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変わり行く薩摩土手 13 駿河国誌における薩摩土手

 薩摩土手は、駿河湾に面した静岡市の海岸線に沿って築かれた土手です。

薩摩土手近辺

 薩摩土手の碑の説明板には、
 「この土手は、江戸時代の初めに薩摩藩が駿府城の防御のために建設したもので、権現様堤とも呼ばれます。」

薩摩土手の碑の正面左横にある説明版

 この権現様とは、駿府城の北側にある久能山東照宮は、静岡市駿河区にある神社である。江戸時代の初代将軍徳川家康の遺骸を祀った霊廟であり、日光東照宮と並ぶ東照宮の一つである。

 江戸時代には江戸幕府の威信を示す重要な建造物として、多くの参拝者や寄進者を集めた。

久能山東照宮

 現在も国宝や重要文化財などの貴重な文化財が多数保存されており、日本の歴史や美術に興味がある人にとっては見逃せないスポットである。

 久能山東照宮にある国宝は、徳川家康公を祀る本殿と拝殿です。本殿と拝殿は、権現造、総漆塗、極彩色の壮麗な建築物で、日光東照宮より19年前に造られました。

 彫刻、模様、組物などには桃山時代の技法をも取り入れられた江戸初期の代表的建造物として、平成22年12月に国宝に指定されました。

 本殿と拝殿のほかにも、国宝や重要文化財に指定されている多くの建造物があります。

 例えば、唐門は、表参道の入り口にある楼門で、華麗な彫刻や色彩が施されています。

久能山東照宮      

 石の間は、本殿と拝殿を結ぶ渡り廊下で、家康公の遺品や肖像画などが展示されています。

 廟所宝塔は、本殿の裏手山頂付近にある五重塔で、家康公が埋葬された場所を示しています。

 その他にも、神楽殿や鼓楼などの祭礼用の建物や、日枝神社や駿河稲荷社などの末社があります。

 これらの建造物は、江戸時代初期から寛永年間にかけて造営されたもので、桃山時代から江戸時代初期の技術と芸術が凝縮されたものとして貴重です 。

 久能山東照宮は、駿河湾に面した高台に位置しており、眺望も素晴らしい。

 この権現様堤こと薩摩土手という呼び名が初めて記録に見えるのは、天保13年(1842年)に描かれた地図「駿府独案内」です。

駿府独案内

 この地図では、薩摩土手は安倍川に沿って長い直線として描かれています。

 薩摩土手の一部の火屋土手という名は、明治末年(1912)まで土手(安西四丁目~弥勒)の上に野天火葬場があり、別名を火屋の土手、なまって「ひやん土手」と呼んだ。今も古くを知る人はこの俗称を用いる人がいます。

https://note.com/saimonasuka/m/mc2f23d7073c0

薩摩土手

目 次
1 これまでの薩摩土手の様子
2 安倍川の流れの変更(西への移動による藁科川との合流) 
3 藁科川と安倍川の関わり(平安時代からの藁科川)

4 武田家(駿府制覇の時代)の雁行の信玄堤方式の採用 
5 駿府城の築城計画(焼失の繰り返しによる再建築)  
6 家康の築城計画(スペイン風の幻の川辺城構想) 

7 家康から秀忠への石槽船 150艘の流用指示 
8 各藩への造船時の500石制限
9 北川と駿府城を結ぶ横内運河の計画と完成 

10 薩摩土手関連の各機関の掲載資料
11 薩摩土手の完成と権現様堤の名 
12 誤解されやすい薩摩義士との違い 

13 駿河国誌での薩摩土手の名 
14 安倍紀行、駿河國新風土記と薩摩土手 
15 明治の薩摩土手周辺の様子

16 大正の洪水被害と湯浅堤 
17 大正の薩摩土手を横切る安倍鉄道 
18 昭和の都市計画道路、緑地公園そして自転車道へと変貌する薩摩土手 

19 平成の薩摩土手の碑建立
20 平成の土木学会による土木遺産の認定 
21 令和の緑地公園


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