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【コラボ作品】 失恋タクシー その前後

1

【失恋タクシー その前  作 上野紗妃】

 

「どういうことなの?」
立花春華の鋭い声がリビングに響いた。
「いや……、これは……」
永井香介はあきらかに動揺している。
部屋の中をさざ波のように沈黙が支配して行く。

二人を隔てるローテーブルの上にポツンと女物のイヤリングが置かれている。

まさか、こんなことになるとは……。春華自身も驚いていた。

これまでにもそんな予兆が無かった訳ではない。香介との会話の中に知らないワードが出て来たり、普段着の好みもどこか最近違って来ている、何となくだがそんな気はしていた。

女は匂いに敏感だ。今夜この部屋に入った瞬間からその違和感に春華は気が付いていた。

先週は京都にある春華のアパートの部屋で過ごしたから、特に思いはしなかったが、今にして思えば香介の首筋あたりに漂う香りがいつものそれとはほんの少し違っていたかも知れない。

東京の香介のマンション、春華が前回この部屋に来たのは2週間前になるが、その時のことを思い返してみる。

玄関、リビング、バスルーム、洗面所、化粧ボックス、クローゼット、そして、ベッドルーム。それらをひとつひとつ記憶をひもとくように振り返ってみる。

そうだ! ふいに春華は思い付きベッドルームへ足早に向かう。

ベッドの右側、いつも香介の横たわる側だ。その枕元に置かれたサイドテーブル。
そのとなりにある観葉植物。その壁際の足元。
春華はそこに置かれた消臭スプレーを手に取る。缶の冷たさに心が震える。

そうだこの匂い、ここで感じた違和感のひとつ。それが理解できた。

「ただの匂い消しだよ」
この期に及んで香介はまだそんな言い訳をする。

「じゃ、携帯見せて」
「なんでだよ」
「隠しても無駄よ。あのイヤリングといい、部屋の匂いも。ここに誰か来たってことくらい、すぐ判るわ」

香介は観念したように溜息をついて、項垂れた。
「とりあえず、リビングへ戻ろう。ちゃんと話すよ」
 
それは長くもあり、短い話だった。

紀平祐奈。

春華の職場の後輩にあたる。京都に異動になる1年前に入社して来た若い子だ。
少し小柄で子猫のような丸顔によく動く大きな瞳、ふっくらとした唇が印象的で、男性社員からは何かとチヤホヤされている。

胸の大きさを強調させるような服装で愛嬌を振り撒きながら社内を歩きまわる。
仕事が出来る訳ではない。会社のマスコット…というより、ペットのような存在だ。

でも春華は知っていた。女子しかいない場所では祐奈の声のトーンは1オクターブ下がり、無表情になる。

香介が浮気していたことを認めた相手はこともあろうにその女だった。

祐奈は香介に交際相手がいることを知った上で、そのイヤリングを女性しか使わない所へ忍ばせて行ったのだ。
 

それから何を口走ったか、春華は覚えていない。
引き止めようとする香介を振り切って、部屋を飛び出した。


 2

【失恋タクシー  作 小原なな】

中村は、車道の脇で力なく腕を上げる彼女の隣に車をつけてから嫌な予感がしてしまい、申し訳ないけれどやってしまった、と内心で思っていた。
彼女はたいそう疲弊した様子で泣いているわけだが、こういう乗客を乗せるのはこちらとしても疲れるのだ。行き先や道を確認しても何を言っているかわからないし、何より後ろでずっと泣いている人がいたらタクシーの運転手じゃなくとも気になってしまうのが普通だろう。

間違えましたー、と車を発進させる訳にもいかないのでドアを開ける。
「どうぞ。」
彼女がほとんど座席に倒れ込むように乗車してくる。背もたれに完全に身をあずけ 肩を縮めてうつむく彼女は、放っておいたらどんどん小さくなっていつの間にか消えてしまいそうだ。なんでもいいけど、料金だけは払ってくれよ。

「どちらまで?」
「いけるところまで連れて行ってください。」
そらきた。
「場所を言っていただかないと。」
「どこでもいいんです。どこか、ここじゃない所へ。」
ここじゃないどこかへ。悲劇のヒロイン気取りなのかねぇ。
「おうちはどちらです?」
「…京都です。」
「え?」
「京都、関西の…。」
なんでまた関西のお嬢ちゃんが金曜日に深夜の東京にいるんだい。聞きかけたが、せっかく会話できるようになったのに何かを思い出してまた泣かせるのも気の毒なので触れないことにした。中村は、彼女の「どうしようもなさ」が自分の想像以上であることが段々とわかってきた。

困ったな、とりあえず自宅に連れて行けばいいと思ったのに…。見たところ、お金はもっていそうだ。
「じゃあお客さん、こうしましょう。
いまから東京駅近くのホテルまでお送りします。今夜はそこで一晩過ごす。明日になったら新幹線で京都へ帰る。
どうです?」
彼女が反対しないのはわかっていた。一応フロントミラーで後ろの反応を伺いつつも、車は既に東京駅方面へ向かっていた。

道中、突然彼女が何やら話し始めた。しっかりとは聞こえないがどうやら事の経緯を自分に教えてくれているらしい。聞こえてきたことをまとめれば、彼女は職場の同僚男性と5年近くのつきあいをしている。いまは彼女が京都部署へ異動となってしまい、週末にお互いの家を行き来している。今夜は彼女が彼の家に泊まりに来ていた。彼の部屋の見えないところに女物のイヤリングが置いてあったため不審に思い問い詰めると、同僚の女子が何度か泊まりに来ていたことを彼が白状した。しかもその女子は、彼のことを以前より狙っているのだという。
「ほんと許せないのが、絶対わざとなんですよ。だって、わたしの化粧落としのストックに紛れてたんですよ?彼氏が気づかずにわたしだけが見つける場所を狙ったんですよ。ほんと許せない。」 
「それはとんだ夜でしたね、可哀想に。」
「わたし、どうしたらいいと思います?別れた方がいいのかな。」
「彼氏さんのことは、許せるんです?」
「んー、許せない。けど、5年もつきあってるし、なんか1回の浮気だけで別れるのも違う気がする…。」
「自分が遠くにいるのに、その女の子は毎日のように彼氏さんと顔合わせてるのはちょっと不安になりますよね。そのあたりもちゃんと彼氏さんに相談して、ちゃんと話を聞いてくれるかどうか見てみたらどうです?
まぁ私には細かいことはわかりませんけど。」
ついつい親身になって彼女と長話をしていたら目的地としていたホテルに到着した。

「最初取り乱しててすみません。ありがとうございました。なんとかなりそうです。」
「京都までお気をつけて。」
彼女を見送ると、中村はまた夜の東京へタクシーを走らせた。
 
 
 

 3

【失恋タクシー その後 作 上野紗妃】
 

東京駅近くのそのホテルにチェックインし、春華はすぐにシャワーを浴びた。
髪の毛や身体に纏わり付いた嫌なものを洗い流すかのように、シャワーのお湯を全身に浴びた。

ボディソープやシャンプーを必要以上に身体に塗り付け、手のひらで滑らせ丁寧に隈なく身体の隅々まで洗う。

この温かいお湯がすべてを洗い流してくれればどんなにいいかと思った。おそらく気が付かない内に大量の涙を流していたのだと思う。

それは悲しさなのか、悔しさなのか、香介への恨みか、祐奈に対する憎しみなのか、遠距離恋愛に身を置かざるを得なくなった自身の苛立ちか、倦怠感が全身に重くのしかかった。

髪の毛が半乾きのまま、ふかふかのベッドに身を沈めた。
裸の身体を真新しいシーツがやさしく包む。

いろんな思いが頭の中を駆け巡って行く。しかし、不思議とマンションを飛び出した直後よりは冷静さを取り戻していた。あのタクシー運転手のアドバイスが的確だったのかも知れない。

ひとりの部屋で気兼ねなく泣いたことで多少はすっきりした気持ちにはなった。もちろんこれくらいのことで簡単に香介と祐奈を許す気にはなれないが……。

部屋の電気はすっかり消してしまっているので窓の外には東京の夜景が綺麗に映し出されている。

春華はこの街で過ごした日々のことを思い浮かべた。大学の2年生までは寮暮らしだった。
その後友人達とシェアハウスに移り住み、楽しくて画期的だった学生生活はあっと言う間に終わりを告げた。

そして今の会社に勤めた春華はそこでほどなく香介と出会い恋に落ちた。
仕事に慣れない頃はたくさん香介に助けてもらった。辛い時には支えになってくれたりもした。

そんな毎日は忙しくもあり、夢のような毎日だった。

春華が香介のマンションに泊まりに行くようになるまで、それほど時間はかからなかった。
二人の相性はぴったりだとお互いにそう思っていた。これが恋だとも。

それ以来特に波風も立たず、香介との関係は5年近くの月日が流れた。

交際を公にしていた訳ではないが、社内ではそれとなく周囲の者には知れ渡っていたはず。
いくら新人とは言え、そういう方面に敏感であるはずの紀平祐奈が知らないはずがない。

今年の春、京都の部署へ異動となった時、迷ったものだが、すぐに結婚や退職などとは行かず、二人でよく話し合い、当面の間、遠距離恋愛をすることにした。

それがたったの半年で、こんな事になるなんて、まったく思いもしなかった。

考えれば考えるほど、心の深い部分で複雑な感情が渦を巻いて、さまざまな記憶や風景が現れては消えて行く。
それが最後にはあのイヤリングに結び付き、紀平祐奈の笑顔がオーバーラップしてしまう。

離れてしまえば、男は皆、他の女性を求めてしまうのだろうか。
香介に限ってまさかそんなことはあるまいと思いこんでいた。

今更ながら自分が哀れで情けなかった。
春華は泣きたいだけ泣き尽くすと疲れ果てて深い眠りの世界に落ちて行った。
 

翌日、いつもの時間に目覚めてホテルの朝食バイキングで腹を満たした頃には春華の気分も一段落していた。

スマホの電源は昨日の夜から消したままだ。今日一日はこのままにしておこう。

さてと、このまますぐに京都に帰ってしまうのももったいない気がした。
せっかく東京に来たのだから何か買物でもして行こうかしらと、ぶらり銀座に出てみた。
そしてその日の夕方まで春華はお一人様の身軽さと自由さを満喫した。

香介とのことは一時棚上げにしておいて、ショッピングをしてランチをしてスパにも行って、最後はTOHOシネマズで流行りのミュージカル映画を観て楽しんだ。

そして、そろそろ京都に帰る時間になり、再び東京駅に戻った。
新幹線のチケットを買いホームに向かおうと人混みの中を歩いていた時、春華はその二人連れに気が付いた。

向こうはこちらに気付いていない。女は紀平祐奈、小さな旅行鞄を手に持って楽しそうに隣の男と夢中で話をしている。

一緒にいる相手は社内一のモテ男である牛島課長だ。
確か牛島には妻子がいたはず。
驚きはしたが、その組合せは意外ではない。
二人は見るからにどこかからの旅行帰りに見える。
不倫旅行ということか。

「このクズ女!」
春華は心の中で毒吐いた。

少しばかり香介が哀れに思えたが、許すとか許さないは、また別の話だ。

帰りの新幹線の中で、春華は思い切り音を立てて缶ビールのプルトップをあけた。
ビールの泡がひゅっと音を立てて、左手を濡らして床に零れて落ちた。
 


終わり




注 この作品は小原ななさんの「失恋タクシー」にsakiuenoがその前後の話を加えたコラボ作品です。
ななさん、ありがとうございました。


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