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辞めたがり症候群
酒をやめたい。
タバコをやめたい。
ギャンブルをやめたい。
薬をやめたい。
お菓子の食べ過ぎをやめたい。
すぐ怒るのをやめたい。
人と比べるのをやめたい。
仕事をやめたい。
人付き合いをやめたい。
努力や環境調整次第でやめられることはいくらでもある。
しかしどうしても、誰もが一生絶対にやめられないことがある。
「それは“自分”だよ」
学生のころから定期的に教育分析的面談を続けてもらっている先生が、少しカッコつけて意味深に呟いた。その前後にどんな話をしていたかは思い出せない。
(だから何ですか?それがわかったところで苦しみから逃れられますか?)
そう言い返したいのをグッと堪えたら、皮肉を込めた引き吊り笑いで返すことしかできなかった。それを言ってしまうと、問題解決に非協力的なわがままなクライエントに成り下がってしまいそうな気がして、自分のプライドが許さなかった。今思い返すとくだらないやりとりだ。
「自分を辞めたいです」
それからはこれが先生との面談時の私の口癖になった。
発達段階的にはアイデンティティが再構築され「自分とは何者か」が確立されていなければならないギリギリの年齢に差し掛かっているというのに、自分を辞めたがっている私は、客観的にみても厄介な存在だと思う。
いつも話を聴いてもらっている心理師(士)の友人からも
「幸せそうにしてる早紀を早く見せてよ」
と言われてしまった。
いつも何かと切羽詰まった時にばかり電話をかけているので、私がいつも悲惨な目に遭っているように映っているようだ。申し訳ない。普段はそこそこ幸せだよ、多分。
幸せを感じる時は人並みにある(はず)。自分が特別不幸だとも思わない。むしろいろいろと恵まれており感謝すべき人生であるという自覚はある。
自分が空っぽであるということは受け入れることが出来たからこそ、無理に何かで満たそうとすることもなくなった。
しかしやはり何かと面倒で複雑な人間という動物の中でも、特に面倒な部類に属している私は、きっと考えなくても良いようなことやしなくても良いことをわざわざ人より多く抱え込みにいっている傾向があるという自覚はある。
そんな時に自分を辞めたくなるのだろう。
なんでわざわざ辛い思いをしにいくの?
幸せとは言い難い道を選ぶの?
それはね。
自分を好きになりたいから。
本当はまだ好きになり切れていないから。これは自分を自信を持って愛するための修行なのだ。
修行とは自ら辛い環境に飛び込み耐えるもの。耐え切ったその向こうには、きっと強くて自信に満ちた自分に出逢え…
るのだろうか?
いやいや、まだ先が見えない。
この命が尽きるまで、私は自分を辞めたがり続けている気がする。
そしていつしか、それを楽しんでいるような気さえする。
今はまだ楽しめるほどのゆとりを持ち合わせてはいないが、そんな気がするということは…
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