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長崎市滞在-2022/12/10

10時ごろホテルを出て、赤迫行きの路面電車に乗り「長崎原爆資料館」へ。
長崎の街を描くにあたり必要なことなので、前から行こうと思っていた場所だ。

本当は“街へのご挨拶”も兼ねて一番最初に行くべきだったが、なにせポジティブなことではないので後回しにしてしまっていた。しかし、この土地で生きる人と話したいなら、戦争のことを少しは知っておかなければならないと思っている。なんというか、自分のベースにそれがあるかないかで、選ぶ言葉ひとつひとつが変わる気がするからだ。

路面電車の駅から、坂道を上る。地下で入場券を買って展示室へ。

時代と共に鑑賞者に配慮された展示になったのだろうか。グロいドロドロはあまり無く、展示の導線もスムーズで比較的観やすかった。

原子爆弾の実物大が置いてあり、思いの外大きくてびっくりする。「Fat Man」の名のとおり、私よりずっと高く太い。熱風でへしゃげた石や鉄を見ながら、これは人間なんてひとたまりも無いだろうと思った。
原爆の話でよく聞く「モノの影だけ残った」というのを今まで理解しきれていなかったが、モノ以外を残して焼けたので周りが光熱で変色し、影のように見えるとのことで、やっと理解する。

館内には外国人も多く、(やはり原爆が正しかったという価値観でお育ちなのだろうか?それとも…)と気になる。ここに来ているということは少なくとも知ろうという意思があるのだと思うが、この資料たちをどういう価値観で見ているのか、純粋に聞いてみたい。

途中、少し外れた小部屋で被曝者の方々の展覧会が開催されていて、体験談をじっくり読んだ。出口付近では、当時自らも被曝しながら救護にあたった医学博士の永井隆の本なども売られていて、しばしパラパラと捲る。

ひととおり観たので資料館を後にし、そこから徒歩すぐの「寶來軒 別館」へ。

SNSで、長崎に縁のあるフォロワーさんがおすすめしてくださった中華料理屋だ。いつも一人旅の食事はコンビニで済ませがちなので、大変ありがたい。

着いた瞬間、予想外に建物が大きく慄いた。しばらく建物の回りをオロオロしながら歩いた後、意を決して中へ。由緒あるお店で雰囲気や世界観もしっかりしており、かつリーズナブルで嬉しい。人気なお店のようで、少し待った。

店内の4人席に通され、メニューを渡してもらう。
どれも魅力的でかなり悩んだが、先日中華街で食べた皿うどんが細麺だったので、今回は太麺にすることに。注文からしばらくして、あっつあつの料理が目の前に置かれる。パリパリの細麺と違い、皿うどんの太麺はちゃんぽんの麺だ。塩焼きそばに似ているかもしれない。

たいへんおいしく、脇目もふらずに食べ、全国旅行支援のクーポンでお支払い。

そのまま、2日目に長崎県美術館で買った冊子「樂」に載っていたカフェギャラリー「Cafe+G 燈家」に向かう。栃木から移住されたご夫婦が切り盛りしていて、必ず行こうと思っていた。

ここから行き方を検索すると乗り換えが必要だったので、とりあえず路面電車の宝町駅まで歩くことにする。徒歩25分くらいだ。よく晴れた日で暑く、影になっている道を選ぶ。

道中、浦上百貨センターを見て、当時観ていた「あたしンち」に出てくるデパートに似ているな、と思った。商業施設ココウォークの、大きな観覧車を通り過ぎる。

宝町駅まで意外とすぐ着いたので、このまま燈家まで歩くことに。

稲佐橋を渡る。このあたりは道も広く、街中といった雰囲気だ。
途中トイレを借りたコンビニで、敏感肌に効くと有名なCICAのフェイスマスクを買う(後日ウキウキで使ったものの、わたしの激弱肌には合わず、泣く泣く友達に譲った)。

しばらく平坦な住宅街を歩いていると、急に入り組んだ路地と階段が現れた。坂がすごい。燈家へはこの道を上らなければ着かないため、初めての方はバスをお勧めする。路地や階段が好きな方にはドンピシャの道だろう。

時々、人慣れしていない野良猫が横切る。坂が長いからか、前回滞在した尾道よりしんどい。冬なのに汗をかき、道が延々と続く気がしてきた頃、「燈家」と書かれた小さな看板と古民家が現れた。入り組んだルートだったが意外と迷わずに辿り着けて嬉しい。

ドキドキしながら中へ。

アルコール消毒をして入ると、冊子「樂」の写真に写っていたご夫婦の奥様が、席に案内してくれた。長崎レモンのスカッシュを注文し、一息つく。

お昼を食べた寶來軒からここまで、徒歩一時間ほどだった。

店内には穏やかな空気が流れていて、窓からこぢんまりとした庭が見える。
10席ほどの小さな空間だが、光がたくさん入って明るいのと、席同士が離れているので閉塞感はない。

冊子「樂」に、ここはカフェギャラリーでもあると書いてあったので、展示をさせてもらえたら嬉しいのだが、さてどうやって切り出そう。頭の中でぐるぐる考えていると、奥様がドリンクを運んできてくれた。レモンの果肉がごろごろ入っており、甘さ控えめでとてもおいしい。

彼女が優しい雰囲気だったので、意を決してギャラリーについて尋ねてみた。

「長崎の風景を描きたくて大阪から来て、展示のできる場所を探している」と伝えると、気さくに話を聞いてくださり、「長崎市だとここもありますよ。ここもお勧めです」と教えてくださる。

そのまま「大阪から、絵を描きにいらしたんですって」と、向こうの席でお茶を飲んでいた男性二人組に話を繋げてくださったので、急いで彼らにも名刺を渡し、持ってきていた過去の作品集を見せた。

「そうですか大阪から…僕らは絵が描けないから、良いですねぇ」と優しく話してもらい、ありがたい。と、その時、男性二人組のうち一人のおじさま(以降、Kさんとする)が、「展示なら、僕が代表で運営している建物でもできますよ」と名刺をくださった。

"NPO法人 長崎の風"

と書いてある。
ピンとこなくて顔を上げたところ、「東山手甲十三番館です」と返ってきてびっくりした。2日目に行った、居留地にある洋館を管理していらっしゃる方だったのだ。「あんなに素敵な建物で、展示を…?!」と、一気に嬉しくなる。

Kさんは「長崎さるく」という、長崎をウォーキングするイベント企画も手掛けており、ちょうど明日開催とのことでわたしも参加することに。イベント終了後に改めて、Kさんと明日13:30ごろに東山手甲十三番館でお会いすることになった。

長崎へ来て6日目、目の前にかかっていた靄が少し晴れた気持ちになる。全ては、燈家さんが話を繋いでくださったおかげだ。

長居したお詫びを兼ねて、追加でホットの対馬紅茶を注文し、委託販売されているミニトマトを買った。終始優しい空間に癒されつつ、あたたかな気持ちを抱えておいとまする。

燈家からは、世界三大夜景で有名な「稲佐山公園」が近い。ちょうど夕方にさしかかっていたので、最寄りの停留所「朝日小学校入口」からバスで向かった。

バス停からすぐ展望台かと思いきや距離があるらしく、調べるのも面倒くさいので、道案内の表示を辿って約1kmの道を歩いた。途中、謎の鹿飼育ゾーンが現れ困惑する。何故山の上で鹿が飼われているんだ…。

奴らを眺めるのもそこそこに、長い階段を上がり展望台に到着。

夜景を一人で観るという体験は六甲山の取材日記でも書いたが、毎回寂しく恥ずかしい。一人で来ている者はほぼおらず、円形の展望台に響く楽しそうな声に身体を縮ませながら、日の入りを待つ。コロナ禍とはいえ土曜なので、来場者はそこそこ居た。

あたたかい日で、それほど寒くはない。

騒がしい教室で一人お弁当を食べているような寂しさに襲われつつ、手慰みに夕陽の写真を撮る。夕焼けから夜景までが遅く感じられ、永遠に続くような気がした。夜景は夕陽とは反対側に見えるので、その辺りで観ていた老夫婦の横に位置を変え、孫のふりをして夜景を観る。

何十枚も夜景を撮ったのに、帰って見返すと全部ブレていた。

18:20のバスで帰ろうと、17:50あたりで展望台を出る。先ほど上った約1kmの階段を下るのだが、暗くて誰もおらず怖くなり、小走りで向かったので早く着いた。

停留所で人が並んでいたら乗れないかもと思っていたが、みんな違うルートで帰るのか、わたしの他には中国語を話すカップルのみで、全く混んでいない。バスの中は暖かく静かで、ほっとした。

路面電車に乗り換え、ホテル近くのセブンで豚しゃぶサラダとおにぎりを買って帰る。

色々なところに行った満足感に満たされて、就寝。

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