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子どもは自然

◆こんにちは!小学校教員のねこぜです。「書きたいことを書く」で夏休みは毎日投稿します。よろしくお願いいたします。最近、養老孟司先生の講演動画をよく見ています。僕の中でメンターです。(他にも内田樹先生と鷲田清一先生も)
 その中で印象深かったことをアウトプットします。


▷自然とは何か
 自然と言われると木や草花といった緑をイメージする人が多いだろう。養老先生曰く、自然とは人間が考えて作って置いたものではないものである。山に生えた木も、海を泳ぐ魚もそうだ。近年は意図的に植林したり養殖したりしているが…自然の対立概念はご存知のように「人工」である。自分たちが住む家は、誰かが考えて設計図を描いて、それに合わせて造られる。目的があって造られた空間の中には、理由も分からず置かれているものなどない。リビングの片隅に飾られている花も、自然に近いものではあるが人間が切って持ってきて空間を“飾る・彩る”ために置かれている。このことから、人間が作らなかったものを自然だと養老先生は定義づけた。

▷子どもは自然か人工か
 結論から言うと、子どもは自然である。子どもは、人間が自分の頭で考えて作っているわけではない。本当にそうか?子どもを産む産まないは親が決めることである。医者に行けば予定日や性別が分かったり、中絶や避妊といった産まない選択肢もあったりして、産むのも産まないのも親の自由であると言える。親は自分の頭で考えているのだ。
 ところがこれは親の視点に過ぎない。子ども視点に立つと、気付くことがある。それは「自分の意思で生まれたわけではない」ことだ。自ら生まれたい、あそこの家にしよう、お金持ちの親がいいな、なんてこと思いながら生まれてくるなんてことはない。気付いたら生まれていた。だから反抗期なんかには「産んでくれなんて頼んでない!」と言う。これが子どもが自然である所以だ。 

▷自然は良いものではない
 「自然が好き」と言う人がいるが、懐疑的である。自然とは、台風や地震も含まれる。一方、上述のような空間に飾られた花や観葉植物は自然ではない。どの家もトイレが水洗になったのは、自然が美しくないからである。だからこそ、自然は良いものという感覚はおかしくて、じゃあ自然は悪いものなのかというとその感覚も間違っている。どういうことか。人間が自然を良いとか悪いとか言うこととは全く関係なく中立的なものなのである。
 だから子どもが自然であるということは、中立的なものとして産まれてくるのだと結論付けられる。親は考えて産んでいるつもりだが、生まれてきた子どもはそうではない。後者が正しいのだ。


◆最後までお読みいただきありがとうございます。随分哲学的な話になってしまいましたが、「子ども」という本質を考えるときに重要な示唆だと思っています。子どもは自然である。しかし、私たちは自分の人生を自分で考えて歩んでいる。難しいですね!

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