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旅の効能

「旅は人を賢人にはしないが、
物思いにふけるにはうってつけの時間だ」

誰の言葉かはわからないのですが、何かの本で目にして以来、ずっと心に刻まれています。


僕はこれまでの人生で、日本各地を旅してきました。

学生時代からバイクツーリングをしていましたが、「旅日数」が一気に増えたのはバイク雑誌の編集者時代。仕事というよりも、むしろライフワークとして旅に向き合っていたような気がします。旅は僕の人生において大きな影響を及ぼしているといっていいでしょう。

では、僕の「旅に出たい」という衝動の根源は何だったのか…。


自分の気持ちに正直に向き合ってみると、それは単なる「現実逃避」だったような気がします。

もちろん、それっぽい(意識が高そうな)理由もあるにはあります。「旅によって見聞を広めたかった」とか「日本のさまざまな文化に触れたかった」とか…。

実際、旅によって知識が深まることはあるでしょう。パソコンの画面越しには得られない、実体験として日本各地の風景を見ると、その土地のことをより深く知ることができます。

しかし、衝動の「根源」は何だったか?

そんなことを自問自答してみると、決して崇高なものじゃない。身もフタもない言い方をするならば、「現実逃避」に他ならなかったなと思うのです。


旅をすると、物理的に「自分の生活圏」から離れることになります。
風景、匂い、食文化、気温、言葉のイントネーション。五感を通じて入ってくる情報のすべてが「非日常」です。

旅先では誰も、自分を知りません。
自分がいなくても、その土地の日常は何も変わらない。
街の人たちはいつもと同じように仕事をし、お店で物を売り買いして、生活が回っていく。この街の日常に、僕は必要とされていない。


僕が旅先で感じるのは、いつもそんな感覚でした。
文字にして書き起こすとなんだか寂しく見えますが、感覚としては決して寂しいものではありません。むしろ、日常のしがらみから解放される心地よさがありました。

離島に訪れると、その解放感がより高まったのを覚えています。
自分を乗せてきたフェリーが港を離れてしまえば、自分の日常との間には「海」という圧倒的・物理的な隔たりが生じます。

船や飛行機が運航しなければ誰も追って来られないし(別に追われる理由はないのですが)、僕自身も、船が運航しなければ絶対に帰れない。

そんな「隔たり」が、妙に心地よかったのです。恥ずかしながらそれは、つかの間、日常から逃げ切った爽快感だったと思います。


一般的に、現実逃避は褒められた行動とはされていないでしょう。現実と戦わなければ、成長に結びつくはずがない。そう考えるのが普通です。

しかし僕の人生において、旅の時間は無駄だったかと考えてみると、決してそんなことはなかったなとも思うのです。

旅によって「賢人」にはなれませんでしたが、物思いにはずいぶんとふけることができました。非日常の空間であれこれと考え続けた時間は、つまり頭の中で「言葉を練り続けた」時間だったような気がします。編集者人生において、これは大きな糧となりました。

言葉の引き出し、文章構成の引き出しは、旅の時間によって広がったと思っています。


最後に、僕も格言っぽい言い回しを考えて締めようかと思います。

「あなたにとって旅とは?」

もしもそんな問いかけをされたら、おそらく僕はこう答えるでしょう。


旅とはつまり、言葉を練る時間のことである。

と。

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