夏休みへのノスタルジア
街で、楽し気に笑いあいながら自転車をこいでいく高校生達とすれ違った。
日焼けした腕と白シャツのコントラストが美しい。
ああ、夏休みが始まるんだな、と思う。
私は夏休みが大好きだ。
入道雲と青い空。飽きるまで泳いだ海。心地よい田渡の風に吹かれての昼寝。朝焼けの中出かけた釣り。ジブリ映画の新作。部活帰りの良く冷えたコカ・コーラ。夏祭りの花火と浴衣の女の子。
楽しかった思い出は枚挙にいとまがない。
でも、そんな夏休みも、いつのまにか遠い憧憬に変わってしまった。
正確に言うと、今でも夏に休暇はある。
しかし、残してきた仕事を気にしながら帰省だなんだと追われるように過ごす1週間程度の休みを「夏休み」と呼ぶことができるだろうか。
そんなものは、ただお盆にある連休に過ぎない。
夏休みを失ってしまった大人たちに残された、夢の日々の残滓なのだ。
今でもどうにかしてもう一度夏休みを過ごすことができないか、と考えることがある。
いっそ何もかも放り出して、1か月くらい休んでやろうかと。
でも、それでも夏休みはもう帰ってはこないだろう。
私が求めているのは、ただ長い期間の休みというわけではないのだ。
あのどこまでも続いていくかのような自由と、これからいろんな楽しいことが始まるんだという期待。恋焦がれているのは、あの頃の自分の中に宿っていた気持ちも含めての夏休みなのだから。
夏休みが大好きで、そんな大好きな夏休みが手の届かないところへ去ってしまったおっさんにとっては、これから夏休みを迎える彼らがまぶしくてしょうがない。もっと率直に言えば、うらやましくてしょうがない。
でも、精一杯の強がりを言うとするならば、私にだって夏休みはあったのだ。
かつて、彼らと同じ年頃の頃、彼らと同じ限られた時間だけ。
そして、今でも忘れられなくて寂しくなってしまうくらいに、楽しい夏休みを過ごすことができたのだ。
それはきっと幸せなことだったのだろう。
夏休みの輝きは、米米CLUBの名曲『Child's days memory』に完璧に表現されている。
我々世代にはおなじみの『ポンキッキ』で流れていた曲で、聴いたことのある人も多いと思う。
まだ聴いたことのない人は絶対聴いてほしいし、すでに知っている人もこの夏に聴きなおしてみてほしい。
過ぎ去った遠い日の夏休みを、牛のように反芻して過ごす一日にはうってつけの曲だ。
いつも最後の「もう二度とは帰れない」というフレーズで泣きたくなってしまうんだけどね。
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