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変わり行く薩摩土手 21(最終回) 令和の緑地公園(後期)

 平成初期、緑地公園の工事(前期)が行われ、令和3年度の後期工事完了に伴って、薩摩土手は、その大部分が静岡市管理となった。

 この工事は、薩摩土手の歴史的・文化的価値を保護し、地域住民や観光客に安全で快適な環境を提供することを目的としていた。

 工事の内容は、土手の補強や整備、植栽の更新や増加、照明やベンチの設置などである。

 ここ数年間、薩摩土手の中で、静岡市がまだ緑地公園化してないところの井宮陸閘から東へ100m程度の間、何回かの測量など調査が行なわれていた。

令和3年度には、桜の木の撤去、全面芝生化のコンクリート階段、休憩所の設置など緑地公園化工事が行なわれ、平成4年春に完成した。

 この工事により、薩摩土手は美しい景観と快適な散策路を提供するようになった。多くの市民や観光客が訪れるようになり、地域の活性化にも貢献している。

 薩摩土手は静岡市の歴史と文化を伝える貴重な遺産であり、今後も大切に保全されていく。

 一方で、薩摩土手の緑地公園化には、一部であるが、桜の木の撤去により春の風物詩が失われたという意見もあった。

 薩摩土手の緑地公園化は、利点と欠点を持った事業ではあったが、この土手は、江戸時代から続く、市街地を守り続けた静岡市のシンボルであり、今後も多くの人々に愛される場所であることを願っている。

終わりに
 駿府城は、徳川家康が江戸幕府を開いた後も、政治・文化・経済・外交の拠点として栄えた城でした。

 日本一の天守台を持ち、安倍川の流路を大改修して築いた薩摩土手は、城の外堀や防備にも役立ったと考えられます。

 しかし、薩摩土手の築造者や時期については、薩摩土手の石材をはじめ、確かな資料が少なく、地元の伝承や研究者の説が食い違っています。それでも、薩摩土手は、駿府城の歴史や今川氏や武田氏などの先代の文化を知る上で貴重な遺産です。

 東日本大震災以降、薩摩土手のお手伝いボランティアとして、清掃美化に取り組んできましたが、今後も、薩摩土手の碑の周りの清掃や花壇の管理などに縮小して活動を続けていきたいと思います。 

御覧いただきありがとうございました。

https://note.com/saimonasuka/m/mc2f23d7073c0

薩摩土手

目 次
1 これまでの薩摩土手の様子
2 安倍川の流れの変更(西への移動による藁科川との合流) 
3 藁科川と安倍川の関わり(平安時代からの藁科川)

4 武田家(駿府制覇の時代)の雁行の信玄堤方式の採用 
5 駿府城の築城計画(焼失の繰り返しによる再建築)  
6 家康の築城計画(スペイン風の幻の川辺城構想) 

7 家康から秀忠への石槽船 150艘の流用指示 
8 各藩への造船時の500石制限
9 北川と駿府城を結ぶ横内運河の計画と完成 

10 薩摩土手関連の各機関の掲載資料
11 薩摩土手の完成と権現様堤の名 
12 誤解されやすい薩摩義士との違い 

13 駿河国誌での薩摩土手の名 
14 安倍紀行、駿河國新風土記と薩摩土手 
15 明治の薩摩土手周辺の様子

16 大正の洪水被害と湯浅堤 
17 大正の薩摩土手を横切る安倍鉄道 
18 昭和の都市計画道路、緑地公園そして自転車道へと変貌する薩摩土手 

19 平成の薩摩土手の碑建立
20 平成の土木学会による土木遺産の認定 
21 令和の緑地公園



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