30/07/2020:『Grow』

実家の祖父母は田畑を持っていて、毎日のように出かけてはなんらかの作業をしていた。離れたところに二つの敷地を持っていて、家から近い方を<近く>、遠い方を<遠く>と呼んでいた。僕はよく学校終わりに比較的街の中にある<近く>に寄ることがあった。通学路を少し山の方へと逸れて15分くらい歩くと田んぼが見えてくるのだが、天気のいい日は青緑色した若い匂いがしてて、とても解放的な気分になった。学校の用務員さんが花壇の草刈りをした後のツンとした匂いはあまり得意ではなかったのに、田んぼから香ってくる草の香りは非常に親しみを持つことができた。きっと、泥の柔らかさも混じっていたからだろう。

夕方前に<近く>に行くと、祖母が麦わら帽子に布を付けた農作業用帽子を被って、作業をしていた。ゴム長靴を履いて、草をむしったり、小屋を片付けていたりした。祖父は遠くの方でトラクターを運転していたり、藁を燃やしていたりした。

「おうおう、お勤めご苦労さんだね。」

と、祖母は言った。

「仕事じゃないよ。だって子供だもん。」

と、僕が返すと、

「子供の仕事は、元気に学校へ行くことだよ。」

と、言った。

祖父が藁を燃やしている時は、ただそこから灰色の煙が濃く立ち上っていて、そして高くなるにつれて風に吹かれて曲がりくねった。もっと高いところでは、いつの間にか空に溶けてなくなっていった。

たまに飛行機がその煙の陰から小さく現れたりもした。

                 ・・・

週末は<遠く>に行く。

田んぼに沿って小川が流れている。交差して山へと向かう道路が走っているのだが、これをぐんぐんと山の奥へ行き止まりまで進んでいくと<遠く>に着く。

舗装された道はいつしか砂利道になり、そして土に変わる。開けた景色から山間に入るこむと、視界もどんどん緑に覆われてくる。右手には緑の壁と小川。左手には田んぼや畑。でも途中の田畑は他の人の敷地で、祖父母の土地は一番奥だから、僕らはずっとまだ歩いていかなければならない。

小屋が見えてくると、もうそこは<遠く>で、右手を流れる小川は分離して左側にも流れている。丸太を渡した橋があって、渡るとミシミシとしなった。

その先は山だった。もう道はなくて、今見える景色がこの世界の行き止まりだった。

                 ・・・

僕が小学校の頃、父はずっと単身赴任をしていて、何ヶ月かに一度しか会うことができなかった。

子供の頃の一日はとてつもなく長い。だから、何ヶ月も会えないとなると、その長さは、当時の僕にとっては永遠に近い感覚だった。

だから、僕はよく泣いていた。父がいなくなった後、空っぽになった彼の部屋に行って泣いていた。タバコの香りが染み付いた部屋は、文庫本やレコード、録画したVHSテープなんかで溢れていた。

ある程度の年齢の子供にとって、父親は唯一のヒーローであり、その存在は自身の世界を丸ごと支えてくれる絶対的な柱なのだ。そして、その柱がなくなってしまうことは、子供にとっては恐ろしいほどの不安なのだろう。

今でこそわかるが、当時はそんなこと分かるはずもなく、おまけに他の子よりも泣き虫だった僕はそうしていつまでも泣いていた。

                 ・・・

<遠く>では、空気がずっと澄んでいる分、虫たちの活動も活発で、それはとても僕を喜ばせた。水辺に集まるオニヤンマや轍の花で休むクロアゲハ。小川には必ずカエルがいて、時々小魚の姿も見えた。

そうして散々走り回った後、僕は丸太の橋に直接座って足をぶらぶらと川へ向かって揺らしていた。そのまま横になって空を見上げると、雲が右から流れてきて、そのまま視界を通り過ぎていったし、また首を捻って来た道を振り返れば、虫たちと同じ高さで世界が見えた。川が流れる音と祖父母の長靴の振動、時々聞こえる鳥の鳴き声なんかも感じた。

自然はみんな、それぞれ生きているんだなぁ、と思った。

僕は泣いてばかりいたから、彼らのことを尊敬の目で見ていたし、同時に自分への哀れみもー当時は<哀れみ>という言葉を知らなかったがー抱いていた。

我思う、故に我なり。は、こうして獲得されていくのだろう。

そうして目を瞑った。

日が当たっているときは、瞼を閉じてもそのままオレンジ色が強くて力を入れないと瞑っていられなかったが、少し日陰に入るとその光が随分と優しくなり、僕は簡単に眠りに落ちた。

                 ・・・

父がいる時は、自分に味方が増えたようでいつもよりも伸び伸びと過ごせていた。別に、母と敵対していたわけではない。ただ、父といると僕の些細な仕草や言葉尻に、自信のようなものが漲ってきて、しっかりと自分の両足で踏ん張って立っている気になれたのだ。

公園で競争してももちろん父には敵わないが、1人でいる時よりも早く走れていたと思うし、学校での出来事を話すときも何だか「男同士」という気分になれて、それだけで大人びた時間を過ごせた。

一緒に風呂に入る時は、10数える代わりによくクイズをした。

都道府県当てゲーム、ヨーロッパの国当て競争、スポーツの名前挙げ大会。

父が出すクイズは少し頑張れば正解できるものばかりで、だからいつも風呂が長くなった。ご飯を作って待っていた母は少しプンプンしていたが、同時に楽しそうでもあった。

湯船でガーゼタオルのクラゲを作ったりもした。空気を逃がさないように湯船に浮かべて、周りから手で布を包んでいく。膨らんだ部分を握ると炭酸が弾けるような音がして、そのまま萎んでいった。

登った湯気が換気窓から外へ流れ出ていく。真っ暗な夜に真っ白な水蒸気。

それでものぼせる前にお風呂を出ると、祖父母はもう休んでいた。

                 ・・・

ドシドシと足音が聞こえて来たと思ったら、祖母だった。

「ここからなら、お父さんに声が届くかもしれないよ。山に向かって思いっきり叫んでごらん。早く帰ってこーいって。」

僕は橋の上で起き上がると、お尻を払って体勢を整えた。

山に囲まれた小川の上。雲は流れ続け、木々が少し風になびいていた。

そして、何度も何度も父を呼んだ。早く帰ってくるように、また一緒にお風呂に入ってくれるように。今までして来たことと、これからもしたいことを順序関係なく、ただ思い付くままに叫んだ。

その間、祖母は丸太椅子でお茶休憩をしていた。

一方の祖父の方は、また藁を燃やしていた。パチパチと弾ける音と乾いた灰色の匂いがした。

高く上がっていく煙。足元をどこまでも流れていく小川。

どちらでもいいから、僕の声を父まで届けてくれないかなぁと思った。

そして、今度は「早く帰ってこーい」と言う代わりに、

「ちゃんと待ってるぞー」と言ってみた。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

ゆったりとリズムに乗りたい感じ。

Anti-Lilly & Phoniks で『Grow (Instrumental)』。


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