<編集後記> 万物の理に身を委ねる。(ル・プチメック コラム)
ル・プチメックさんのコラムが終了してリンクが切れたので加筆してます。
…今月も無事投稿できたコラム掲載。言い訳のような感じで編集後記を綴ってみる。
僕の日常生活の圏内に「いけばな」の源流とされている紫雲山頂法寺『六角堂』と呼ばれるお寺もあって、いつもは通り過ぎるだけだったけれど、せっかくなのでお参りしておいた♪
と、コラムに書いているんだけど、六角堂周囲の道(烏丸通、六角通、東洞院通)はまぁまぁ頻繁に歩いているが、六角堂の門をくぐったのは1年以上前のことだった気がする。(当時、『Pokémon GO』で遊んでいたに違いない!)
その源流にある流派は「池坊(いけのぼう)」
紫雲山頂法寺『六角堂』が建立されたのは、用明天皇(42代天皇)の時代(587年)に聖徳太子がこの地を訪れたことがキッカケとなる。その住職を代々努めているのが池坊家となって、室町時代(1336年~1573年)の後期に池坊専応(いけのぼう せんおう)という人物が「いけばな」理論を確立したとされる。(池坊より)
「室町時代」
広義には京都・室町に幕府が置かれた期間を示すようで鎌倉時代から安土桃山時代の間を示している。当時の著名なキーワードだと、現在の京都御所の場所が南北朝の期間(1336年―1392年)に内裏(禁裏、皇居、つまり天皇の住まい)となったり、一休和尚(1394年―1481年)、相国寺の山外塔頭である金閣寺(1397年)・銀閣寺(1490年)の創建、応仁の乱(1467年―1477年)、西陣織の発展など繁栄と荒廃が激しい乱世。
そんな乱世に「池坊華道」の基本が定まっていくようで、栄華な舞台もあれば、壮絶な生き死にも傍にあったのだろうか、人の世の理に向き合う環境であったのだろうかなー♪
六角堂にある「へそ石(京都の中心にあると云われている)」
へそ石の傍にある植物は、松、桜、柊であった、、なぜ柊なのだろうか、ここに万年青があると、松は木の王、桜は花の王、万年青は実の王として腑に落ちるのに、簡単には解釈をさせてくれないのだろうかね♪
ちなみに、そんな話も最近知ったばかり…
余談(世と代の使い分け方)
落語や歌舞伎に限らず、歴史が長いと名称に〇〇世、〇〇代というのがつくことが多いのだけれど(京都の老舗あるある♪)、「世(せい)」は家督(役)を継ぐことで、「代(だい)」は名を継ぐという使い分けのようだ。
例えば
・華道家元 三十一世 池坊専好(初代)
・華道家元 三十二世 池坊専好(二代)
・華道家元 三十五世 池坊専好(三代)
となって、次期家元 池坊専好(四代)って理解している。
現家元は四十五世 池坊専永なので、専好(四代)が家元を継げば、四十六世となるということかな?
(かの「ルパン三世」はルパン家の家督を継いでいるということやね)
僕の周りを見渡すと、「世」を使っている人は一人ぐらいで...、歴代の名を継ぐ仕組みで「代」を使っている方も数名ぐらいか、ほとんどが「家業」を継ぐということで「代」を使われている。当代の「名」じゃなくて、屋号の「名」の継ぐというニュアンスなんだろうね。(混乱するよね♪)
ル・プチメックとは、1998年に創業された京都でも指折りのパン屋さんなんだけれど、京都に限らず全国にそのファンを持つとてもユニークなパン屋さんだと思ってる。店舗は東京にもあるし、レフェクトワールという名前でレストラン業態も運営されている。
僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。