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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第七話 秘密は女を美しくさせる


秘密は女を美しくさせる


「ああ、今回も・・・・・」
月のものをトイレで見た私は、ため息をついた。
自分の子宮から流れる赤い血が、忌々しい。
まるで
「お前には子どもはできぬ」
とらく印を押されたようで、落ち込む。

子が
子どもがほしい。
私の子が欲しい。

もしこのまま、ずっと秀吉の子を身ごもることができなかったら?と思うとゾッとする。あの好色の秀吉のことだ。私に飽き、またすぐ新しい女に目を移すはず。いや、敵はその女だけではない。どの女であれ秀吉の子種を受け取った時点で、それ以外の女達の役目は終わりだ。私は中古品になった他の女達と同じように「側室」という肩書だけ与えられ、ほっとかれる。この私が!浅井と織田の血を引く私が!農民ごときに屈辱を受けるのか?そんなことは、絶対に許さない!!
ギリギリ歯をかみしめた私は怒りのあまり頭に血が上り、倒れそうになった。

その頃から私は体調が悪くなる。妊娠できないまま秀吉に飼い殺しにされる夢ばかり見て、うなされる。目を覚ますと、汗で夜着は重くなっている。生理が近づくとさらにひどい状態になり、夜も眠れず目の下に黒いくまができる。胃がキリキリ痛く、食事も喉を通らなくなった。
妊娠した未来のビジョンを見たから、すぐに子供はできると思っていた。なのにできない。現実との落差に苦しい、苦しい、と私は胸をかきむしった。

そんな私を心配した乳母の大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)はそばに来て、私を抱き寄せた。彼女は私が生まれた時から私に乳を含ませ、慈しみ育ててくれた乳母だ。
母のお市が「女」を見せてくれた存在なら、私に「母」という存在を見せてくれたのは、この乳母だ。
誰よりも私を愛しみ、見守り、叱咤激励し、どんな時もそばにいて尽くしてくれる。北ノ庄城を出た時、母は乳母の大蔵卿局に私を託した。
母は彼女が誰よりも私を慈しみ守ってくれる存在だ、と知っていた。

彼女は私の耳にそっと顔を寄せ、驚くべき言葉を告げた。
「茶々様、女は子種がどの男のものであるかは、わかります。
けれど男は生まれた子が自分の子種かどうか、わかるすべはありません」
彼女の言葉を聞いた私の正直な気持ちを話そうか。
彼女の言葉で、一本の光輝く道が見えた。
本当に光に包まれた道が開けていたのだ。

だが同時に、疑問も浮かんだ。
「誰じゃ?
秀吉に気づかれず、秀吉を欺き私に子種をくれるそんな都合のいい相手がいるのか?」

私は秀吉は嫉妬深さを知っている。
ここに来ない時も、他の男の出入りがないか自分の家来を配し、くまなくチェックしていることを、大蔵卿局も知っているはずだ。
そんな包囲網があるのに、他の男に出逢うきっかけなどあるはずがない。

すると大蔵卿局は、私にだけ聞こえる低い声でささやいた。

「いいえ、茶々様。
茶々様に子種を与える男は、外にいるのではございません」

私はつい声を荒げた。「何をいう!いくら子種が欲しいと言っても、私にも相手を選ぶ権利はある。誰でもいいわけではない。
密通の相手は、閉じた貝のように口が堅い男でないといけない。秀吉は自分を裏切ったものを、絶対に許さない。
もし密通がばれたら、私もその男も殺される。
そんな命がけの密通を図るほど私に命を預ける、都合のいい男などいるはずがない!」

大蔵卿局は一気にまくしたてた私が落ち着くのを、無言で待った。はぁはぁ肩で息をしていた私が胸で呼吸し始めたのを確認し、さらに身体を寄せ耳に手をかぶせ言った。「茶々様に子種を与える男は、ここにおります。
茶々様のことを一番理解し、最大の味方であり、最高の理解者がここにおります」

まったく見当がつかない私は思わず「えっ?!」と声を出した。

乳母がパンパンと手を叩くと、静かにふすまが開いた。
そこに頭を下げた男がいた。
頭を上げたその顔を見た時「治長!」と口を手で覆い、小さく叫んだ。
大野治長は大蔵卿局の息子で、私の幼なじみだ。
同じ大蔵卿局の乳を飲んで育ち、兄のような存在だった。
背筋を伸ばした彼は大蔵卿局の横に座った。

「茶々様、我ら親子は茶々様のためなら命をもさし出す所存です。
茶々様の願いを叶えるためなら、どんなことも致します」

治長と同じように、正座したまま凛と背を伸ばした乳母は言った。

「治長なら茶々様に子種を渡すことができるでしょう。
そして、このことは我ら三人だけの秘密です。
死ぬまで口をつぐみ墓場にまで持っていきます。
ですから、どうぞ、この治長の子種をお使いください」そう言った大蔵卿局は頭を畳に近づけた。

これから険しい山登りをする人が道案内するシェルパを得て、ホッとするように私も安心した。だが、まだ心も身体も何の準備もできていない。

私は「治長、そちはいいのか?」と彼に尋ねた。治長は、頭を下げ「私でお役に立てるのでしたら、喜んでこの身体を捧げます。
いえ、身体だけでなくすべてを茶々様に捧げます」

私は一切迷いのない治長の答えを聞き、百万の味方を得たように勇気がみなぎった。

「そうか、あいわかった」そっけなく言ったが、心の中で希望が生まれ喜びで胸が高鳴った。頭を上げた治長は、熱をおびた目でじっと私を見つめた。

私に向けた息子の眼差しを横目で見た大蔵卿局が言った。

「茶々様、どのような子種を受け取ったとしても、お生まれになったお子は、茶々様のお子です。
秀吉様のお子が、茶々様のお子ではございません。
茶々様のお子が、秀吉様のお子です」

胸を張りおごそかに言った彼女の言葉が、とどめを刺すように私の胸を突き刺す。

子種が誰でも、私の産んだ子が秀吉の子だ。

私はこの言葉を何度も繰り返し口に出した。その言葉はまぶしい光を放ち、暗闇に覆われた私の心を太陽のように照らした。その光は野心への道しるべだ。

天下一の権力者に秘密を持つ後ろめたい喜びが、私の中で冷たい炎となり燃える。女はいくつも秘密を抱える生き物だ。決して口に出せない秘密ほど女を美しくさせ、妖しく匂い立たせる。

大蔵卿局は、静かに部屋を出て行った後、治長一人が部屋に残った。私達は無言で向き合った。私は治長に手を差し出した。治長が私の手を取った。

そして長い夜が始まった。

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