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24歳。鬱になって思うこと

「あ、ダメかも。」

朝、目覚めても、身体が起き上がらない。
ふと、スマホに目をやると、
LINEの通知は、150以上。

「おはようございます。今日は、、、」
追い打ちをかけるように、
ピコンピコンと、画面に緑のライトが点滅して止まらない。

「返事しないと。」

そう頭では思っても、
キーボードに乗せた手が、動かない。
涙が、なぜか止まらない。

「今日、これん?」
昼過ぎに追いライン。そして電話。

この時わたしは、ミーティングを、
初めて連絡もなしにドタキャンした。


吹き出しに、何度も何度も
文字を打ったり消したりしながら、
「ごめんなさい。体調が悪いです。」
とだけ、返事をした。

ここで、やっと
「病院へ行こう」と思ったのだった。

地元の心療内科はどこも空きがなく、
早くて1週間後の診察だった。


大きな駅は誰かに会いそうだったから、
名古屋駅からも、地元からも、
ちょっと離れたところの病院を選んだ。


「そうですねー、うつ、ですね」

ああ、これが、そうなんだ。
そう思った。


「お薬、抗うつ剤を出せますが、どうしますか?」
ーー薬は飲みたくないです。

「お仕事は、休んだりできそうですか?」
ーーできないです‥。相談してみないと。。

「できれば、散歩したり運動したり、日光にあたるのが良いですよ。できそうですか?」
ーーわかりました。


終始無気力で、嫌な感じだったと思う。
ボソボソと話してしまった。


診察中も、帰路に着いたときも、
とにかく、仕事が心配だった。
あの量の仕事、わたしがいなくなったら、
どうするんだろう。

約束した目標は、どうなるんだろう。

心配だらけだったが、
内心、ホッとしていた自分もいた。
もう限界だったからだ。
今までのように仕事ができるわけがなかった。


「申し訳ない」

わたしの悪いところだ。1人で抱え込む。

流石に、仕事仲間に電話をした。

優しく宥めてくれて
「わたし今そんなに忙しくないし、代われるよ」
と言ってもらえた。


こうして仕事は他の人に分担されたのだが、
自分としては罪悪感が募った。

そして、孤独感。
なのに、人には会いたくない。

周りが連絡をくれるが、
ことごとく返信を無視して、
数日後に返していた。

バイトの面接に行こうと思っても、
面接会場まで後5分と言うところで
気分が悪くなり、片道1時間半の道のりを引き返した。

そんな自分に嫌気がさした。

高校生ぶりの
「自分のことが嫌い期」が再来。

ただ、その時と違うのは
矛先が周囲か、自分かの違いだった。


高校の時、わたしは
自分の何もかもが嫌いで

それは、育て上げた両親のせい。
わかってくれない友達のせい。
彼氏のせい。先生のせい。

そんなふうに思っていた。
コドモすぎる。


しかし、自己肯定感が絶不調の今は、
ただひたすら、自己責任だった。

「人を大切にできない自分」
「決めたことをやり遂げられない自分」
「迷い癖のある自分」

こんなに嫌な自分の人生を終わらせてしまいたい。
寝る前になると、そう考えるようになり
結局寝られず、朝5時ごろようやく布団に入り、
8時ごろに目覚め、
昼12時までうたた寝したり、ゴロゴロする。そんな生活。

YouTubeを見ても面白くない。
「死にたい」と検索するような毎日を送っていた。


休職をして、1か月以上経つが、
そんなわたしが思うことは

「自分だけ我慢して、周りに合わせてたら、どんどん自分を見失っていく。
どんどん独りになる。」

人に意見をいうことが怖かった。
断ることができなかった。

自分を大切にできずにいたら
周りもどんどんいなくなっていった。


周囲に自分の意見を言えずに
悩んでいる人に言いたい。

断ることは、自分のためにも相手のためにもなる。

頑張って頑張って、それで、
辛いのであれば、逃げていい。

結果論だがわたしは、鬱になれてよかったと思う。
そうでもしないと、
「嫌ならNOと言うべき」「責任感が強すぎる」
と言うことを、本当の意味で理解できなかったと思う。

随分と荒療治だが。

疲れたら、SOSを出してもいいんです。



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