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百人一首

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#文学

【百人一首】(わが袖は/九二・二条院讃岐)

【解釈】出典は「千載集」恋二 七五九。 結句の「かはくまもなし」は、千載集では「かはくまぞ…

羽田さえ
2週間前
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【百人一首】(きりぎりす/九一・後京極摂政前太政大臣)

【解釈】出典は「新古今集」秋下 五一八 。 作者は後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっし…

羽田さえ
4週間前
10

【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)

【解釈】若い時には今ひとつ良さが分からなかった歌のひとつです。 出典は「千載集」恋四 八…

羽田さえ
1か月前
7

【百人一首】(難波江の/八八・皇嘉門院別当)

【解釈】ワンナイトの恋が忘れられない、というちょっと刺激的な歌。 出典は「詞花集」恋上 …

羽田さえ
2か月前
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【百人一首】(村雨の/八七・寂蓮法師)

【解釈】 出典は新古今集 秋下 四九一。 作者は寂蓮(じゃくれん)法師。平安時代末期の人…

羽田さえ
2か月前
9

【百人一首】(なげけとて/八六・西行法師)

【解釈】出典は千載集 恋五 九二六。 詞書には「月前恋といへるこころをよめる」とあり、月…

羽田さえ
3か月前
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【百人一首】(よもすがら/八五・俊恵法師)

【解釈】出典は千載集 恋二 七六五。 「恋の歌とてよめる」というわりとそのままな詞書がついていますが、作者の実体験ではなく、女性の立場に立って詠まれた歌のようです。 作者は俊恵(しゅんえ)法師。「しゅんけい」でも「としえ」でもなく、重箱読みで「しゅんえ」です。不思議な語感が美しいですね。 生きた時代は平安末期、方丈記の作者として知られる鴨長明の師匠に当たる人です。歌の才にたけていて、歌詠みが集まるサロンを持っていたようです。東大寺の僧侶だったとも。 さて、歌の中身。 江

【百人一首】(ながらへば/八四・藤原清輔朝臣)

【解釈】なんだか暗い歌です。 子供の頃は、この歌の良さがさっぱり分からなかったような気が…

羽田さえ
4か月前
9

【百人一首】(世の中よ/八三・皇太后宮大夫俊成)

【解釈】出典は千載集 雑中 一一四八。 作者の皇太后宮大夫俊成とは、平安末期から鎌倉初期…

羽田さえ
5か月前
7

【百人一首】(思ひわび/八二・道因法師)

【解釈】出典は「千載集」恋三 八一七。 作者の道因法師とは、藤原敦頼(ふじわらのあつより…

羽田さえ
6か月前
10

【百人一首】(ほととぎす/八一・後徳大寺左大臣)

【解釈】 雅な歌ですね。この雰囲気、何だかとても好きです。 出典は「千載集」夏 一六一。 …

羽田さえ
8か月前
8

【百人一首】(長からむ/八〇・待賢門院堀河)

【解釈】大人の恋の歌やなあ、とローティーンの頃から心惹かれる歌でした。 お泊まりして別れ…

羽田さえ
9か月前
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【百人一首】(秋風に/七九・左京大夫顕輔)

【解釈】 月のチラリズムを詠んだ歌です。難解な表現はないので、わりとそのまま理解できます…

羽田さえ
10か月前
8

【百人一首】(瀬をはやみ/七七・崇徳院)

【解釈】出典は「詞花集」恋上・二二九 。 作者は崇徳院(すとくいん)。12世紀半ばを生き、45歳で世を去りました。 題知らず、とされていますが、状況説明がなくても充分に分かる歌です。 崇徳院は鳥羽上皇から強引に譲位させられ、保元の乱では後白河天皇に敗れて讃岐に流された不遇の人。怨霊伝説もあり、無念さや強い恨みつらみを抱えていたというイメージもあります。 そのためこれは恋の歌ではなく、いつか返り咲きたいという強い思いを詠んだものと見る向きもあるようですね。 個人的には