詩は小説よりも濃いのか
詩について書こうと考えていた。学生の頃から小説家を夢見た私。詩は書けなかった。なぜだろう。よくわからない。
家内を亡くし、書くようになった。声が聞こえる。10年ほど前、別サイトで人気だった。揺さんに描いて頂いた絵の力は大きいが。
それまで、茫漠とした想像世界を丹念に描写することへ取り込まれていた気がする。
詩を書くと、緻密な描写は圧縮され、リズムとテンポに合わせて踊りだす印象だった。
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今は、note仲間の詩を楽しんでいる。
aria.さんの詩は簡潔だが惹き込まれていく。行間に無限の広がりを感じるのだ。
コメント欄のやり取りが興味深い。それぞれの感性に合わせて解釈は広がっていく。
aria.さんの返しも絶妙だ。詩の奥行きはさらに深まっていく。詩に使われる【ボク】と相俟って別の波紋が波立つように感じる。
みつまさんの詩には物語がある。波乱万丈の長編小説を圧縮して、弾けさせた印象だ。
日本には叙事詩がない。漢詩は天下国家を論ずるから大説。俗化して小説。なんてことを入試の知識で教えている。
叙事詩ってなんだろう。改めて考える。抒情詩と分ける必要あるのか。みつまさんの詩は両方を兼ね備えているように感じた。
最後は大空ひろさん。アイスホッケーを応援なさっているスポーツマンスピリットの方。
激しい当たりをすり抜け、洗練されたフォームから美しいショットが繰り出される。ひろさんの詩はそんなイメージが湧く。
私たちは【正しい評価】という幻想に取り憑かれている。入試の呪縛。正解があると騙されたまま社会へ出てしまうのだ。
正当な評価なんて存在しない。ただ、自分がそう信じ込んでいるだけの幻影である。
詩も小説も、どう読んで何を感じるかで自分がわかる。ただ自分を知るために読む。批評は執着の露呈に過ぎないのだ。
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