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歴史と未来が融合する魅力的なまちづくり静岡市

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歴史と未来が融合する魅力的なまちづくり静岡市  その歴史は、古代から続く文化の宝庫であり、幕末の志士や近代の文豪たちが活躍した舞台でもあります。 静岡市は、その豊かな歴史を生…
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静岡市のまちづくりに関する提案

あなたは、どんな施策を必要としますか。 第1 静岡市の現状、課題、対応策 静岡市は、富士…

祭門飛鳥
5か月前
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安倍川の水の流れ

河川の源流 安倍川は、静岡県と山梨県の県境に源を持ち、静岡平野を形成しながら駿河湾へと流…

祭門飛鳥
10日前
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がんばれ自治会(要約)

1 住民同士の交流や連帯の促進 ① 定期的に地域のイベントや祭りの開催 ② 地域の掲示板やSN…

祭門飛鳥
2か月前
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変わり行く薩摩土手 21(最終回) 令和の緑地公園(後期)

 平成初期、緑地公園の工事(前期)が行われ、令和3年度の後期工事完了に伴って、薩摩土手は、…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 19 平成の薩摩土手の碑建立(佐久田昌一氏などの協力)

 碑の近くに立つ説明板には、  薩摩土手の由来  薩摩土手は権現様堤または一部火屋土手とも…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 20 平成の土木学会による土木遺産の認定

 土木学会は、2000年から日本国内にある歴史的な価値や技術的な特徴を持つ土木構造物群を「土…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 18 昭和の都市計画道路、緑地公園そして自転車道へと変貌する薩摩土手

 薩摩土手の南部分について、都市計画道路が敷設され、市が公募した結果、三番町小学校の「さつま通り」と命名された。  この道路は、市街地の北にある国道一号線と東名高速など市街地を結ぶ重要な交通路となるとともに、地域の活性化にも寄与している。  薩摩土手の改修工事施行時に、起点から300mの井宮陸閘の東側で御用水道の歴史的な遺構である井宮水門の発掘され、その保存工事も行われた。  この井宮水門は、江戸時代初期に作られたもので、遠く竜爪山の湧水を水源とする御用水道が薩摩土手を

変わり行く薩摩土手 17 大正の薩摩土手を横切る安倍鉄道の役割と歴史

 安倍川流域の木材産業は、1916年に開通した井ノ宮-牛妻間の鉄道によって大きく発展した。  …

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 16 大正の洪水被害と湯浅堤

 薩摩土手は、安倍川の左岸にある江戸時代初期の堤防です。  徳川家康が安倍川の氾濫から駿…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 15 明治の薩摩土手周辺の様子

 薩摩土手築堤から300年後の1907年頃の薩摩土手北側近隣の籠上では、30戸余の家があった。 …

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 14 安倍紀行、駿河國新風土記における薩摩土手

安倍紀行  安倍紀行は、薩摩土手のことを直接的には掲載されていない。  安倍紀行の本文に…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 13 駿河国誌における薩摩土手

 薩摩土手は、駿河湾に面した静岡市の海岸線に沿って築かれた土手です。  薩摩土手の碑の説…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 12 誤解されやすい薩摩義士(宝暦治水事件)との違い

 公益社団法人鹿児島県観光連盟ホームページでは、宝暦治水について、次のように掲載されてい…

祭門飛鳥
4か月前
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変わり行く薩摩土手 11 薩摩土手の完成と権現様堤の名

 駿府城下町を守るために築かれた薩摩土手は、江戸時代の土木技術や薩摩藩の貢献を示す歴史的な遺構である。しかし、その築造過程や名称の由来には、様々な説が存在する。  特に、薩摩藩が石の運搬だけでなく、築堤まで行ったとする説は、駿府独案内や伝承などに基づくもので、確かな史料は見つかっていない。  薩摩土手の呼び名も100年以上経過してからの言い伝えの文章化の証拠の成否が今も議論の的となっている。  権現様堤という名前は、駿河国一宮の浅間神社に由来すると言われ、古くから駿河の