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読めない本を読むということ

令和になりましたね。
元号が変わる瞬間を僕は八ヶ岳にてゼミの仲間と語らいながら迎えました。
東京大学前期教養学部の学藝饗宴というゼミで、思想や哲学から建築やAI、音楽に美術まで幅広く学ぶ、まさに教養学部のゼミと呼ぶに相応わしい集まりです。
このゼミに僕はかつてゼミ生として所属し、昨年度にはバタイユの紹介をする講師として呼ばれ、現在は非公式のSAという形でお手伝いさせていただいています。

さて、今回の八ヶ岳合宿では、以下の3冊が事前の課題図書になっていました。
・エミール=ゾラ 『パリ』
・三島由紀夫『金閣寺』
・ガストン=バシュラール『蝋燭の焔』
それぞれ名著であり、拙速で合理的な美しさが求められた平成という時代の終わりに相応わしい書たちであるといえます。ノートルダム大聖堂が焼け落ちたことも奇妙に呼応しています。
これらを読むのは、東大の1,2年生です。ここで彼らは壁に当たります。
バシュラールの『蝋燭の焔』は、意味がわからない。読めないのです。

本が読めないとはどういうことか。実感いただくために、以下に冒頭の数文を引用します。

この単純な夢想の書において、いかなる知識の重荷を負うこともなく、一貫した探求方法の制約に従うこともなしに私が望んだのは、一連の短章のうちに、ひとりの夢想家が孤独な焔を見つめるなかから夢想のどんな更新を手に入れるか、ということを述べることであった。夢想を呼び起すこの世にあるかぎりの物象のなかでも、焔は最大の映像作因のひとつである。焔は、われわれに想像することを強いる。焔の前で夢想しはじめる時、ひとが想像しているものから見れば、ひとが知覚しているものなどなにものでもない。

この調子で本書は蝋燭の焔にまつわるイメージから詩学を説きます。

『蝋燭の焔』は現代的かなづかいの日本語で書いてあり、単語を理解することはできます。それでも、恐らくみなさんも感じたとおり、この本は意味がわからなくて読めないのです。これは冒頭のみを取り上げているからではありません。全体としてこのような文意の読み取り難い表現が続いていきます。僕も初見では全く意味がわかりませんでした。

なぜこの文章が読めないのか?その理由を分析してみましょう。
単語がわかっていても文意が取れない。これはつまり、単語同士の関係性をわかっていないということになります。単語同士の関係性がわからない背景は以下の2通りがあり得ます。
①本来は間に入るべき単語があるにもかかわらず省略されている
②単語の意味が私たちの知るものとは違うかたちで運用されている
そして実際には、このどちらもが入り混じっていることで初見では読めない文章となっているのです。

逆にいえば、省略されている文言とその文章特有の語法が理解できれば、難解な文章でも読むことができます。たとえば前述の文章であれば、「いかなる知識の重荷を負うこともなく、一貫した探求方法の制約に従うこともなしに」という文言はフッサールのエポケーの姿勢が背後に想起されています。「焔は最大の映像作因である」という表現は、バシュラールにとっての焔がエンペドクレスの提唱した火・水・土・風の四元素のうち火に属するもので、最も純粋に生そのものを意味する存在であったことを内包しています。
文量の都合で端折ってしまったために不完全ですが、これらに関係する知識があれば先ほどの文章を理解して感動することができます。

では、方法論としてどのようにすればこのような読み難い本を理解することができるのでしょうか。
ここで僕が勧めるのは、「論文を読む」ということです。

例えば『蝋燭の焔』を読みたいとします。この本は尊敬する方が推薦した課題図書で、恐らく自分にとって意味のある本でしょう。なんとしても読みたいが、最初の10ページを読んでもわからなさすぎて何も残らなかった。
こんなとき、その本を強引に読み進めるよりもまず僕は、バシュラールの思想を徹底的に吸収します。幸いにも日本人は日本語で研究を行い論文を書いてくれているので、フランス人であるバシュラールの思想も日本語に訳されて注釈や解釈が施されています。
論文は思った以上に簡単に見つかります。まずはGoogle Scholarにて「バシュラール 」「バシュラール 蝋燭の焔」など検索してください。そのうちいくつかはオンラインで論文を読むことができます。
また、Google検索で「バシュラール filetype:pdf」と調べるとウェブ上にあるPDFファイルのうちバシュラール という言葉を含んだものが出てきます。これも論文の可能性が高いです。
論文は査読を通過するために明解な論理展開で書かれている場合が多く、日常的な感覚で読み切ることができます。そして、対象の人間や本が含む思想について、それが学問的にどのような意味を持つのか端的に分析しています。

例えばこちらの論文を読んでみてください。
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=41683&item_no=1&page_id=28&block_id=31

橋爪先生の“ガストン・バシュラールにおける生と死のイメージ : 『蝋燭の焔』および『火の詩学 断章』を中心に”(2012)という論文です。
ここでは『蝋燭の焔』がバシュラール思想において時系列上でどのような意味を持つのかが端的に解説してあります。また、バシュラールにとっての詩学や焔や科学的思考が持つ意味も理解することができます。そう、バシュラールが省略した内外の過去の思想や彼固有の語法がここにまとめられているのです。

実際に『蝋燭の焔』と格闘したとき、ぼくはバシュラール研究の論文やそこから派生してフッサールの思想の概要、あるいは教授が個人ブログで書いた論考なども読み、一晩かけて下地を整えました。
そして『蝋燭の焔』を読んだら、あまりに素晴らしくて、鳥肌が立ったのです。彼の生き様がぶつけられたような終章には泣けました。

読めない本を読むということ。それは遠大な冒険です。入念な準備をして、時に回り道に進み、やがて見えてくるのはあまりにも美しい景色なのです。

どうか、困難な書にあたったとき、歩みを諦めないでください。なぜ読めないのか分析し、先人の知恵をもってそれを切り開いてください。そうして得られたものはあなたの知性の血肉となって、明日を潤します。

一緒に、面白い本を読みましょう。

 

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