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命の価値は無限じゃない

2022年も早いもので2カ月が経過し、今日から3月が始まった。

ダイヤモンドプリンセスなるクルーズ船の話題を発端に新型コロナウィルスの話題が本格的に大きく取り沙汰されるようになったのは一昨年の3月頃だったと記憶している。

当時行った遊園地ではにわかに感染症対策のアルコール消毒がされるようになったことも覚えているし、また同時期に転居を行った際に修繕リフォームの物資が中国から届かないなどとして管理会社都合で入居日が後ろ倒しになったことが記憶に残っている。

それからほぼ丸二年が経った。三密回避マスク自粛の二年だった。

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この二年間で何度も思い知らされたことがある。

命の価値は無限大だ命には何よりも勝る価値があるという、我々の多くが素朴に、ごくごく当たり前に共有していた常識的な価値観を改めなければならないことだ。

交通事故に遭ったとき、急病人が出たとき、救急車はいつだって駆けつけてくれる。お金のあるなしは関係ない。救急車の出動費用と救急隊員の人件費が幾らなどと、そろばんをはじくこともない。人命が第一だからだ。

山岳救助の場合なども救急車と同じだ。無謀な雪山登山にチャレンジした結果、案の定遭難、税金で救助活動が行われるというニュースに批判が殺到という光景は、ほぼ毎冬一度は見かける恒例の風物詩である。

電車で急病人が出たとき、「列車がお客様と接触」したとき、数千人、数万人の乗客の足を止めて救助活動や安全確認を行うことは当たり前のことであり、つまり数万人の乗客を10分20分電車に閉じ込めたときの時間的損失と、個人の人命を天秤にかけた場合、後者が基本的に勝るということになる。

社会生活の情景の端々で、命の価値は無限大だという価値観は垣間見られるわけで、だからこそ多くの人が信じて疑わない価値観になっている。

無限というのは高校数学で文系でも習う内容で、昔に勉強したことなんて忘れてしまったという方でも、無限は何を掛けても無限だし、何で割っても無限だし、どんな数よりも大きいという程度のことはざっくりと覚えていらっしゃることだろうと思う。

救助活動による列車遅延が長引けば長引くほど、遅延に巻き込まれる乗客の人数も増えることになり、人数×遅延時間の時間的損失は加速度的に増えていく。しかしながら何万人の人間が何時間足止めを食らったところで、無限たる人命の価値のほうが大きいわけである。

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今回の新型コロナウィルス騒動を機にこうした世間全体的な価値観は一変したように思う。

covid-19の症状や重症化率、死亡率などは第一波の段階ではほぼ不明だったものの、第二波、第三波という時間の経過、症例の蓄積とともにそれらは統計的・経験的に明らかになった。そんな中で、なんでもかんでも自粛の無味乾燥な生活を送ることはナンセンスだと考える人が徐々に増えてきた

命の価値は無限大だから、マスクも消毒も徹底して外出も極力しない。外食や県境をまたぐ移動などもってのほか。命に比べればその程度で生じる不便など些細な問題だと考える人も確かに存在するが、長引く自粛生活で考えを変える人が増えてきたわけで、そこまで生真面目に考える人は今となっては少数派になっていることだろう。

修学旅行や学校行事が軒並み中止になったことを受け、かばんをたたきつけるほどのやり場のない怒りと無念を抱え込んでいる中高生は少なからず存在するし、人生に一度の修学旅行だからと決行している学校も実際多い

私の身の回りに限って言っても、人生で一度の結婚式と披露宴を計画していたのに泣く泣く延期や中止をした友人が複数いるし、逆にこんなの何年待っても無駄だと言って決行した友人も同じく複数いる。

反自粛に発想転換する思考回路をざっくり説明すると、「命の価値が大きいことはわかっているし、マスクや消毒など無理のない範囲では感染拡大防止に協力的な態度を取るが、理不尽なレベルの自粛生活への協力はごめんだ」ということになるだろう。

重要なのは無理のない範囲だとか理不尽なレベルだとかいう部分において、その妥当性はともかくとして各人の価値基準が相対化してきていること、すなわち命の価値が無限ではなくなってきていることだろうと思う。

命の価値が無限であるならば、命が危機にさらされる損失はマイナス無限になって然るべきではあるものの、実際のところ新型コロナによる命の危機に重症化率や死亡率を掛けた結果、損失はマイナス無限ではなかったわけで、自粛その他による人生の損失の方が大きいであろうことを多くの人が認識し始めている。

漠然と命の価値はプライスレスだと思って生きてきた我々は、未知のパンデミックによる生命の危機というある種のトロッコ問題に相対させられることになった。

それにより我々は、人命の価値は無限大だという価値観には絶対的な科学的根拠などなく、道徳的・倫理的なものにすぎないということを思い知ることになった。

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平和な世の中が続けば続くほど、平和ボケと揶揄されるような、現実から乖離した幻想的な価値観が蔓延することは避けられない。現実が突然無慈悲になることを念頭に、あらゆる残酷な空想に耐えておくことというのがやはり重要なのだろうと、改めて認識させられる。


本日は以上です。
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それではまた次回。

2022.3.1 さいとうさん


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