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#21 消費すること、されること

こんにちは。sacaikumiです。

この「考える」マガジンでは、私が関心を持ったトピックを幅広いテーマで自由に書いています。

昨日、コロナで自粛生活を始めてからここ2ヶ月弱の自分の消費傾向について振り返ってみました。

この期間に買った"ちょっと良い"もの

・珈琲屋のコーヒーとモカポット
・紅茶
・MARVISの歯磨き粉
・Dr.Vranjesのアロマディフューザー
・iPad Pro
・Haeckelsのシャンプー・コンディショナー
・Haeckelsのキャンドル
・kowtowのニット
・Freddies Flowersのお花サブスクリプション
・作家さんの手作り花瓶
・LEUCHTTURM1917のノート

追加で買いたいもの

・ヨガマット(欲しいモデルが品切れ中)
・Lunyaのパジャマ
・Bluetooth スピーカー
・Aeronチェア
・トレーニングウェア
・スカーフ(欲しいモデルが品切れ中)

"ちょっと良いもの"の基準は、大量生産されていないか、あるいは、ポリシーやこだわりをブランドとして掲げた上で丁寧に生産されていること。お勧めしたい気持ちも込めて、極力ブランド名も添えました。

こうやって見返すと、家で過ごす時間を豊かにするための消費が圧倒的に増えました。仕事の合間の飲み物、見慣れた部屋の景色を彩るもの、ちょっとした癒しの香り、勉強意欲を向上させるもの、などなど。

私を昔から知っている友達に「それ、前からじゃん!」と言われてしまいそうですが、それでも沢山の物を買い揃える必要がなくなった今、必然的にひとつひとつ良いものをじっくり吟味して買う傾向に拍車がかかっているような気がします。インターネット上では比較が容易いことも背中を押してくれています。

反対に、これまで私のメインの購買対象のひとつだった洋服はこの期間ほとんど買っていません。私は服が好きだけど「服を着て、なりたい自分を作り上げて、誰かに会う」その一連の行為がひとつのセットだったのだと思います。あともうひとつ、自分のポリシーとしてなるべく試着して・あるいは本物を手に取ってしっくり来た物を買いたいという気持ちが強く、どうにもインターネットで高価な衣類を買うことに踏み込めないでいます。何もわざわざ高価な服でなくても、と思う方もいると思います。でも、安いものをワンシーズンで消費するという購買サイクルを断ち切るなら今以上に適した時期は無いと思うのです。

消費しているようで、消費されている私たち

ここ10年くらいで私たちは「安くておしゃれな服」を簡単・便利に手に取れるようになりました。ファストファッションは、急に特別なTPO向きの服装が必要になった時、一度しか使わない衣装が必要な時、流行に沿った装いを気軽に手に取りたい時など、ありとあらゆる場面で便利に働いています。私もここ10年くらい沢山活用してきました。20代前半までは色んなテイストの服を着て自分らしさの軸を定めるのに大いに活用していたし、ここ最近も、本当に大事なよそ行きの服を悪くしてしまわないために、オフィスへ行くだけの日に着たりしていました。

ベーシックとトレンドが安く手に取れる。トレンドが移り変わる頃買った服はすでによれ始めているけど、その時はまた新しいのを買えばいい。この考え方は、ぐるぐるとトレンドの円を廻り続けるファッション業界を少ない持ち物で追い続けようと思った時に結構効率的なんですよね。10年、20年後の再流行の時のために大事に取っておこうという考え方で過ごすとクローゼットは数年でパンパンになってしまうから。今流行りのミニマルな生き方との相性も良いわけです。

でも、そもそもトレンドに沿った装いを追い続けないと干からびたように感じられてしまうようなファッションを追い続けている限り、本当の意味で社会に消費されているのは私たちなのではないでしょうか。自分だけの身体を纏う神聖な衣類達を、どこか誰かの大人の都合で決められたトレンドという見えない波に支配させる必要なんて本来無いんじゃないでしょうか。それは、他でもない私自身のために。あなたの纏う服が、実はウェアブランドのマーケティング戦略だとか売上目標なんかにコントロールされいるなんて、ちょっと悔しくないですか?

あなたがあなたでいるための装い

とはいえ、服を選ぶのはすごく難しいですよね。私が知る限り、自分自身を理解した装いに長けている友人達は皆だいたい洋服自体が好きな人たちばかり。スポーツを好きな人がスポーツをするのも得意なように、服が好きな人たちはやっぱり知識も多く自分を華やかに魅せるのが上手。見様見真似で実践するには難し過ぎる!と感じる人も多いと思います。

でも、服を手に取るときって「なんとなくこれかな」っていう感覚が大なり小なり誰しもにあると思うのです。そこまで明確でなかったとしても、「レースの服を手に取りがちだなぁ」とか「体型が見える服が好き/好きじゃないなぁ」とか「白い服が好き」とか。潜在的に意外と多くの人がこれは似合いそう、似合わなさそうのバランスシートを頭の中に持っているように感じます。

その、無意識的に持っている頭の中のバランスシートを意識の上に持ってくるだけで、あなたが知るあなたらしさの参考資料はぐっと増えます。お洒落するという言葉を使うと抵抗がある人も多いかもしれないけれど、自分の心が居心地の良い服を手に取る、ということは意外と多くの人が既に出来ていて、皆が意識的に服を選んで行けば、物理的にトレンドという指標がなくても、一人一人が自分に合った一着の服ともっと長く付き合えるのではと思っています。(私はファッション業界の人ではないので、大人の事情としてトレンドが必要な意義については考えないものとします。あくまで主張のゴールは、ひとりひとりが1着の服と過ごす時間を伸ばすことにあります。)

私がもし、あの人だったら。

最近、私がコロナが落ち着いた後どんな服を纏いたいか考えるにあたり、他人を自分に当てはめてみるということを試みています。他人というのは誰でも良いわけではなくて、私の場合は同性で、自分の少し先を行く理想のライフスタイルを送っている人たちです。ややこしいけれど、例えば自分がその憧れの人だったとして、その憧れさんが今までの私の考え方で少し妥協した衣類を着ていたら、今の私は結構残念に思うだろうな、という考え方。「今の私がこんなに良い物を着るなんて、ちょっと背伸びなんじゃないか?」という懐疑心を断ち切るのに有効です。なりたい自分が見えているならそれに抗う選択をとって良いことなんて無いだろうと考えられるから。

消費のスピードを落とすこと

平成時代を丸々生きた私から見て、これまでは消費する・されるスピードが凄く速い時代だったように思います。

服だけに限った話ではありません。話題の芸人、俳優、タレント、歌手、バンド、アイドル、、めくるめく変わっていく有名人達。彼・彼女たちひとりひとりの人生が消費の渦に飲み込まれてゆくのを、無感情で見届けていく私たち。自分が消費の渦に飲み込まれる方だったらと想像するとゾッとします。

スマートフォン、パソコンなどの電子機器も毎年ちょっとずつ進化した新しいモデルが出て、私たちを一週間くらいにぎわせてくれていました。

ひとつひとつがはかない打ち上げ花火のような世界で、その眩さに慣れていたわたしたち。

無意識に新商品を手に取り、気付いた頃にはもう販売されなくなっていて、あーあと思いつつも5分後にはもう忘れている。物との繋がりが薄く淡白な時代でした。

コロナで経済という時間がストップしたことで、花火が打ち上がらないことを淋しく思うか、見えるようになった星々たちを迎え入れるか選ぶなら、私は後者を取りたいです。目を凝らさないと見えないかもしれないけれど、ずっとそこに居てくれる安心感が欲しい。

この期間が無意識的に社会に消費されてきた私たちが自分を取り返す時間となったら面白そうだとワクワクしています。

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