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お金の価値

 ある昼下がり。もんじゃ焼きをヘラで器用に小皿へとりわけながら彼女は言った。「お金の価値」と。伏せた睫毛が淡い影を落とす。天井より伸びる橙色の照明に彼女の顔が照らされる。赤い口紅がよく映える。
「関心のあること何かなーい?」との猫目の問いかけに彼女は言った。もくもく煙の立ち昇る鉄板を見つめながら。お金の価値。

 という場面から引き抜いて参りました今回のテーマ。『お金の価値』についてです。キャバクラレディの彼女は最近ではスナックのママさんを務めたりと大忙し。お忙しのくせをして猫目と会ってくれる。遊んでくれる。中学生から大切なお友達です。『テーマを語る』も余すところあと2テーマとなりました。時間の流れはあっという間です。小川どころかダム放流中の一級河川のようにどくどく流れ過ぎていきます。

 最高気温40度を観測した地域を見て「うへい」とヘンテコな声をあげている猫目です。皆さん。こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。


 それでは本題へと参ります。お金の価値について二つの方面から思考を巡らせていきたいと思います。「金」と「価値」の両面です。

貝殻でどうですか?

 お金とは何か。そのことを知るためにお金の歴史を少しだけ。お金の起源について。はるか昔の人びとはモノとモノを交換していました。これがいわゆるお金の代わりとなるものです。たとえば、お米と農具を交換したり、魚と肉を交換したり。交換により必要なモノを手に入れていました。

 しかしこの方法では必要なときに必要なモノが必ず手に入るとは限りません。食べ物であれば鮮度の問題も発生します。そこでお金と同じ概念で使われはじめたのが「貝殻」や「小石」です。お米が欲しいときに貝殻を代価として差し出す。貝殻〇枚でどうですか? 確かに貝殻や小石なら長期間に渡って保存が可能です。しかしここで更なる問題が浮上します。

 皆さんお気づきのとおり、貝殻は海岸に、小石は道に、ころりん落ちていますよね。今日明日なんなら今すぐ手に入れることが可能です。それではモノと交換するための価値が不安定になってしまう。そこで金や銀そして銅の登場です。金は海岸に落ちていませんし、銀が道端に落ちている可能性も低い。こうしてお金としての価値(の認識)が形成されていきました。

ちなみに

 古代中国では日本より先に「貝殻」をお金の代わりとして用いてきました。中国より渡って来た漢字には『財』『貯』『買』『贈』『貨』『賭』など、お金や財産を表す漢字にはどれも『貝』の字が組み込まれています。

無価値の石ころ

 続きまして価値についての見解です。価値とはいったい何を指すのでしょう? 価値は目に見えないこともあり非常にややこしい。突然ですが・・・

 あなたは石ころにどれくらいの価値があると思いますか?

 道端に転がっている何の変哲もない小石です。それが世にも珍しいカタチをした芸術的小石なら未だしも、私たちは普段道端の小石にそれほどの価値を見出していないはずです。

しかし

 そんな無価値に等しい石ころでも「必要」な者にとってその価値は高い。人が興味を示さないような無価値な石に最大の価値を見出す生きものが居ます。ラッコです。

 ラッコは石で貝殻を割ることで有名な動物です。実はラッコは貝殻を割る度に石を見繕うのではなく、いつもお気に入りの石を携帯しているのです。それも大切にしまっています。一体どこに石を仕舞っているのでしょう?

 正解は、腋の下あたり。たるっと弛んだ皮膚をポケットにして石をしまっているのです。彼らラッコにとってお気に入りの石を失くすことは、かなりのダメージ。ご飯を食べれなくなるほどのショックを受けます。そんなラッコたちにとって石は一万円札よりも価値のある存在なのです。

 価値とは本来ひとや環境によって異なるものであり、共通して価値をもつお金はどちらかと言うと珍しいようにも思われます。絵画にしても「美しい」「なんて芸術的なのだろう」と感嘆する人と、そうでない人が居ます。車も同じです。スポーツカーに価値を見出す人とそうでない人。利便性を追求する人には高性能で何かと融通の利く軽自動車のほうが価値が高かったりするわけです。

霊長類をのぞく哺乳類で唯一「道具」を使用するラッコさん。

2つの価値

 価値には大きくわけて2つの種類があると思います。

 限りのあるモノへの価値
 自己に有意義に働く価値

 一つ目の限りのあるものへの価値それこそが世の中で最大の価値だと、猫目はそう考えています。つまり時間です。命と言い換えることも出来ます。どれほどお金に余裕があり裕福に暮らせても、時間を貯めることはできません。延命は出来ても不老不死にはなれないのです。これが一つ目の価値「限りのあるモノ」です。「期間限定」という言葉に惹かれるのは、期限がある=価値があるという心理が働くからでしょう。

 二つ目は文字通り、自分に有意義に働く価値です。それはお金であったり(贅沢な生活を送る)あるいは名誉(高く評価れてる)を指します。他者から認められることに価値を見出す。それは巡り廻って自分に有意義に働く価値の存在そのものです。どれほど高級な家を建てようと、誰もその家に関心を向けてくれないのでは価値は半減してしまいます。「あなた限定」「あなたのために」と言われると何か特別な感じがしますよね。そこに価値が認識されるからです。あなた自身が価値そのものなのです。

お金で価値を推し量る

 お金は何のために存在しているのか。それは偏に物事や品の価値を判断する。推し量るためです。冒頭でも述べたとおり本来お金は貝殻なのです。それが硬貨や紙幣に代わっただけのこと。その目的は変わりません。お金はその価値を同じ尺度で測ることができる利便性の高いツールなのです。価値を推し量り、判断する物差しです。

共通の意識があるから成り立つ

 お札と書いて「おさつ」とも読み、また「おふだ」とも読みます。もちろんこれからお話をしていくのは紙幣の方です。しかし「おさつ」に価値があるように等しく「おふだ」にも勿論価値があります。何しろ神仏の守り札です。これら双方に共通することそれは、私たちが同じ認識を持っているということです。

 御札を知らない外国人に見せたところ、「おわ!細かい文字が連なった珍しい紙だね!」なんて言われてしまうかもしれません。

 令和4年の時点でお札(紙幣)には価値があります。これは紙幣にお金としての価値を認識し、理解しているからに他なりません。アマゾンの部族に福沢諭吉の描かれた一万円を手渡したところで彼らから欲しいモノは買えません。お札の価値を理解してもらうことから始める必要があります。

 お金は、お金として機能しているからこそ、そこに価値が発生しています。つまり一万円札は日本人にとって「一万円分の価値がある」という共通の認識のうちに成り立っています

 紙幣をよく見てください。紙です。ところどころ光沢の放たれた繊細な数字と画の施された縦76ミリ横160ミリの紙です。原価約17円の紙です。そういう用紙に一万円の価値がある。キャッシュレスの進んでいく世界で紙幣はいつか数字に代わってしまうのでしょうか? もしも完全に数字に代わってしまったのなら福沢諭吉(次期・渋沢栄一)は単なる17円の用紙となってしまいます。ちなみに一円玉の原価は約3円です。原価割れです。

目に見えない価値

 お米や魚肉などの食品、化粧品や車などの物体をもつ商品・製品は目に見える構造上その価値が見て取りやすい。では、サービズはどうでしょう? 目に見えないサービズ消費者はいったい何にお金を支払っているのでしょうか? 答えは「時間」です。ホテルで癒しの時間を過ごす。スナックやキャバクラで楽しい時間を過ごす。遊園地でわくわくドキドキの時間を過ごす。お祭りで知人と戯れる時間を過ごす。

 キャバクラなどの商売で勘違いされがちなのが「人(女の子)を買う」という認識。たしかにそういう見方もあるでしょう。しかし本当のところは時間を買っているのです。女の子とトークする時間を、女の子と楽しむ時間を、それぞれお金という代価を支払って買っているのです。

 一流と呼ばれているキャバ嬢のほとんどが容姿のみでなく、その内容に気を配っています。つまり雰囲気やトーク内容です。日常を忘れさせてくれるような話を展開する。お客さんの悩みに耳を傾ける。あるキャバ嬢さんは鞄にこっそり日本経済新聞を携帯しています。お客様との会話を弾ませるための必要な知識だそうです。

 そういう彼女たちの知識の豊富さにはいつも驚かさせます。株や選挙や政治のこと。自然環境や世界のこと。医療のことに芸能のこと。さまざまな職種についてもその知識に歯止めがかからない。ごはんの美味しいお店に、穴場の釣り場に人気のドライブコース。彼女たちは非常にいろいろなことを知っています。そういう努力こそが価値を生み出しているのだと、猫目は思います。すこし話が逸れました。戻します。次はチップのお話です。

チップは「ありがとう」の具現化

 日本ではあまり見かけませんが、海外のサービズ業には「チップ」がつきものです。レストランのウエーターにチップとしてお金を手渡す。ホテルや旅館でスタッフにチップを贈る。チップは「ありがとう」という感謝の気持ちを具現化した贈りものであるわけです。

 知り合いの旅館の社長さんは去年より「チップ制度」を導入したそうです。これが案外にも好評のようで、チップを貰ったスタッフさんの向上心も高まり良いこと尽くし。チップは強制で手渡すもので無く、本来お客さんが渡したいと思った時に渡すというもの。

 お客さんがスタッフにお金というチップを贈るとき。お客さんはどういう感情を抱いているのでしょう。それはまさしく「ありがとう」の気持ちです。気を利かせてくれて「ありがとう」誕生サプライズをしてくれて「ありがとう」プロポーズのお手伝いをしてくれて「ありがとう」楽しいお話を、美味しい料理を、元気をわけてくれて、ありがとう。そういう人と人との触れ合いや時間に「お金」というツールを用いて価値を伝えています

 「お金」と「価値」の二面から見てまいりました『お金の価値』のお話でした。最後に恒例の名言です。お金に関する名言というのは案外にも多く、どれも感嘆を洩らすほど価値のある言葉でした。その中から言葉を選び抜くにはいささか時間を要します。

 ゲーテにドストエフスキイに日本の実業家のお言葉などなど。たくさんある中から2つだけ。偶然にもどちらもフランスの方のお言葉でした。アルベール・カミュは『ペスト』という小説で有名な作家さんです。そして彼のほかの名言はどれも心に突き刺さる。今すぐ彼の書いた小説を読んでみたい。そういう衝動に駆られています猫目でした。皆さん。今日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


エミール=オーギュスト・シャルティエ(フランスの哲学者・評論家)

『金儲けのうまい人は、無一文になっても自分自身という財産を持っている。』

アルベール・カミュ(フランスの小説家・劇作家)

 『 貧困は僕にとって必ずしも憎むべきものではなかった。
  なぜなら、太陽と海は決してお金では買えなかったから。』

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