太閤山荘 擁翠亭(十三窓)
「擁翠亭(ようすいてい)」
京都市北区にある茶室。
江戸時代前期に加賀三代藩主・前田利常の依頼で、京都の彫金師・後藤勘兵衛の屋敷内に、小堀遠州によりつくられたものとされています。
その後、清蓮院に譲渡され、明治に入り解体。京都の数寄屋大工・平井家に保存されていた擁翠亭の古材と古図を照合し、2015年に茶室研究者の中村昌生(1927~2018)の指導で復元されたのが現在の「擁翠亭」です。
徳川三代将軍・家光公の茶道指南役であり、古田織部の弟子でもあった遠州の代表的な四畳台目(伏見奉行屋敷など・現存せず)から一畳を除いた間取りです。
窓の数は伏見奉行屋敷のものの十一よりも多い十三窓(躙口を含む)で、「日本一窓の多い草庵茶室」ともされています。
利休の死後、時代的な背景から織部に求められた「武家のための草庵茶室」。遠州はそれをさらに推し進めた茶人であり、この茶室もその好みが随所に反映されたつくりとなっております。
内部は三畳台目下座床。茶道口と給仕口をくの字に配し、床の間は給仕口寄りに構えます。
向かって右の床柱(給仕口側)が赤松皮付、左が松のしゃれ木、床框は杉丸太。
客座中央寄りの点前座は台目構えで、客座全体から舞台のように配置する遠州が好んだ形です。
躙口は隅に設けず、中央に設けることで、ひと目で上座(床の間側)と下座が分かるようにしています。平面の中に相伴席(※織部が燕庵により用いたお供のための席)を消化したような形でこれも遠州お得意の形式です。
点前座には大小の棚を重ねた雲雀棚を釣り、風炉先窓と勝手付には軸をずらして2窓を配する色紙窓。これらは座敷の景観を重視した織部による工夫であり、壁面の構成にこだわったのは両者に共通しています。
特に、躙口の上に連子窓のさらに上に下地窓を設けるのは遠州の手法です。色紙窓の高さはじめ、窓の配置をやや高めにするのも遠州の好み(※織部の色紙窓は畳上すぐの位置に色紙窓の下窓を設ける)で、より開放的でくつろいだ空間に遠州は重きを置いたことが見て取れます。
その究極の答えともいえるのが、合計13窓という珍しくも開放的な景観のこの茶室です。さらに、窓には障子だけでなく小襖なども用いる独自の趣向も凝らされております。
平成27(2015)年に京都の太閤山荘敷地内の古田織部美術館内に組み立てられ、その後、美術館は別所に移転。茶室は太閤山荘内に今も現存し、公開(見学)もしています。
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