日本の近代化と教育の歴史
◆こんにちは。公立小学校教員のねこぜです。今回は教育にフォーカスをあててアウトプットしていきます。最後まで読んでもらえたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
テーマは日本の教育の歴史についてです。主な参考図書は小熊英二著『日本という国』です。ヤングアダルト向けの新書なので平易な文章で分かりやすいです。歴史が苦手な方にお勧めします。
その他にも奈須正裕著『個別最適な学びと協働的な学び』も引いていきます。こちらは教員であれば読んだことある人が多いのではないでしょうか。
▷なぜ学ぶのか、なぜ学校はあるのか
こうした問いを子どもから受けた人も多いことだろう。みなさんなら何と答えるだろうか、一度立ち止まって考えてみてほしい。例えば、福沢諭吉の『学問のすゝめ』を引く人がいる。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名なフレーズ。人は生まれながらにして平等であるかのような言葉。これには続きがある。現代語訳を引いておく。
なるほど分かった、だから勉強した方がいいんだね!とはならないだろう残念ながら。しかしこの原理が働いていたことは確かであり、150年経った今もなお、学歴社会の影が残っていることは薄々分かってもらえると思う。問題はなぜこのような原理が働くことになったのかである。歴史的背景を見ていこう。明治政府は「学制」という制度を打ち立て、小学校をつくり「義務教育」を形づくっていった。当時は「義務教育」を「強迫教育」と訳されることもあったらしい。勉強することを無理強いされていたわけだ。もしかしたら今もこのような気持ちを抱いている子は多いのかもしれない。では、日本政府はなぜ無理してまで教育したのかである。本来「義務教育」とは西欧的な考えで発想で言えば「子どもを労働から守るため」に生まれたと言われている。ところが日本の実情はそうではない。
黒船来航の時代。実際に長州藩と四ヵ国連合艦隊が戦争したときには農民は戦うこともせず寧ろ欧米に手を貸してしまったとか。植民地支配が目前に迫る中、本来であれば統治しやすいのは無教育状態だったかもしれない人々を、出世の可能性がある自由競争だと駆り立てるほかなかったのだ。
かくして「義務教育」が始まり、大勢の子どもを効率よく教えるのに採用されたシステムが一斉指導というわけである。効率よく学ぶではなく教えるシステム、つまり一斉指導は日本の近代化がもたらした指導者中心の教育システムである。そして今、学習者中心への転換が求められているのだ。
◆最後までお読みいただきありがとうございます。かなり端折りましたが、今の学校がどんな成り立ちであるのか少しでも伝わったでしょうか。どこの学校に行っても教室は大体似たような箱型で、前方に黒板があって…みんな同じ制服を着せられて、軍隊かのような集団行動を強いられる。画一的なこれらは明治期の近代的な教育の名残です。
ソフト面である学習指導要領はどんどん改訂されていっていますが、校舎や1クラスあたりの人数といったハード面はなかなか近代からの脱却ができていません。GIGAが始まり、一斉指導の限界が指摘される中、僕たちは指導者としての在り方が問われています。一斉指導を否定したいわけではありません。たしかな指導力は必要で、一斉指導の延長に個別最適化された学びがあると考えます。今回取り上げたような日本の教育の歴史を知ること、踏まえておくことが未来の教育を考え、見据えるために重要な役割を果たすのだと信じています。
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