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ハートにブラウンシュガー 4

 ハードロックバンド『ブラウンシュガー』の知名度はこの所ぐんぐんと勢いを増して、それと同時にバンドとしての実力も格段に進歩して来た。そのため、いろんなライヴハウスやイベントなどからリーダー茶倉満男(通称クマ)のもとへオファーが届くようになった。
 初めの内は義理もあったので、そういう依頼にも応え、慣れない場所や雰囲気の合わない会場にも彼らは足を運んでみた。
 しかし、終わってみると不完全燃焼で終わってしまうことが多々あるのであった。ハコによってサウンドは変わる。音の響き具合も違い、観客のノリもどこか違って来る。
 何よりリハーサル、セッティングが思うようにままならない場合がある。演奏中に戸惑ってしまうこともあった。もしも今後プロとしてバンド活動をして行くとするなら、そんな些細な環境の違いに惑わされていてはいけない、そう考え、何事も経験と割り切ってみるのだが、メンバーからは不満続出だった。
 クマ自身も「まいったな」と思う事もあって、この所は安易にオファーを受けない様にしていた。ところが、その日、いつものライヴハウスでオーナーの須藤から誘われたのは、プロのバンドも多数出演する『ココ夏フェス』のイベントであった。

「おい、どう思う?」
その日の練習後、クマはメンバーに『ココ夏フェス』出演依頼の件を話した。
「どうもこうも何も、あのココ夏フェスだぜ」
佐藤三郎こと通称サブは、間髪を入れずに感嘆の声を上げた。「ビッグチャンスじゃねえか? そうだろ、レイ」
意見を求められたレイこと真柴玲は、
「確かに」と一言だけ呟いて唸った。
「ふ〜ん、そんなに凄いの、このフェス」
「ティナ、聞いたことないのかよ」
サブが突っ込む。
「名前は聞いた事あるけど」
「規模が違うよ。野外だぜ。五千人は集まるだろ?」
「まあ俺達にとっては最大のイベントにはなるな」
クマもこの件に限っては大層乗り気な様だ。
「ま、私はどこでやっても構わないけどさ」
「よし、それなら決まりだな。オファーを受けようぜ」
 普段からお祭り気質の強いサブは一番乗り気の様相でクマを促した。

 この『ココ夏フェス』というイベントは毎年真夏の一番暑い時期に野外で行われていて、メインはプロのバンドだが、インディーズバンドも何組か出演する。もちろんメジャーのレコード会社や音楽プロデューサー、それに評論家達も注目するイベントである。
 最初はアマチュアで出演して、その後プロデビューしたバンドもいたりするからプロ志向のアマバンドにとっては憧れの舞台なのである。
 そこからのオファーであるから、これに関しては何の文句もなく、断る理由はない。クマは『ココ夏フェス』出演のオファーを受ける旨を電話で須藤に伝えた。


 そんなある日、ティナこと田中ティナのスマホに姉のリイサからLINEが入った。文面を見つめて首を傾げるティナにレイは尋ねた。
「どうかした?」
「え? いや、リサコからラインが来たんだけど、なんか、訳分かんなくて」
 ティナは姉リイサの事をリサコと呼ぶ。因みにリイサからはティコと呼ばれる。
 ここはレイのアパートの部屋である。夜中の0時過ぎ、こんな時間にリイサからLINEが入るのは珍しい。
「訳分かんないて、どうゆう事?」
 レイはベッドを抜け出して煙草を咥える。
少し汗を掻いていたので、エアコンの風が当たる場所に移動した。素肌に冷風が当たって気持ちが良い。
「んーっと、要約するとねー、最近カメコの様子が変だって言うのよ」
「誰? おふくろさん?」
 カメコとはティナとリイサの母親である。
「うん」
「変って?」
「リサコのラインっていつもさっぱり意味不明なんだよね。でも何だか近い内に一度帰って来てって言ってる。相談したい事があるって」
「ふ〜ん、で、どうする?」
「そうだなー、面倒だけど、仕方ないなぁ、今度の休みに一度行ってみるよ」
「なんなら車で送ってってやろうか? 休みが合えばだけど」
「いいよ、埼玉なんだから、電車の方が早いし」
「そうか」
 ティナもベッドから抜け出してキャミソールとショーツ姿で冷蔵庫を開け梅酒の缶を取り出し、レイの隣に腰を下ろしてプルタブを引く。
「ティナのおふくろさんて、亀子って名前だったんだ」
「まさか、それは呼び名よ、本当は芽依、タナカメイって言うのよ。それがいつのまにかカメコになって……」
「あ、そうなんだ。で、普段は何か仕事してるの?」
「お店をやってるよ」
「商売してんのか? 何の?」
「鯛焼き屋」
「え、たいやき?」
意外な答えにレイは驚く。
「何かおかしい?」
「いや、そういう訳じゃないけど、珍しいなと思って」
「どこの町にもひとつやふたつはあるでしょ」
「そりゃそうだけど……」
「創業したのは爺ちゃんで、その後を父親が継いで、3年前に父が死んでからはカメコがやってる」
「一人で?」
「昔から来てる手伝いのお婆さんがいるけど」
「そうか、でも大変そうだな」
「そんなに流行ってる店じゃないから」
ティナは梅酒で喉を潤す。
レイは煙草の煙をふーっと吐き出して、
「でもセクシーな衣装でロックやってる女が、実は鯛焼き屋の娘だったなんて、なんか笑えるよな」とニヤける。
 ティナはふんとそっぽを向く。
「小さい頃は嫌だったよ。あだ名もあんこだったし」
「そりゃ、鯛焼き屋の娘がティナとかリイサだのシャレた名前だなんて誰も思わないものな」
 レイはクククと笑う。
「ちょっと、バカにしてる?」
「いや、いや、してないけどさ。ま、変な思い込みだな。ワリイワリイ」
 レイは思わず笑ってしまったことを少し反省する。
「もうやめればって言ってんだけどね」
 ティナは溜め息混じりにそう呟く。
 その溜め息がレイの吐いた煙草の煙りと交わって空中に漂っている様に思えて、なんとなく2人して黙ってしまった。
「おふくろさんの様子、気になるな。何でもなけりゃいいんだけど……」
 ティナは黙ったまま残った梅酒を飲み干すと、ベッドの方に向き直って、
「ねえ、もう一回する?」
と訊いた。


 そんなやり取りがあって、次の週、ティナは埼玉の実家に出向いた。
 商店街の中を歩きながら、この辺も少し見ない内に何だか変わってしまったなと思う。以前あった駄菓子屋とか大衆食堂が消えていたり、何か訳の分からない輸入雑貨の店が出来ていたりする。シャッターが降りたままの店もいくつかあるから、これではシャッター商店街と言われても仕方がない。
 古い店は消え、新しい店が出来る。大型店やチェーン店に地元の個人商店はどんどんと押しやられる。今に始まった事ではないが……。
 そんな一角に『鯛焼きのたなか屋』は今も古い店を構える。
 家の玄関は店の裏側にある。こちらから見ると普通の住宅だ。
 引き戸を開いて中に入る。
「ただいまー」と誰もいなさそうな居間に向かって声を掛ける。
「あ、ティコ、来たね」
 リイサが顔を出した。
「あ、リサコいたんだ」
「もうすぐ出勤だけどね」
「そう」
 ティナは靴を脱いで玄関を上がって居間に向かう。居間と店舗はドアとサッシで仕切られてはいるが、あんこと鯛焼きの焼ける匂いの混じり合った独特の香りが漂っている。ティナにとっては懐かしい匂いだ。
 通りすがりにチラッと店の方を伺う。エプロン姿で接客しているカメコの姿が見えた。いつもの笑顔で特に変わった様子は見えない。ちょっと安心する。
 はあぁっと息を吐き出して畳の上にどかっと腰を下ろす。額の汗を拭き、扇風機をこちらに向ける。息を吐き出したのは暑さのせいばかりではない。またリサコの人騒がせにやられたのかなと内心思う。何事も大げさに騒いでみないと気が済まないタチなのだ。
「ウーロン茶とサイダー、どっちが良い?」
台所からリサコ……、いやリイサが声を掛ける。
「ウーロン茶でいいよ」
「オッケー」
 リイサがウーロン茶の入ったグラスをティナの前に置く。自分はサイダーをグラスに注いで、卓袱台の横に腰を下ろす。
「どう? 最近は、上手くやってる?」
「どうって、何が?」
「仕事とか、いろいろ。まだバンドやってるんでしょ」
「そうだけど、まあ、順調だよ」
「そう、とにかく元気そうで良かった」
 リイサは天真爛漫な顔をして笑う。昔からこんな感じだ。人騒がせで、お節介で、ズケズケものを言うが、底抜けの笑顔で人を煙に巻く。
 憎めないと言えば憎めないタイプなのだが、長い時間一緒にいると疲れてしまう。それでいて割りと人気のあるキャバ嬢なんだから世の中分からないものだ。
 姉がキャバクラ勤めをしてる事は内緒にしているが、レイに話したらまた鯛焼き屋の娘がキャバ嬢かよと笑うに違いない。
 鯛焼き屋の娘だってあんこばかり食べてる訳ではない。お酒も呑めば恋だってする、ロックだって歌うんだ。
「ところで、何よ、相談って」
 ティナは本題を切り出した。
 リイサはちょっと振り向いて店の様子を伺う。カメコはひたすら鯛焼きを焼いている、客が一人二人いるようだ。手伝いのお婆さんもその周りをウロウロ動いている。
「あのね、大きな声では言えないんだけどね……」
と案外普通の声で話し出した。


「で、それからどうした?」
日付は変わって今はいつものレンタルスタジオFに来ている。バンドの練習日だ。
 クマとサブが少し遅れるとの事で、レイとティナの2人で何となくチューニングしたり、発声したりしてたのだが、ついつい雑談に花が咲いてしまう。話題はやっぱり、ティナが実家に帰った時の話になってしまう。
「リサコが出勤で出てったから、カメコと2人で夕飯食べて帰って来た」
「おふくろさんの様子は、どうだったんだ?」
「う〜ん、私が見たところ、いつもと変わらなかったんだけどなぁ」
 ティナはその時の事を思い出しながら頭をぽりぽりと掻いた。
「でも、一緒に暮らしてる姉さんは、なんか異変を感じてるんだよな」
「私はただの健忘症じゃないかなと思うんだけどね。大体いつもリサコは大袈裟なんだ。まあ以前から片頭痛に悩まされていたのは確かだけど……」
「う〜ん、よくは分からないけど、こんな事は早いとこ医者な診てもらった方が良いんじゃないか?」
「そうだね。うん、まあそうするつもり」
 ティナは自分に言い聞かせる様に頷いた。
 リイサが言うには、最近カメコが認知症気味じゃないかという事だった。ものをどこかに置き忘れて騒いだりするくらいならまだいいのだけれど、客の注文や仕込みを忘れてたりすることがあるらしい。
「長年見てきたけど、今まで店の仕事でこんなポカをする事なんて無かった。絶対、なんかおかしい」
それがリイサの言い分だ。時々起こす片頭痛の事も気になる。だから何とか2人でカメコを説得して病院に連れて行きたい、それを手伝って欲しいという、そんな話だった。
 認知症と言うにはカメコはまだ若いが、若年性アルツハイマーなんて言葉を耳にした事もある。まさか、いつも元気で朗らかなカメコが……。と、思いもしなかった突然の話に、どうしたものかとティナも戸惑っていた。

「大丈夫か? 今日は練習やめて帰っても良いんだぜ」
レイが気遣う様にそう声を掛ける。
「いや、大丈夫。それよりこんな時こそ思い切り声を出したいよ」
ティナがそう言うので、
「そうか」とレイも頷いて、レスポールのギターをアンプに繋いだ。
「ちょっとこのフレーズ聴いてくれないか?」
と言う。
 スタジオ内にオーバードライブのかかったレイのギターサウンドが鳴り響く。
「わぉ、いい感じじゃん」
「だろ」
 ティナがリズムに合わせてカラダをくねらす。
調子を合わせてレイもアドリブでカッティングして行く。
 突然マイクを握りティナはこれまた即効でシャウトしながら何かを歌い始める。いつも歌ってる洋楽の歌詞をデタラメに並べた様なフレーズだが、ちゃんとレイの奏でるギターのリフと絡み合ってる。
 いい感じだ。
 レイとティナは微笑み合って互いの目を見交わした。
 ワンフレーズ、ツーフレーズと進む内に、楽曲としての形が整って来る。
 サビはどうするかと考えていたが、自然な流れで曲は盛り上がって行った。
 最後はティナのロングトーンで盛り上げ、アウトロはレイの歪んだギターの音で締める。
 一瞬の静寂。
 何かを吐き出した後の様な爽快感を味わった。

「おい、今の何だよ?」
 突然声がして振り返ると、ドアを小さく開いてクマとサブが顔を出している。
「聞いた事ねえ曲だな」
 サブが小躍りする様にスタジオに入り込んで来る。
「聴いてたんすか?」
「レイ、お前が作った曲か?」
 クマも室内に入りドアを閉める。
「ある程度のフレーズは考えてたんだけど、殆ど即興でのセッションすよ」
「もう一回出来るか?」
 クマはスティックを持ちドラムに向かう。サブもベースを手にする。
「よし、ティナ、もう一回行けるか?」
「オッケー」
ティナはウインクで合図した。
 クマがカウントしてレイのオーバードライブが再び唸りをあげる。
 ドラムのリズムが加わる、ついでベースがそれに合わさる。
 4人のセッションはその日何度か繰り返された。
新しいオリジナル楽曲の誕生だった。
 全員、心地良い汗を掻いていた。

 練習を終え、外に出ると夜だと言うのにまだ昼間の暑さが辺りに漂っていた。汗かきのクマはタオルで首筋の汗を拭きながらレイに声を掛けた。
「さっきの曲、ココ夏フェスでやろう」
「え、マジっすか?」
「ああ、俺達のメイン曲だ。ティナ、歌詞を紙に書いて回してくれ」
「かなりテキトーだったけど」
「構わない、変な所があったら涼子に手直しして貰う」
 クマの妻である涼子は帰国子女で英語はペラペラなのだ。
「へい、了解!」
ティナは敬礼のポーズを取る。
「あ、それから、衣装だけどな」クマが続ける。
「衣装?」レイが訊く。
「ああ、ステージ衣装だ。みんなで揃えないか?」
「これこれー」
とサブが自分のハーフパンツを指差す。
 迷彩柄で脚にフィットしたスリムなパンツだ。靴はハイカットの黒っぽいトレッキングシューズで、なかなかキマっている。
「迷彩柄のパンツに黒のタンクトップだ。サブは痩せてるから黒Tの方がいいな。ティナはこないだ被ってた迷彩キャップに黒のキャミ、それとショーパンでどうだ?」
 ティナはその衣装に身を包んだ自分の姿を想像してみる。
「うん、なかなかいいかも」
「ショーパンで飛び切りセクシーにね」サブがからかう。
「それって、もしかして、こないだ港にオレを迎えに来た時の奴か」
「それだよ、それ。あの時、これイケるなってピンと来たんだ」
 クマはニンマリと笑って胸を張る。
 レイは前回、影山という昔のバンド仲間に頼まれ、変な取引に駆り出され、港に置き去りにされた。それを迎えに来てくれた3人の姿を思い出す。確かにティナもあの時、迷彩柄のキャップを被っていて印象的だった。よく似合っていたから。


 それから数日後、ティナとリイサの説得のもと、2人の母親カメコを総合病院に連れて行く事になった。
 総合病院は少し離れた地区にあるので、バスを乗り継いで行こうかと娘達は考えていたのだが、ティナの話を聞いてレイが車の送迎を買って出た。
 カメコとリイサに会うのはレイにとって初めての事だったが、病院への送迎をするだけなので、簡単に挨拶を済ませて後は安全運転に心掛けた。
 緊急な事態ではないけれども、レイはあまり親娘達の会話には口を挟まず控え目にしていた。たまにリイサがレイに話しかけたが、大体ティナが返答してくれたので助かった。
 なので、あまり気詰まりな緊張感は持たなかった。
 母親カメコは穏やかに微笑んで何度もレイに頭を下げた。
 それよりも病院に着いた後、診察が終わるのを待っている間、かなり時間が長く感じて気が気でなかった。
 近くのファミレスで暇つぶしをしているとようやくティナから終わったよとのLINEが入った。
 昼頃にやって来たのにもうすっかり夕方になっていた。
 病院の玄関前に車を回し、親娘3人を乗せる。配置は来た時と同じ、後部座席に母親とリイサ、助手席にティナである。
 帰り道、暗く沈んでる訳では無かったが、比較的みんな無口でいた。疲れたのだろう。
 担当医から診察結果や、もし何かあったとすればその病状の説明、そして今後の治療方法について話を聞いたはずだが、誰もその話題を口にしなかった。
 車内では話し難いのだろうなとレイは察して、天気の話やご当地グルメの話など他愛のない話題を適度に提供した。そのせいもあり重い空気にはならずレイはひと安心した。
 母親のカメコもいろんな検査でかなり疲れたとみえ、帰りの車中ではいつしかシートにもたれて眠ってしまった。
 レイは静かな音楽を流し、夕暮れの街をゆっくりと車を走らせた。
 無事に実家に帰り着き、一家はそこで降りた。
 レイは是非夕食を食べて行く様にと勧められたが、ファミレスで飲み食いした事とこの後バイトがあるからとの理由でやんわりと断り、その日は一人でそのまま帰途につく事にした。


 次の日の夜、送迎のお礼を言いにティナはレイのアパートを訪ねて来た。手には鯛焼きの包みを持っていた。夏場だから温かいものではなく、冷製のやつだ。持って行けと渡されたらしい。
 部屋の中でそれをパクつきながらティナの話を聞いた。
 カメコの診察結果は現状としてそれほど悪いものでは無かったが、暫く経過観察をして行くとの事であった。もちろん身体に異常かある訳ではないので、お店の営業には差し支えないと言う事らしい。
「大丈夫よ。本人もしっかりしてるし」
 ティナは楽観的なのだろうか、それとも自分でそう思い込みたいのか、わざと明るく言い放った。
 全ての疑いが晴れた訳ではないが、とりあえずひと安心という事だろうか?
「まあ、何も無い事を祈るよ」
 レイはこんな時、ありきたりの事しか言えない自分を恥じた。
 それでもティナは小さく「ありがと」と呟き、目を伏せた。
「あ、これ、美味いなぁ、冷たい鯛焼きなんて食べるの初めてだけど、なかなかイケるよ」
「でしょ。最近はこれも人気あるのよ」
「特にあんこが美味いね」
「そうなのよ。ウチの鯛焼きはあんこに塩が利いてて美味しいって評判なのよね」
「そうなんだ、秘伝の味か」
「先代からのこだわりって言ってたかな。だからなかなかやめられないみたい」
 へぇ〜と唸ってレイはもう一口がぶりと食らい付いた。あんこも美味かったが冷たい割りに皮もパリパリしていて風味がある。
「塩気の利いたあんこか、ブラウンシュガーのティナみたいなもんだな」
「何言ってんのよ」
 レイのジョークに2人で笑う。

「ああ、そうそう、それから、これ、どう思う?」
と提げたバッグの中からティナは一枚の紙切れを取り出した。
 見ると英語の歌詞が書いてある。
「こないだの曲の歌詞か! オレには英語の歌詞なんて解らないよ」
「じゃあ、せめてタイトルだけでも見てよ」
え、どれどれ? と再び紙面に目を向ける。
「『It's gonna be okay!』か、良いんじゃないか? 意味はよく分かんないけど」
「ま、レイは多分そんなことだろうと思ってたよ」
「悪かったね」
「大丈夫。涼子さんに見て貰うから」
「でも響きは悪くないよ」
「そう?」
「次の曲はブラウンシュガーの『It's gonna be okay!』って流れたら何だかカッコいいな」
「カッコいい?」
「うん、オレは気に入ったよ」
ティナはほんの少しレイを見て、
「良かった」と言った。

「で、どうする?」
「何が?」
「今夜、泊まってく?」
「どうしよっかな〜」
 なんて、はぐらかすような事をティナは言っていたが、結局、その晩はレイのアパートにティナは泊まって行った。
 明け方、ふとレイが目を覚ますと、ティナは眠っていて、枕に半分顔を埋めていた。
 肩を抱いて上を向けてやると、枕が涙で濡れている。
 睫毛にもまだ雫が残っていて小さな光を湛えている。
 それがレイには朝露の様に光って見えた。
 レイは肩を抱いたまま暫くティナの寝顔を見ていた。
 気丈な振りをしてたけど、やっぱり母親の事が心配だったんだなと思えて、急に愛しくなった。

 枕元のテーブルには、『It's gonna be okay!』の歌詞が置かれていた。


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