【高齢者というメディア】論 その1/抜群におもしろい
夕べは、とある伊丹市内にある老人ホームでの夜勤だった。
で、夜勤明けにモーニングを食べる為に入った喫茶店で、書いている。
ここ1,2ヵ月、修行のようなルーティンをこなしている。えらいもんで慣れるのに時間はかからない。どの現場でも、1日2日入れば、仕事はほぼ廻せる。わからんことは聞けばいい。
週に2,3箇所で、介護現場に入らせてもらいながら、(介護業界以外でも)コンサルテーションしてみたり、自分の店でカウンターに立ったり、自分の店の掃除をしたり(人に貸し出すスタイル)、最近はベロタクシーのドライバーにもなったり、ファッションショーの音響も担当させてもらったり。
「介護×〇〇」というパラレルキャリアモデルを自分自身が実践することで、【キツイ・キタナイ・給料が安いとか、3Kと呼ばれるカイゴ職、フクシ職】に何か新しい人生の過ごし方の提案ができるんじゃね?的な、取ってつけたようなことをし始めたのも、 いわば「勢い」だったのだけど、なんやかんや、僕自身は、楽しんで過ごしている。しかも、時間の経過と共に明らかに。朗らかに。穏やかに。
カラダには無理がたたるとしても、わりとやれているのは、結果的に、思考と姿勢と、人々のご厚情に依るところが大きい。安定的な余裕をもって無茶をしてみている、そういうことです。
ところで、前から、もう一つ・・・うまく伝えることができないなぁ感じてきた部分があったのが「なぜ、まるで興味なかったはずの高齢者介護をそこまでして生業にしてんのか」である。これまでは、以下のような言葉で説明してきた
※他に選択肢なかったから(僕は大学9年の後、転がり出るように卒業) ※認知症ケアにはまったから(記憶システムについての論文を経験) ※元来のサービス業好きで、高齢者介護サービスの息の長さが?魅力だった
どれも、思い当たるフシはあるし、その通りなのだけど、真芯を喰うような表現ではないなぁと思っていた。
一番、わかりやすくいうと「おもしろかった」から、なのだが、どこがおもしろかったのか、というと、自分の中に色んなパーツが散らばっていた。
その中で、最近、介護やらフクシやらの人達ではなく、クリエーターと呼ばれる人達と会話している中で、ああああ。コレだわぁって思うことがあったのねー。それは、
【『高齢者というメディア』が抜群に、めっちゃ抜群におもしろい】ということ。
クリエイターさんたちに、僕は、↑ このことを伝えようとしていたのだと気づいたから。
言葉が悪いが、より具体的にはこういうことだ。
もともと、僕にとって、高齢者であれ、フクシであれ、なんであっても、「社会を読み解くカギ」に過ぎない。知的好奇心を満たし、人の世に対する興味と探求を行うにおいて、「高齢者」という対象を通して、世界をみつめるおもしろさ。
【さがんの定点観測⇔高齢者⇔社会】
当たり前だが、世の中のスピードは驚くほど速まっていく。様々な技術革新、そして、飽きていく我々。飽和する技術やノウハウ。そして、様々なコトが陳腐化する方向の中で、われわれは落ち着いて、自分自身の周りを見回していけているだろうか。
そして、これだけ世の中のスピードが上がったところで、人の腕は4本生えていないし、カラダは変わらない。要は、人体というのは(今のところ)普遍的なものであり、とても物理的なものであり。
僕は「高齢者」というメディアを通して、社会をみつめ
「高齢者介護」という服をきて、社会を歩き、飯を食ってきたのである。
そして、メディアとして味わい、ブランドとして活用し、
なかなかにおもしろおかしく過ごしているのだ。
多少、恩返しくらいしようと自然に思って当たり前だよねw
そして、そらーフクシ的な人達とは相容れないよね。まぁ、なんでもいいんだよ。おもしろければ。
それはそれとして、メディアとしての高齢者っていうのは、そういうわかりやすい書き方しないと人には伝わらないよなぁ、、、逆に言えば、
メディアとして、どう楽しむかを皆さんに伝えたら、もっと新しい高齢者介護があり得るよね!!!というわけで、これから、もっとリアルな楽しみ方を書いていくことにします!
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