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クラシックの新譜は「いま」を反映する!?11月の新譜をご紹介!!

 みなさまこんにちは、布施砂丘彦です。遂に流行病に罹りました。時間もできたので、noteでも更新しようと思います。

 さて、ここに写っているCDは、すべてこの1ヶ月で発売されたクラシック音楽のCDです。はい、ともかく量が多い。ここにすべての国内盤があるわけではないのですが、それでも50は超えます。毎年この時期は『レコード芸術』の「レコード・アカデミー賞」があるから新譜が多いのだとか。素晴らしいCDがこんなにたくさんあるのに、紙面は限られているから、わたしが取り上げることのできるCDはほんの一部です。
 ですので、今日はこのなかから気になったものをいくつか取り上げてここに書こうと思います。演奏が良いものをとりあげたら流石にキリがないので、時世にあったもののなかで特に印象的なものを数点あげます。

シルヴェストロフ:ラリッサに捧げるレクイエム

アンドレス・ムストネン指揮バイエルン放送合唱団、ミュンヘン放送管弦楽団
2011年6月、ミュンヘン、イエスの聖心教会(ライブ)
ONDINE

 ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937-)はいまも生きるウクライナの作曲家です。ソ連時代には演奏が禁止になるほど前衛的な作品を書きましたが、わたしたちにとって馴染みがある彼の作品は、どちらかというと調性があって穏やかな作品たちでしょう。
 たとえば《ウクライナへの祈り》。ロシアによるウクライナ侵攻のあと、世界各地で頻繁に演奏されているので、これは普段クラシック音楽を聴かないひとでも聴いたことがあるかもしれません。それに何より聴きやすい。アルヴォ・ペルト作品のようにシンプルで、美しく幻想的な世界が広がっています。一方でフルートが発するノイズが不思議な奥行きを作り出している。名作です。

 シルヴェストロフは合唱作品も非常に美しいです。9月に国内盤が発売された宗教合唱作品集(クラーヴァ指揮ラトヴィア放送合唱団)のことは、わたしも朝日新聞の記事で「眩しいほどの白い光が、凶暴さより恐ろしい」(抜粋)となどと書きました。全文はこちらからお読みください。余談ですが、数年前に流行った『ミッドサマー』というホラー映画を観たとき、わたしは「ここで描かれているのはシルヴェストロフ作品のことか!?」と思いました。

 今回のCDはレクイエムです。タイトルは《ラリッサに捧げるレクイエム》(1999年)。1996年にキーウの病院で突然亡くなった妻、ラリッサ・ボンダレンコのために書かれました。独唱(ソプラノ1、アルト1、テノール1、バス2)と合唱、管弦楽、そしてシンセサイザーという編成です。歌詞は基本的に通常のラテン語のレクイエムと同じですが、ウクライナ語の詩(タラス・シェフチェンコの『夢』)の一部が抜粋挿入されています。
 さて、このレクイエムは非常に「二人称」的です。死という概念について語る普遍的な作品ではありません。モーツァルトやヴェルディの有名なレクイエムとは異なって最後の審判の日は描かれず、妻ラリッサが好んだというメロディが引用されたり、時間の感覚が消えてしまったかのように悲しい旋律がループしたりする。聴衆や演奏家のことなんか(たぶん)これっぽっちも考えていないで、亡くなった奥さんと自分のことをひたすら音符に連ねている、そんな曲なんです。
 フツーだったら他人同士の話ほどドーデモイイことってありません。しかし、優れた芸術家の手にかかると、これががらりと魅力的になる。文学作品だってそうですよね。シルヴェストロフはおろかその奥さんであるラリッサがどんなひとだったかなんて全く知らないのに、何故だかグッとくる。見たことのない顔が脳裏に浮かんで、その顔がさまざまな表情を見せて、そしてそんな愛しいものが消えていってしまう。このかなしさ。
 かつて養老孟司先生が、ご著書『死の壁』のなかで、自分に影響を与えるのは「二人称の死」だけだと仰っていました。一人称のそれは自分のことだから実感を味わうことはできないし、三人称の死は見知らぬ誰かの死だからと。
 二人称の死はあまりに強い、強すぎるんです。クラシック音楽は基本的に抽象的なものだし、特にレクイエムは宗教的なものだから、堂々と二人称で死を描くって、そんなにない。もちろん「〇〇のための」と銘打たれたレクイエムだとかトンボーだとかオードだとかは、ルネサンスの昔から現代まで数えきれないほどあります。でも、みんなもっと普遍的な音楽ばかり。普遍的だからこそ、芸術作品たりえる。公たりえる。しかし、シルヴェストロフは違いました。この音楽はそんなことを考えていない。だからこそ強いし、美しいんです。

ヴィラ=ロボス:弦楽四重奏曲全集

ダニュビウス・クァルテット
1990-1992年、ブダペスト、フンガロトン・スタジオ
ナクソス

 最近大統領選があって、何かとニュースでその名を見ることが多かったブラジル。今年は独立200周年です。これを記念して、ブラジル音楽はCD発売ラッシュ。セーゲル・ゲーハ=ペイシの交響的組曲やカマルゴ・グァルニエリのショーロ集(といった無知のわたしが全く知らない音楽)が発売され、エイトール・ヴィラ=ロボスは交響曲全集とピアノ作品全集に続き、この弦楽四重奏曲全集が発売されました。ナクソスさん、凄い!(因みに弦楽四重奏曲の全集は、2004年にラテンアメリカ四重奏団も出しています)
 記念すべき200周年の独立記念日の前日には、ティアラこうとうでオーケストラのコンサートもあって、わたしも聴きにいきました。ちなみに独立200周年ということは1822年より前はポルトガルの統治下だったわけで、その頃のリオデジャネイロにはポルトガルの宮廷がありました。ミヒャエル・ハイドンの弟子であるノイコムはその地で働いていたこともあって、そこではモーツァルトやハイドンの音楽を演奏していたんですよ! 閑話休題。とにかく今年は、ブラジル音楽が盛り上がった一年なのでした。
 そんなこんなで、さまざまな知らないブラジル作曲家の音楽を聴くことができてとても楽しかったのですが、やっぱりヴィラ=ロボスの音楽は凄いなあと思わされました。
 弦楽四重奏曲は全部で17曲書いています。チェロ奏者だったヴィラ=ロボスにとって弦楽四重奏はとても身近なジャンルだったようです。ともかく曲数が多く、作品を書いている時期も第1番の1915年から第17番の1957年までと長期間に渡っているから、民族色の強いもの、古典的なもの、無調に近いものなどさまざまなスタイルの作品が並びます。だから全てをひとくくりにして言うのはなかなか無理があるけれど、ともかくカラフルな作品が多いのです。特殊奏法も楽しく駆使して、弦楽器4本だけだと思えないほど色鮮やかなサウンドが続きます。わたしのいちばんのお気に入りは〈ポップコーン〉の愛称で知られる第3番の第2楽章です。ピッツィカート主体の音楽で、ほんとうにはじけるほど楽しい!! 続く楽章は対照的で、ミュートを用いたしっとりサウンド。アルコで奏でられる長い旋律に、たまに〈ポップコーン〉の残滓のようなハーモニクス・ピッツィカートが彩りを加える。ぜひ聴いてみてください。

フロム・アファー

ヴィキングル・オラフソン(グランド・ピアノ&アップライト・ピアノ)
2022年、レイキャヴィク、ハルパコンサートホール、ノルズルリョウズホール
ドイツ・グラムフォン

 アイスランドの若きピアノ奏者によるアルバム。どうでも良いんですが、わたしはいつも、アイスランド系デンマーク人アーティストのオラファー・エリアソンと名前が混ざってしまいます……。こないだまで東京都現代美術館でやっていましたね、観に行けなかった、残念。
 このCDにはバッハからシューマン、クルターグやバルトークまでの小品が収録されていて、ある種ヒーリング的なアルバムとなっています。興味深いのは鏡のようなその構成。2枚のディスクが入っているのですが、収録されている楽曲はすべて同じで、ただし片方ではグランド・ピアノで、もう一方ではアップライト・ピアノで演奏されています。わたしはアップライト・ピアノ独特の、豪勢には鳴り切らない、ノスタルジーを帯びたサウンドが大好きです。すべてに「さっぴつ」をかけたような音色は、全く知らない曲をも、大切な思い出のように見せてしまいます。オススメのアルバムです。

クルターグ:カフカ断章

イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、アンナ・プロハスカ(ソプラノ)
2020年、テルデックス・スタジオ・ベルリン
harmonia mundi

 さきほどのオラフソンのCDは作曲家クルターグに献呈されたものです。ライナーノーツでは、クルターグとの出会いについて詳らかに書かれていました。父親から「20世紀の《冬の旅》だ」と渡された《カフカ断章》のレコードが、その始まりのようです。シューベルトの音楽と同じように、クルターグの音楽には非常に短いなかに多くのものがギュッと凝縮されています。「これは良い喩えだなあ」と感心していたら、なんと、ちょうど《カフカ断章》のCDが同じ月に発売されたのです。
 《カフカ断章》はハンガリーの作曲家ジェルジ・クルターグによって1985年から1987年にかけて作曲された、ソプラノとヴァイオリンのための連作歌曲集です。「断章」というタイトルの通り、それぞれが非常に短い歌曲から成ります。数十秒から1分ほどの歌曲が40曲ならんで(例外的に6分を超えるものも)、全部で約1時間という構成です。テクストはもちろんフランツ・カフカのもの。しかし、それは一連の文学作品から取られたものではなく、さまざまな断片をかき集めたものだそうです。
 巨匠ファウストと気鋭のソプラノ歌手プロハスカ。バロックから現代まで幅広いレパートリー持つふたりが演奏しました。呟き、笑い声、ささやき、訥々とした語り、そして絶叫。言葉にならない苦しみを言葉にしたテクストのように、声にならない泣き声を音にしたような演奏は、圧倒的高濃度の音楽です。

この辺で力尽きたので、今回はここまでにします。もしリアクションがあったら、来月以降も続けてみようかな。

ではでは。


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