見出し画像

再現ならずの焼き飯

15年前、中国へ行きました。

修学旅行だったので、自分では食事を選べませんでしたが、ほぼ毎食ごくシンプルな焼き飯が出てきました。夕飯に、ちょっとそれを真似してみました。

雑穀を混ぜて炊いてあったので、ほのかに にぎやか。

このように具は玉子くらいでした。ネギが入っていたとしても存在感はあまりなかった。塩気はとても薄かったです。パラパラ具合は前回の焼き飯に近い感じ。(今回私はそれを再現できてはいません)
味の濃いおかずもいろいろと並ぶので、主食は主張の少ないものにしていたと思います。

現在日本で好まれ食されている中華料理のほとんどが、中国で中国の人が食べているのと同じではない、というのは周知の事実です。
現地のごはんは、日本的味覚の持ち主たちが心からおいしいと思えるものもあれば、もっと幅広い味のものもあります。幅広い味というのはつまり味覚の全方位に広くて、理解を超えて複雑だったり、極端に感じたり、味らしいものはほとんどないと思えたりする料理もありました。
見聞を広めるってこういうことなのかと合点がいきました。

一つひとつについて特に説明はなかったので、
「いま、私は、何を食べているんだろう」
の時間が毎回ありましたが、北京ダック(北京烤鴨)ははっきり覚えています。めちゃくちゃおいしかったです。そんな素直な感想を持ったことに自分で驚きました。基本的に私は旅先の食事に対し、警戒心を抱きこそすれ、期待は控えめなので、余計に感動したのだろうと思います。

あと、ホテルの朝食のマントウ(饅頭)が、これまたシンプルで気に入りました。主食らしく甘みも塩気もなく、日本の中華まんの生地よりだいぶ密度がありました。ふわっ ほやっじゃなくて、ギュ。モギュ。

昼と夜は出先で、8人ほどの生徒のグループに分かれ、回る円卓に並んだ大皿から取り分けるスタイルで、朝だけバイキングでした。全部楽しめました。
全日程が北京周辺でしたが、中国の別の地方へ行ったらまた全然違う体験をしただろうと思います。

食だけが勉強になったわけではありません。
バスで移動しているだけで、とにかく北京の街の古いものや新しいものが一緒くたに目に飛び込んできて、知恵熱を出しそうな勢いでした。目の前で、古いものが新しいものに取って代わられようとしていると感じました。それは経済、文化、建築ほか、人々の生活のあらゆる分野についていえることのようでした。
今年も冬季大会が行われましたが、2008年の夏季大会は中国でのオリンピック開催が初めてだったこともあり、社会としてもとりわけ大きな変化を必要としたに違いありません。その前夜ともいうべき時期に訪れたので、目まぐるしい発展の過程を垣間見て、なかなかすぐには受け止めきれなかったのを覚えています。

どの土地でも、いわゆる発展とはよいことばかりではなく、さまざまなものを犠牲にして遂げてゆくんだと気づかされました。私はその人為的な激動に対して何の意見も述べるつもりはないですが、その事実を知らずにいるよりは、知ってよかったと思っています。


Cookin'Coffeeのお店はこちらです

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?