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#064.傷つくことに意味はあるか。

「ねぇパパ、なんか足痛いねんけど」

枯れ木のように細い足をさすりながら、家から離れた中学校に通う次男がいう。

「それは、お前がいっぱい歩いたからや」

バスと電車を乗り継ぎ、学校までの道を一生懸命歩いている。

普段、ほとんど運動しない彼だから、なんてことない距離を歩くだけでもかなりの負荷がかかるのだ。

「筋肉痛やな」「筋肉痛って?」

筋肉はな、いっぱい使ったら傷つくねん。炎症起こすから痛いねんけどな、休んだら修復して、前より強くなんねん。

ほんでな、どんどんカラダがごっつくなっていくねんで。

「ふーん」

そう言って、彼は大好きなゲームの世界に帰っていった。

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彼がまた、こんな風に学校に通えるようになるまでには、ほんとうにさまざまな出来事があった。

決してイージーな日々ではなかった。私も家族も大変だったし(今もまあまあ大変)なにより彼がいちばん辛かったことだろう。お互いに、ずいぶん傷ついたと思う。

傷ついている最中というのは、あまり痛みを感じないものだ。それはあとからやってくる。そして、強烈に、否応なく向かい合わされる。

しかし、どれだけ辛くて悲しくてやりきれなくても、いつしか傷は癒えるのだ。たとえ時間がかかったとしても、それを乗り越えたあとには強さが残る。


痛みのともなわない成長などない。


いつか彼の足も、木の幹のように太く逞しくなるのだろう。
少年よ、強く生きるんだ。広いこの世界、お前のもの。


ほな、また。


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