプをして掴みにいかないと簡単に逃げられてしまうもの。神さまの前髪を掴むぐらいの、強
もの凄い雨が通り過ぎていった。何も起こらない日々などない。比較的穏やかな生活にも、雷に打たれ雨風にさらされるような困難は訪れる。そういうときにいつも絵を描いてきた私にとっては、これが唯一絶望を光に変えられる方法なのだと思う。
油絵の具。キャンバスに色を塗るだけで、生きている実感が湧いてくる。魂の一部を移すような作業。徐々に絵と呼吸が合ってくる。イーゼルの前に腰掛けて真正面に絵と向き合う、時には睨み合うこの時間が、何よりも自分には必要なんだ。油臭さも手間の掛かるところも、その重たさ込みでずっしりと私の中心を安定させてくれる。情熱はいつも車に注ぎ込まれたガソリンのようだと思う。情熱を燃やせば。私たちは、何処へでも行ける。 * 最近の 百文字日記 * * 原画やグッズ・オーダーはこちらから * *
どれだけの覚悟でやっているか?忘れてはいけない。ダメな日もある、停滞するように感じる時もある。誰かのせいにしていないか?一歩踏み出すかどうかは自分が決めること。自分を救うことができるのは、自分だけだから。
久しぶりに絵の具に触れ、心が満たされていった。幼い頃の自分の絵を描いている間ずっと、德永英明さんの壊れかけのRadioが脳内でリピート再生されていた。 「 思春期に少年から 大人に変わる 道を探していた 汚れもないままに 」 何も知らなかった頃の私。
参拝している夢を見てからなんとなく気がかりだったので、お参りへ。鳥居をくぐると背筋が伸びる。清々しい気持ちのまま、アトリエの掃除。ここ数日デジタルの作業をしている時間が長く、アトリエの居心地が悪くなってきた気がする。絵の具に触れなくちゃ。
わーっと勢いよく何かを始めると、突然プツッと集中の糸が切れて数日フリーズしてしまうことがある。少し不調の日が続いてしまいました。身体がダウンすると、アイデアばかり浮かんで目の前のことが進められない。気持ちだけ先走って焦って落ち込む。泥のように眠ったり、太陽の熱を浴びたりして、やっと通常運転に戻ってきたので、また、整理整頓から始めます。 * 最近の 百文字日記 * * 原画やグッズ・オーダーはこちらから * 新作も数点販売中。 *** こんにちは!仙波サクラです。 あ