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きみがいくみち  斎藤緋七

君がいく 道の長手を 繰り畳たね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも 
 
「この歌って素敵、ねえ、お姉ちゃん情熱的で良いと思わない? 」
妹は夢見がちな少女だ。最近は万葉集に夢中らしく、恋の歌をよんでは「この歌素敵」「あの歌素敵」とときめいて騒いでいる。
「あんた、意味が分かっていて言っているの? 」
そう、思うことも多く「若いって良いなあ」と八歳年上の姉の私は笑ってしまう。
「知っているよ! あなたがいく長い道のりを、手繰り寄せて、焼き滅ぼしてくれる、天の火が有ったら良いのにって、言う意味よ」
「あら、知っていたのね」
私が笑うと、
「また、子ども扱いする! 」
妹は怒る。
「だって、あんたは、まだ十三歳」
「先週、十四歳になりました! 」
無邪気に笑うこの妹が、早い恋をしていることは私しか知らない。妹は数ヶ月前に教育実習でやってきた、私と同じ年の、大学生とつきあっていて、その頃から急に大人びた発言をするようになった。
四十一歳で妹を生んだ頭のかたい母親よりも、私の方が何かと話やすいみたいだ。秘密を打ち明ける相手はいつも私だった。
相手の大学生、三井浩が私は大嫌いだった。私が把握しているだけで二回、十二歳と十四歳のときに幼稚園児への猥褻で補導されている。
「別れさせないといけない」
三井に可愛い妹を渡す訳にはいかなかった。話を聞く限りでは妹と三井はキスもまだらしい。
「妹を大切にしてくれているのか? 」
そう、思うときも有ったけど、やっぱり過去にしたことを考えると気持ちが悪かった。昔、幼い子どもたちに深い傷を追わせたことを忘れてはいけない。今のうちにと別れさせる対策を練っているがなかなか思いつかなかった。そうこうしているうちに三井は猥褻で、また逮捕されてしまった。笑いばなしだ。
 
これで目が冷めるだろう。別れてくれると思った私が甘かった。恋に恋をして、火のような情熱を持つ妹には逆効果だった。
「世の中が、よってたかって、自分たちを引き離そうとしている」
自分を悲恋の主人公だと思い込んでしまった。
妹は精神鑑定を行っている、病院から三井を助け出そうとして放火事件を起こした。火事のどさくさに紛れて三井を脱走させようとしたようだ。結局、数十分で捕まって二人は引き離された。
「私がカーテンに火をつけました。病院の中は乾燥しているからなのか、火は勢い良く燃えました。私は先生の手を取って夢中で走りました。走りながらシーツやカーテンに片っ端から火をつけて病院の中をまわりました。全部、私一人でがやりました。後悔はしていません。早く、先生を病院から出して上げて下さい。先生の替わりに私が入院します。お願いします」
私は、妹の本心だと思った。
「妹さんの言葉です」
「申し訳ありません」
私は頭を下げた。
「今日は、ご両親は? 」
 私は唇を噛んだ。
「私一人で来ました」
 涙が出た。
「両親は、伏せっております。火傷をされた方も沢山いらっしゃるということを知り、申し訳ないといって錯乱状態で。どうしても、ここに来ることが出来ませんでした。すみません」
「顔を上げて下さい」
「いえ、妹がしたことは許されないことです」
「今、妹さんは、うつろな目をしています。まるで、三井さんの話しか出来ないみたいです」
「妹はどうなるのでしょうか? 」
「確か、十四歳になられたばかりとか? 」
「はい」
「今は私の口からはっきりとは、お話できません」
「そうですよね」
三井は今、両親の故郷で暮らしてしている。多分、何もなかったような顔をしているに違いない。まだ若く、経済力の有る両親のそばで、塾講師をやっているようだ。
妹とつきあっていてもプラトニックだったのが幸いして、それに関しては、おとが目なしになったらしい。猥褻事件も親がお金で済ませたようだ。数年前、何も知らない、十六歳だったの中国人の女の子と結婚をして子どもも二人いるという。
三井のお母さんが、今も、ときどき私宛に手紙をくれるから私は三井の近況を知ることが出来た。
三井は一人で幸せになっている。
「なんで、あの子は」
妹を思って私は泣いた。
「どうして」
やりきれない。
「あの子ばかりが」
いつまでも、三井の存在に囚われているのだろう。
なんだろう? あの妹のあの三井への感情は。
あれから、色々なことが有った。父も母も他界し私と入退院を繰り返す妹だけが残った。
「ねえ。お姉ちゃん、最近、先生は? 」
たまに、聞かれることがある。
「ん? 先生って?  なんのこと? 」
「ねえ?  お姉ちゃん?  先生は、憶えてくれているかなあ? 」
「何を? 」
「いつまでも私がここで待っているっていうこと」
                 完
 

 

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