犀の角と象の鼻

犀の人と象の人による、交換日記のような記録のような呟きのような、我々の軌轍、足跡、ある…

犀の角と象の鼻

犀の人と象の人による、交換日記のような記録のような呟きのような、我々の軌轍、足跡、あるいはノートの落書きです。今日も人間酷道を歩いています。

最近の記事

ぷよぷよは食べられません

朝のあのキャラは上手いなって読んでいて思った。親の死を受容して、そこから改めて自分を見てみたときの「こんな境遇なんだからもっと自分に深みが出てもいいはず」という、イラつきを惹起させてくる度し難い浅はかさに笑ってしまった。でもそういう、自分自身に対して「自分にはこれこれこういう悲劇苦難があったのだから自分はもっと良いもののはず!」という、根拠不明の漠然とした確信を持つことって結構あるもんだとも思う。何かしらのしんどい思いをしたのだから、それに相応しい対価があってしかるべきだろう

    • uni-ball Signo 0.38/ BLUE BLACK

      違国日記、とても好きで、主人公のことがとても嫌いでした。一節、「叔母さんは小説家で親が死んで超つらくて音楽的に深みが出てもいいはず」ってのをなんでかよく覚えている。どういう理屈だよ。しかし毎巻苛立たされながらも、なんやかんやで全部読んだ。面白かった。嫌いと苛立ちいうのは、好きにも勝るとも劣らない強いスパイスなんだなとつくづく思う。 とんでもない飽き性であるもので、1つの作品を完走するのがとても苦手だ。最初はハマって一気に読んだり観たりしていくのだけど、最終話目前にして飽きて

      • でも、やるんだよ

        「博士号を持つ僕が なぜ謝罪を」 すごい、短いセンテンスに何もかも間違ったものが一寸の狂いもなく収められている。次会った時にぜひ聞かせてもらいたい名台詞だ。もし入り用ならTシャツも作っておきましょう。背中にどでかく書いてあるやつ。ストリートの注目独り占めですよ。カッコヨ。 本気度。それは今僕も直面している問題かもしれない。 あいにくと真面目でないやつでも生き残れる(というか生き残らせざるを得ない)弊業種においては、さっさとやっといた方が良い事でも日々の繁忙を言い訳にして何か

        • 赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ

          その、何?足並み揃えるってやつ?組織には必要なものだと思うけど、客観的に見て悪い意味(言い訳)で使われることもあるよね。特に真面目な人が淘汰される系の足並み揃えは滅びるべし。普通にダサい。 真面目なやつは偉い。というよりも、真面目でないやつが生き残ることは、こちら界隈ではない。 とは言っても、研究活動に関する本気度にはさすがに個人差がある。特に、博士号を取りたい理由を、「名前の前に“Dr.”を付けたい」か「その後アカデミアに残りたい」のどちらに重きを置くかでその度合いが変

        ぷよぷよは食べられません

          真面目人間9号

          今の私の職場は、まろやかに言って「ああ、つくづく世界ってどちゃくそいい加減にぶん回されているんだな」という諦念に満ち満ちた感情が週2くらいでやってくる。仕事ってそんなモンと言ってしまえばそれまでだが、にしてもあの人らはもう少し真面目に仕事してもいいと思うので、爪の垢を一ダースほど着払いで送ってもらえると大変に助かる。 お仕事お疲れ様です。 そう、仕事の話。 私が新しい職に就いて1カ月ちょっと経つが、時おり上長もしくは先輩から「指示した仕事を早く終わらせられると困る」「仕事の

          来ない電車

          先月末に大きな仕事がひとつ終わった。一息つけるかと思いきや、矢継ぎ早に新しい仕事がやってくる。とはいえこんなものは更新を落としてしまった言い訳だ。遅れてしまって申し訳ない。 罪を自覚するためにも今日は遅延の話をしようかな。 この国の電車はよく遅れる。日本でたまにある「到着が2分遅れています」程度ではなく、15分遅れは許容範囲という感覚。ちなみに私がこの国に来て初めて覚えた単語はもちろん「遅延」である。何かで見たことがあるが、この国の電車の1日の遅延合計時間は、日本の電車の

          オセアニアじゃあ常識なんだよ

          幸い、頭痛に苛まれることもない僕はアスピリンにも縁がない。元より普段から何か薬を服用することもなくて、家にあるのは何かの折に(例えば先日の腰痛とか)で処方されるロキソニンのようなものと定番の胃薬くらい。気圧の変化に対してはたまにくらっとくるけれど、とんでもないと形容しなくてはならない程のものには早々出くわさない。だから僕には「キラキラ」は訪れない。おかげさまで自分はそこそこ頑丈な方なのかな、と思っていたけれど、とある知人と話をしていると、その人は不定愁訴とも言われそうなその手

          オセアニアじゃあ常識なんだよ

          キラキラ

          腰、大事ではなく良かった。体の大きいところが痛むと気が滅入るよね。この痛みを瓶に入れて蓋をして、どこかに放っておきたいという気持ちになる。痛みといえば私は偏頭痛持ちなのだけど、あれもあれで恐怖。なんだか目の焦点が合わないなって思ったら、突然視界が一点キラキラし始める。それが大きくなって無くなったと思ったら、とんでもない頭痛が始まる。何が嫌って、予兆があるところ。キラキラは15分くらい続くんだけれども、その間ずっと、「偏頭痛 対策」とか「偏頭痛 予兆が出たら」とか調べる。多分毎

          「椎間板モリモリだねぇ」

          先週の頭から違和感があった腰の痛みは水曜の夜には激烈な痛みに変貌していて、翌朝ベッドから起き上がることすらままならない程になっていた。どうやら横たわる姿勢が一番負荷のかかる痛め方をしてしまったようで夜眠ることもままならず、かといって人間は眠らずに生きることもできやしないから否応なく眠りについて、そして凝り固まった最悪のコンディションで朝を迎えた。 我慢する必要も感じなかったので、転職したての会社で「すみません病院に行きたいので早退させてください」と言った。理解ゆえに、と言うよ

          「椎間板モリモリだねぇ」

          未完成のサグラダファミリア

          人生にはもちろん酷い瞬間もあるけれども、ずっと酷いってわけでもない。何か辛いことが起こった時に、悪くない箇所が見えなくなるだけで。そういう時は、自分があたかも世界で1番可哀想で不幸な人間に思えてしまう。側から見ると、奈良県の山の中の短い国道にたまたま迷い込んで、後退できないってギャーギャー慌てふためいているようなものなのよ。なんて滑稽、そんなこと重々承知しているけれど、私もしんどい時は世界一不幸型マインドセットになる人間です。 けれど人生はやり直しが効かないっていうのはそう

          未完成のサグラダファミリア

          「ゆるふわ」を冠して許されたい

          人生は酷い。 年を重ねるほどに、その考えは澱みをまとった確信になりつつある。 まずもって、「人生にやり直しは利かない」という定型句の重みをより強い輪郭を以て実感することが増えた。今まで大小さまざまな選択肢を取って今この文章を書くに至っているが、その道程において「なんでこんな道を選んだんだ」という自問をしたことは数限りない。中にはそのあとリカバリーが効くものもあったけれど、その大体は「今更どうしようもない」となるものばかりだ。本当にやり直しが利かないじゃあないか、人生。 そし

          「ゆるふわ」を冠して許されたい