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変わり行く薩摩土手 18 昭和の都市計画道路、緑地公園そして自転車道へと変貌する薩摩土手

 薩摩土手の南部分について、都市計画道路が敷設され、市が公募した結果、三番町小学校の「さつま通り」と命名された。

 この道路は、市街地の北にある国道一号線と東名高速など市街地を結ぶ重要な交通路となるとともに、地域の活性化にも寄与している。

 薩摩土手の改修工事施行時に、起点から300mの井宮陸閘の東側で御用水道の歴史的な遺構である井宮水門の発掘され、その保存工事も行われた。

 この井宮水門は、江戸時代初期に作られたもので、遠く竜爪山の湧水を水源とする御用水道が薩摩土手を貫く重要な施設である。

この湧き水は、竜爪山の岩盤や土壌によってろ過された清潔な水であり、駿府城内をはじめとして、住民の飲用や工業、その後、農業に利用されていました。

 水門の発掘調査では、その構造や機能に関する貴重な資料が得られた。発掘後、水門は画像等で記録され、周辺の環境に配慮して埋め戻された。

井宮水門


井宮水門        

 また、この改修工事では、安倍川左岸辰起水門附近から水道陸閘までの区間において、天端を利用した自転車道が整備された。

 この自転車道は、一部では自動車も通行できるようになっており、近隣住民や観光客などの利用者にとって、交通の便が向上した。

 この自転車道は、薩摩土手の歴史や景観を楽しみながら走行できる魅力的なルートとなっている。

https://note.com/saimonasuka/m/mc2f23d7073c0

薩摩土手

目 次
1 これまでの薩摩土手の様子
2 安倍川の流れの変更(西への移動による藁科川との合流) 
3 藁科川と安倍川の関わり(平安時代からの藁科川)

4 武田家(駿府制覇の時代)の雁行の信玄堤方式の採用 
5 駿府城の築城計画(焼失の繰り返しによる再建築)  
6 家康の築城計画(スペイン風の幻の川辺城構想) 

7 家康から秀忠への石槽船 150艘の流用指示 
8 各藩への造船時の500石制限
9 北川と駿府城を結ぶ横内運河の計画と完成 

10 薩摩土手関連の各機関の掲載資料
11 薩摩土手の完成と権現様堤の名 
12 誤解されやすい薩摩義士との違い 

13 駿河国誌での薩摩土手の名 
14 安倍紀行、駿河國新風土記と薩摩土手 
15 明治の薩摩土手周辺の様子

16 大正の洪水被害と湯浅堤 
17 大正の薩摩土手を横切る安倍鉄道 
18 昭和の都市計画道路、緑地公園そして自転車道へと変貌する薩摩土手 

19 平成の薩摩土手の碑建立
20 平成の土木学会による土木遺産の認定 
21 令和の緑地公園


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