今夜、貴方と石橋を叩ッ壊す

先日、昔好きだったバンドのギターボーカルが逮捕されました。行状は大麻。
ちょうど先月末にすごく久しぶり、多分7,8年ぶりくらいにライブを観に行って、なんというか、かつてとても憧れて自らを近しくさせることを強く望んだ道が、気が付けばずいぶんと遠いものになっていたことに気づいたばかりだった。多分変わったのは僕の方で、あちらは十数年経った今でもあまり変わっていなかった。その此岸と彼岸の隔絶を見て、かつては「変化すること」を恐れている節もあった自分が、今では「変わりゆくこと」を自然と受け入れていることにも気づいた。いつの間にこんなに離れていたんだろうねぇ。
気持ちは常に若々しくありたいと思う一方で、それが成長と変化を拒絶するものであってはならないとも思った。生きているだけで何かを積み重ね何かをやらかし、連続性のある不均一な昨日と今日の自分があるので、そこで真に永久不変なものは多分ない。
強かでありたいね。

そのバンドを聴いていたのは大体2010年ごろ、今からもう14年前になるんだな、数字にするとおっかなさが倍増する。
大阪のバンドで、当時僕が住んでいた名古屋も比較的よく来ていて行ける限りはライブハウスに行っていた。本当に行ける限りは行っていたな。一番印象に残っているのは新宿のライブハウスでやったワンマンで、終演後外でタバコ吸ってた彼に話しかけたのを覚えている。あの時あの人に話しかけなかったら、多分人生もう少し方向変わっていただろうなと思う。それが良いのか悪いのかは当然わからない。少なくともそのあと本屋勤めを始めたりはしなかっただろうと思うけれど、そうなったら果たしてどうやって生きていったんだろう。良いのか悪いのかわからないと言っているくせに、我ながら一切の希望がそのifから見いだせない。ただ、そこで彼と話していなかったとしても、結局今のところに近しいところに今も立っているのかもしれない、とも考えてしまう。結局人は歩きやすい道を歩くということで。

変化を恐れず、条理を尊び、誠実に進む方法は、あんまり周囲と相いれない瞬間がある。なにもそこまで真面目に面倒臭く考えなくってもよくない?などと言われる。やるなら相応にやっていきたいと思っているのだけど、それそのものが軋轢を生むものとなってしまったりする。その度にトーンを落としてがっかりする。
最近一緒にいろいろやっている人は、その辺の歩調がとても合う。川にかかる石橋を見て「この石はどこ産のやつ?」みたいな話から始まる。それがとても楽しい。

連日少し体力的にキツい日が続いているのもあってか、少し文章がフワフワしている。言い訳ですね、どっしり構えた文章をそもそも書けるのかという話だ。
『推し、燃ゆ』は確かどっかにあったはずなんだけど、全然見当たらない。人にあげたのかもしれない。今度読んでみます。図書館へ本を返しに行かなきゃ。

読み返してみて、ずいぶんと酷い文章になっている気がするのだけど、日記らしいとも思うので今日はこのまま提出です。
今最推しの漫画『大丈夫倶楽部』を読んで寝ます。読もう、『大丈夫倶楽部』。

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