25/06/2020:『Outro Lugar』

浜辺 1

漁師である父のように、僕も将来は漁師になるつもりでいる。僕が生まれ育ったこの浜辺の村は、父さんが生まれ育った村でもあるし、そうすることが当然であるように思えた。

「僕は、高等科にはいかない。もう港で働こうと思う。」

と、父さんに打ち明けた時、

「そうか。なら明日から来い。」

と、言われただけだった。儀式も口上もない、寝る前の挨拶ついでに契約は結ばれた。

大陸から細く突き出た半島。その先の方にあるこの浜辺に住むほとんどの人は漁業関係者だ。漁獲量はそれほどでもないらしいし、村もこんなに寂れているのに、なぜか成り立っている。それは、この半島でしか釣れない魚がいるからだ。

でもその魚は、10年に一度釣れるか釣れないか、というほど珍しいわけではなく、割と釣れる。しかし、おもしろいのはこの地域ではその魚は食べないこと。だから全て遠いどこかの国に運ばれていくことになり、それで僕らは生きていけるということになる。

そのための大きな船が定期的に港へとやってくる。船体には僕の読めない字で、発音も分からない言葉が書いてあって、そのまま船を見上げると、中央には洗練されたデザインの国旗がはためいている。

僕はその国がどこにあるのかも知らない。ただ、決まったペースでやってくる船に、父さんとその仲間たちは、せっせと魚の入った水槽を積み込む。

学校へ行っていない僕は、その作業を手伝う。朝から晩まで、汗だくになって。

                  ・・・

街 1

教会の鐘が鳴る。真昼を告げる鐘でもなければ、夏至の到来を祝うものでもない。今鳴っているのは、彼女のために鳴らされた鐘だ。

いきなりの事で私の心はまだ整理がついていない。どこに何が置いてあって、どの引き出しに何を仕舞っていたのか。頭の悪い泥棒に荒らされた書斎のようだ。

葬儀の後、彼女の家族に招かれた。私の街は割と大きな地方都市だが、年寄りばかりが住んでいるせいか、保守的な風習を重んじる人が多い。特に、誰かが亡くなった場合には。

家に着くと黒い服を脱ぎ、人々は真っ白な服に着替える。女性はワンピースが多く、デザインに多少の自由は認められているものの、縫糸や飾りも白で統一されていなければならない。男性は白いシャツに白いズボン。基本的には麻だ。靴も白くなければならず、これは女性も同じだ。

そして、私たちは亡き人を弔った晩、魚を食べる。白ワインとオリーブオイル、ローズマリーで香りづけされただけのシンプルな大皿。オーブンから取り出し、生前故人と愛し合う関係にあった人間がそれを取り分ける。

つまり、私だ。

骨が少なく、手順を間違えなければ綺麗に身がほぐれ、均等にみんなへ配ることができる。

こんな魚は私の国では捕れない。幼い頃、母に聞いたところによると、大陸を隔てたちょうど反対側の海からやってくるらしい。漁師たちがせっせと大きな船に水槽を運び込み、生きたままこの街の市場へと運び込まれる。

そして、我々は、誰かが亡くなる度にそれを食べる。

母にその話を聞いた時、彼女は白いドレスを着て魚を取り分けていた。

私は、泣きながらそれを食べたのを覚えている。

そして今も、その時と同じように魚を食べている。

涙が流れないのは大人になったからだろうか。

                 ・・・

浜辺 2

子供たちが楽しみにしているのはー僕も含めてー、船員たちが持ってくる遠い国のお土産だ。おもちゃや衣服、この村には売っていない甘いお菓子。父さんたちはお酒やタバコを仲間と一緒に分け合う。

ある日、僕は港のフリースペースに一冊の本を見つけた。異国の土産物は船員たちがそれぞれ有志で、テント内の大きなテーブルに置いて行ってくれる。中には「捨てるくらいなら。」といった風のものもあって、全部が全部引き取られていくわけではない。

紺色のハードカバーに金色の字で何かが書いてある。背表紙にも同じ字が並んでいる。もちろん僕は読めない。何度も何度も読まれた後があって、よっぽど船旅は長くて暇なのだろうと思った。

開いてみた。そこにはページいっぱいに文字が並んでいる箇所もあれば、何やら数字や記号、絵が描かれているページもある。そして、写真もふんだんに織り交ぜられていて、何かの指南書・記録みたいだった。

「父さん、この本、貰ってもいいかな。」

と、父に聞いてみると、

「字も読めないのに何を言っているんだ。」

と、言われた。そう、僕はまだあまり字を読むのが得意ではない。だから外国語で書かれた本など読めるわけがない。

でも、

「写真とか絵もあるし。明日からの漁もがんばるから。」

と、説得してなんとか許可を得た。

僕はこの本を手放すことはどうしてもできなかった。

だって、この本に描かれていた絵、それはここでしか捕れないあの魚の絵だったのだ。そして、もっと目を引いたのは、写真に映る、白い服を着た人たち。

大切なことが書かれているような気がしたからだ。

                  ・・・

街 2

愛する人を失った時、どうして我々はこの魚を食べるのか。母に聞いてもわからなかった。祖母にも聞いたが、答えは母と同じだった。

「昔から、そうだったからねぇ。」

私はどうしても知りたくなり、大学の図書館をあたった。街の歴史に関する棚に本は少ない。小さな街だから。と言っても街ができて500年ほどにはなるだろうか。それなりの歴史があるわけだからと丁寧にページをめくった。しかし、どこにも、どの本にも魚についての記述がない。

不思議だ。これほど生活に根付いているのになぜ。

諦めることはしない。彼女が亡くなった今、私の心を整理するには何かに集中しなければならないのだ。

図書館にない情報がある場所。そこは昔から決まっている。

私は教会へ向かった。

                  ・・・

浜辺 3

今までは漁の後、そのまま海に残ってしばらく泳いだり、浜辺を散歩したりして過ごしていた。学校が終わる時間になると、昔の友人たちも集まって遊んだりもした。

しかし、最近は仕事が終わるとまっすぐ家に帰り、例の本を夢中で読む。もちろんないが書いてあるかはわからないが、詳細に描かれたデッサンには、実際に港でみるあの魚よりも迫力が感じられたし、写真の中に映る人たちの表情には神秘的な雰囲気があった。白い服を着てた人々の中には笑顔を見せる人は一人もいなくて、みんな粛々とその空間にいるように見えた。

「僕らが笑いながら捕っている魚を、どうしてこんな難しそうな顔で食べているんだ。」

と、僕は少し憤りを感じたりもした。

                  ・・・

街 3

神父の書斎には、壁一面に本がびっしりと詰まっており、その中から一冊を引き抜くと、ペラペラとめくり出した。

「生まれ変わりや黄泉がえり、という概念を聞いたことがありますか。古代より、亡くなった人の魂が違う形を持って現世で生を受けたり、、あるいはそのままの姿で現れる。そんな現象、思想みたいなものは世界中に見受けられます。」

あの日、鐘を鳴らしていた神父はそう言った。

「数多見られるそのような信仰の中に、一体化、というものがあります。亡くなった人が、残された人々の一部となり、その体の中に宿る。そして、その人と共に生きて、歩んでいくのです。この街で、あの魚を食べるというのは、そういう意味合いがあるのではないでしょうか。確か、ここにもっと詳しい記録が・・・、」

「いや、そこまで煩わせるわけには。ありがとうございました。」

そこまで聞けばもう十分だった。その先は自分で整理しよう。自分の書斎だ。

教会を出て、大通りの一本手前の小さな路地を歩いていた。

ふと通りの家に目をやると、白に包まれた食卓が目に入った。人々は静かに、音もなく、魚を取り分けていた。その静謐な営みは、一種の崇高さを感じさせるものだった。

しかし、私と違ったこと、それは彼らがとても穏やかな表情でいることだった。決して喜んでいるのとは違う。楽しんでいるわけでもない。ただ、緊張感のある食事などではなく、一人一人がゆっくりと、その空間に身を任せて、魚を口に運んでいる。小さく相槌を打っている様に見えるのは会話をしているからだろう。時折笑顔だって見える。

静かに、穏やかに、一体化に包まれる。

私は、立ち尽くしていた。

窓に映る私の顔に、涙が流れた。

それは、私の涙であると同時に、彼女の涙でもあった。

拭うことなく立ち尽くす私に食卓のだれかが気づいた。玄関のドアが開くと一人の老婆が、

「さぁ。」

と、言って私に手を差し伸べた。

                  ・・・

浜辺 4

その後も僕はその本の写真で頭が一杯だった。白い服に全身を包み、黙々と魚を食べる人たち。そこでは何が起こっているのだろう。ここに書かれている字が読めれば、それがわかるのだろうか。

今日は漁も休みで、加えて天気がいい。たまには仕事以外で外に出るのも悪くないかもしれない。

「そうだ、本を持っていこう。」

浜辺通りのベンチに座って難しそうな本を読む昔の同級生の姿が頭をよぎった。きっと教科書かなんかだろう。僕も真似してみようじゃないか。

家を出て、浜辺通りを歩く。端っこすぎると寂しいし、家から近すぎても何だかんだもったいない。まぁ、この辺でいいかとベンチを定めて、腰を落ち着けた。

海から吹く風、波の音。港には普段の船とは違う、一際大きな船が泊まっている。昨日到着した客船だ。色々な国の人を乗せてやってくる。

「こんな村に来るなんて、不思議なもんだ。」

ぼそっとつぶやき、本を広げる。いつもは部屋の豆電球で見る写真だが、こうして日の光の下で見てみると、少し違って見える。

「あれ、これ、同じ写真か?」

白い服の人々は、しかめっ面で魚を食べていると思った。しかし、その姿がここでは違う。肩の力が抜け、慎ましく、優しげに食卓を囲んでいる様に見えた。

「ん、どういうことだ。」

僕は他の写真も見てみた。魚を取り分ける女性、丸々太ったおじいさん、物陰に隠れた子供たち。一人一人が、それぞれと繋がっていて、その場を全員で共有している。

「なんだか、とても仲良しに見えるぞ。」

                  ・・・

浜辺 5

長い旅だった。母と二人で大陸の反対側まできたが、ここまで時間がかかるとは思わなかった。小さな港の寂れた桟橋に降りたとき、心底ホッとしたのを覚えている。

船で寝泊まりすることもできたのだが、せっかくなので村の宿に泊まりたい。

私と母はガイドブックを片手に、浜辺通りを歩きつつ探すことにした。

あの時招いてくれた家族は、一家のまとめ役だったおじいさんを亡くしたらしく、迎え入れてくれた女性はその妻だった。消沈していることはもちろんだったが、長く生きた故人を労わる意味でも、重苦しい雰囲気は避けていたらしい。

「唯一の心残りは、あの人と旅に出られなかったことね。」

と、何度かその女性はこぼしていた。

一体化の儀式もすみ、そろそろ失礼と挨拶しかけたとき、

「私の代わりに行ってくれないかしら。この縁も、また1つの一体化よ。」

と、言って、クルーズ船のチケットをくれた。

そんなことがあり、今私たちは浜辺を歩いている。

「もう疲れたわ。早く宿を決めましょう。」

母はもう歩き疲れたようだ。ガイドブックによれば浜辺通りに一軒、こじんまりとしたいい宿があるらしいが、見当たらない。というか、あったとしてもそれが宿屋かどうか、私たちは字が読めないからわからない。大学で少し齧っていたはずだが、挨拶程度ならできるとしても、とうの昔に字など忘れてしまった。

海から吹く風、波の音。私の街とはこんなにも違うものか。

ふと目をやると、ベンチで一人、少年が本を読んでいる。

「母さん、ちょっとあの子に聞いてくるよ。」

私は小走りで向かった。

大丈夫、宿の場所を聞くくらいなら何のことない。

私の頬に、優しく風が吹いた。

遠く、遠くからの風だった。

                  ・・・

今日も等しく夜が来ました。

なんとなく、都会的な寂しさがあります。

Tocoで『Outro Lugar』。




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