こころにおきたいことばたち_3
生き物の世界は厳しい。
けれども、必要でないときに他の生き物を殺すということはないということ。
だから、強い生き物だけが生き残り、他がほろびてしまうことはないということ。
ミツバチが、花の蜜や花粉を集めたとき、
その体に付いた花粉の一部が、
次におとずれた花のめしべに付き、
植物は、実を付け、種を作って、
子孫を増やすことができるということ。
一生けんめい生きようとしていたミツバチが、
他の生き物の役に立っていたということ。
このような例はたくさんあるということ。
こうして生き物全体がうまく生きているということ。
二本の足で歩くようになった人間が、
自由な手と考える力を使って技術を開発し、
自分の力ではできないことができるようになったこと。
でも便利になればよいとだけ思って技術を使うと、自然をこわしてしまうことがあること。
人間が二本の足で歩き出した始まりに、
見つけた食べ物を自分だけで食べずに、
家族に持って帰るというやさしい心があったのかもしれないということ。
家族がおなかをすかせて食べ物がほしいと思っているだろうと考えるのは、
他の人の心を理解するということ。
生まれたばかりの赤ちゃんには、この能力はないということ。
家族や周りの人との間のやり取りをしてるうちに、だんだん相手の心が分かるようになり、
全ての人を思いやる気持ちにまで広がること。
この思いやる気持ちから生まれたのが、
他の生き物はもっていない、
私たち人間だけにある想像力であるということ。
みんなが共に生きている世界なのだから、
他の生き物が生きにくければ、
人間も生きにくくなるにちがいないということ。
人間にだけある想像力を働かせて、
みなが生き生きと暮らせる
社会を考え出すこともできる ということ。
上のことばは、小学六年生の教科書に載っている生物学者である中村桂子さんの「今、あなたに考えてほしいこと」の文章を、私がほぼ丸写しし、短くした文章です。私には、この文章を、うまく要約する力はありませんでした。出版社の人に、こんなに抜き出して書いたらだめですよと言われるかもしれません。教科書用の文章でしょうか。もしそうでなければ、私が下手に抜き出した文より、中村さん自身の文章を是非読んでほしいです。
中村さんの文章を読んで、私は思うのです。
人間は、人間しかもっていない想像力があるのに、他の生き物のことを、他の人のことを考えるよゆうのない人間になっていないかと。
私も気持ちのよゆうなんてありません。
これ以上余裕がなくなってしまったら、と思うととても嫌になります。
これほど便利な世の中になって、余裕があるはずなのに、本当に不思議です。
この中村さんの文章は、小学六年生の国語の教科書の「卒業するみなさんへ 中学校へつなげよう」というテーマの箇所で紹介されています。
このテーマに、冒頭で谷川俊太郎さんの「生きる」が掲載されていて、続いて、中村さんの文章になります。
谷川さんの「生きる」を久しぶりに読みました。
年齢を重ねるごとに、この詩は、しんしんと深いところに入っていくようです。そんな年齢に、私はもう差しかかったのだと、あらためて思いました。
谷川さんの詩と、中村桂子さんの文章、とてもよい組み合わせです。
そう、赤ちゃんだった息子が、
あんなに小さかったいのちが大きくなりました。来年中学校にあがります。あっという間でした。
そうやって、これからも時はすぎてゆくのですね。
いのちのぬくみを感じながら、成長する息子のそばで、生きてゆきたいのです。息子なりに、少しずつ思いやりを育んでほしいと、こころから願うのです。