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仕事と家庭のはざまで、育休 1 年がくれたもの

陽だまりのようだった育休 1 年。
この 1 年が、私の人生にあった意味が、ようやくわかったかもしれない。

この 1 年、育休という日々を過ごしてきて、そして、これから仕事復帰というはざまに立って。 

心を豊かにするために、生きているのかもしれない

という気付きが、ふと、舞い降りた。

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この 1 年、いつもは素通りする心や感情を、丁寧に拾い、言葉にしてきた。

やらなければならない仕事に追われていた日々の、せわしさから、ふっと、切り取られたような、この 1 年は、小さな自分の心の真髄に触れ、感じることを、そのままに、大切にしてこれた。

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それまで私は、次から次へとふりかかる仕事に向かうなか、どっちだろう、と、分からなくなっていたことがあった。

休日の家族との時間を楽しむために、働いているのか。
それとも、仕事自体を楽しむために、働いているのか。


もともと仕事は好きだった。
結婚前は、一日中、働いていて、それが楽しかった。

でも、前回の長女の育休から仕事復帰したとき、単身赴任をしていたこともあって、やりたい仕事をする時間がほぼなくなり、やらなければならない仕事ばかりに追われる日々になっていて、分からなくなっていた。

そしてこの育休 1 年。心の琴線に触れながら過ごしてきて、考えたこと。

私が求めていた、「生き方」のこたえは、仕事か家庭か、という、この二択の選択肢にはなかった。

むしろ、自分の求めていたこたえは、まったくべつのところにあって、
仕事も家庭も、どちらも、「自分の心を豊かにするために」している、
というのが、こたえだったんだ。


仕事や家庭といった、あらゆる側面をもつ自分というものを、ただひとつにしたものが、心というもの。
その心を、豊かにするために、生きているんだ。


私の仕事は研究職という職業柄、非常にわくわくするものだ。
一方、家庭は、それはもう、かけがえのない幸せなもの。

そんなふうに、仕事と家庭は、どちらも、まったく別の感情を生み出すもの。
でも、どちらも、自分の心という、自分のただひとつの本質を、彩り豊かにしてくれる

結婚前は仕事 100% だった。育休中は家庭 100% で過ごした。これからは…。

その時々で、自分が最も心豊かに感じるバランスを、選択して生きていけばいいんだ、と知った。



こう考えることで、今、自分がこの瞬間に、「生きている意味」がわかったように思う。

心を豊かにするために、生きているんだ、と。


以前、「生きる意味」について、書かせてもらったことがある。
その記事では、「好かれるために、生きているのではないか」と書いた。


その記事で表現した考えは、今もそのとおりだと思っていて、自分のなかで大切に抱いている考え方だ。

でも、そのときは、「生きる意味」を考えていた。
“これからの、将来のことも含めた” 生きる意味。

一方で、今、私がここで、考えているのは、“いま、この瞬間に”「生きている意味」。
“これから” のことではなくて、“いま、ただこの瞬間に” 自分が在る意味。

その「生きている意味」は、私の場合、
心が豊かでいることだった。


前の記事で書かせてもらった、これからの「生きる意味」を考えたとき、これから先の人生のことも考えていたから、生きていくうえでの、目的とか、そういったものを考えた。それが、「好かれるために、生きている」というものだった。

そして、生きるにはいろんな人や物との関わり合いで、できているから、「好かれる」とか「好きになる」いった「対象」が必要だった。

でも、今、ここで、この瞬間を「生きている」という意味を考えるとき、自分がただ、今ここにいるだけの意味に、目的とか目標とか、そのほかとの関わり合いは、とくに必要なくて、だから「対象」のようなものが必要なかった。

それはたとえば、周りにだれもいなくて、ただ、自分ひとりだけで、一面の果てしない星空を見上げているときに、あぁ…きれいだ…と心が豊かになるときに似ていて。

ただ、自分の心が豊かでいること。
そのために、いまこの瞬間を、生きている。


そして、生き方でどうすればいいか見失いかけたときは、心を豊かにするような選択を、していけばいい、と思った。

仕事も家庭も、自分の心を豊かにするために、行なっている。

どちらか、という「二択の選択肢」に問うのではなくて、
こたえは、すべての自分をひとつにしている、「
自分の心の豊かさ」に問う。


そして、そんなことをぼんやり考えていると、毎日くだらないことで大笑いしたり、ときには、ガラクタみたいな高価なものを買ってしまって、うひょー♡と舞い上がることも、自分にとっては、心が豊かになることで、必要なことだったんだ、と肯定できるようになった。

なんというか、自分が幸せを感じることに、無意味なものはない、と思えるようになったというか、自分で自分を、すべてにおいて幸せでいさせてあげられる世界をもてるようになったというか、そんな感じ。

これが、私の育休 1 年で得たこと。

心を豊かにするために、生きている。
その生き方の指針を得るために、陽だまりのような育休 1 年は、私の人生のうちに、あったように思う。

これから生きていくうえで、いろんな過ごし方を選択していく必要があるなか、私にとって、大切な本質を、見つけたように思う。

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