見出し画像

モノに込められるもの

私は言葉が苦手で、うまく言葉にして伝えることが
できないことがある。
人からのコトバに支えられたり・励まされることは
たくさんあるし、
人が誰かにかけるコトバに感動することもある。
コトバを適切なタイミングで適切に伝えられる人を
心から尊敬する。

だって、自分にはないものだから。
とても大切で重要なことだと思う。

そんなコトバが不得意な私は、
何が自分は得意かなと考えたときに、
モノに込められてる感じを受け取る
そんなことが好きかもしれないと思う。

それは、ちゃんと暮らしの中で手作りのものの良さと、
既製品の便利さを伝えてもらってきたからだと思う。
うちの母の実家は、元々質屋だった。
だから、祖母も母も物の質の話をよくしていた。

編み物は祖母・縫い物は母という感じで、
服もよく作ってもらった。
素材は何がいいかと布地屋さんに買いに行ったり、
夏は浴衣の生地をリメイクして麻の涼しい服を
作ってもらったし。
冬はウールの毛糸でセーターを編んでもらった。

食事も祖母と母の作ってくれるものが殆どで、
お惣菜やレトルトは殆ど食べてなかった。
お菓子も食べたけど、祖父母の家では仏壇に
お供えされている団子やら練り菓子を食べさせてもらった。
私の住んでいた地域には商店街があったし、
定期的に市場が立つようなとこだったので、
手作りのおかきや和菓子もよく食べていたなと思う。

だから、一人暮らしを始めても食べたいものが
手作りのご飯なのだ。
惣菜を美味しいと思えるのは、
スパサラとかいなり寿司とか、
家でも買ってきて食べていたもので、
他のものを食べても満たされなくて、
結局自炊をするようになったり。
面倒な時は外食してしまったり。
そんな風に刷り込まれたものが、
その人をつくっていくというのはあると思う。

そして、私は家族でよく『 山の家 』
と呼んでいる掘っ立て小屋に
家族で滞在する習慣があった。

その家では、水は山水で水道はなし、
ガスも通っていなくて、薪で湧かす風呂と、
七輪で作るご飯。
カセットコンロが有り難かった。
電気はかろうじて通っていたけど、
ライフラインはその一本。

ある意味キャンプ場のような感じだった。

だから、薪で湧かす風呂の熱さや熱量も
山水の冷たさも、七輪で焼いた魚の美味しさも。
色んな本物を体感できていたなと思う。

それらは、私の大切な財産の一つ。
最近、一人でキャンプに行ったりするけど。
あの落ち着き感とホッとできる感じ…。
そんな中で使う道具もやっぱりホンモノが好きだ。

最近行ったキャンプで感じたモノの話はコチラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?