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誰だって、ルフィ。

「”自分語り”な文章は読まれません」と聞くと、納得いく部分が半分、「そうか?」と思う部分が半分、という感じがする。

たしかに「いやいや、そんなにあなたのことばっか聞いてないよ!」みたいに思う人もいるだろうなぁとは思うし、何より「読む相手」のことを考えていないとそれこそ自分にしかわからないような文章を書きしたためてしまうので、そりゃあ読まれないよな、とも思う。

ただ、基本的には「自分のことを語ればいいのでは・・?」とも思ってしまう。自分を語るだけでも、人は感動するぞ、と。私は、「自分のこと」を書いている人の文章は結構好きだ。

「自分のこと」が書かれている文章を読んでいると、もちろんその人のことを知ったり、その人の日常を覗いたりするわけだけど、単にその人のことを知って「へぇ〜」って楽しんでいるだけではないような気がするのだ。要は、無意識に、自分を投影しながら読んでいる。


少し前に、テラスハウスに西野入流佳(にしのいりるか)くんという男の子が住んでいた。

20歳くらいの子で、めちゃくちゃ美形で穏やかで優しい性格だと私は思ったのだけど、彼は一言で言うとびっくりするくらいポンコツだった。いつも昼過ぎまで寝てるし、パスタの茹で方も知らないし、掃除もままならないし、言葉もよく知らない。

その子は将来の夢を「マーベル作品に出ること」と言っていた。いや、もうちょっと前段階では「スパイダーマンになりたい」とも言っていた。そこで、女優をやっている同居人の女の子が「マーベルに出たいなら英語も演技も勉強しなきゃダメじゃん」とごもっともな指摘をしたり、「夢を叶えるためのステップみたいなものを考えなきゃ」とか「まずは自立するところから始めないと」とか散々っぱら怒られたり(?)していた。

そんなこんなの日々を過ごし、英会話を習い始めたり料理教室に行ったりとかして少しずつアクティブに動くようになり、いよいよ卒業の日を迎えた時、彼は同居人たちに対して感謝を込めた手紙を用意していた。英語で。

お世辞にも上手とは言えない英語のスピーチだったけど、あぁ「伝える」ってこういうことか、と泣けてしまうほど、手元のカンペを見ながら一生懸命に話す姿が印象的だった。

あんだけダメなやつ扱いされて、スタジオメンバーとかSNSでもボコボコに言われて、恥ずかしがり屋で人見知りなのに、みんなの前で英語のスピーチて。

このとき、一視聴者である私は何を考えてたのかなって思うと、彼の成長に感動したのは多分3割くらいで、あとは、自分のことを振り返ってたんだと思う。

「あぁ、私だったらこんな立場の時、堂々と人前で喋れてたかな」とか「恥ずかしいという気持ちを乗り越えられていたかな」とか「会社で人前で話す機会があっても、チャレンジなんてせずに置きに行ってたな」とか。

そうやって、チャレンジできなかった自分とか、引っ込み思案な自分とか、できない自分とかダメな自分とか、そういうのを彼に(本当に勝手ながら)投影して、そして彼を「すごいなぁ」と思い心から感動したんだと思う。


ちょっと「文章」からはそれてしまったけれど、それでもやっぱり、何に触れるにも、「自分」というものを媒介するから人は感動するんだ、っていうところもあるんじゃないかなぁと思う。

つまり、どれだけ自分語りしたとしても、それに共感したり共鳴したりする人はいるんじゃないか、っていうこと。

結局は、皆、他人の人生を生きられはしないので。ワンピースのルフィみたいに、自分を思う存分、味わい、表現し尽くせばよいのでは、と思うのです。それに共感したり影響されたりする人は必ずいる。だってみんな、海賊なんか経験したことないし、ゴムゴムの実を食べて腕が伸びたこともないのに、ワンピースでめちゃ泣いてるもん。

「私の文章なんて誰も興味ない」「私の考えていることを書いたところで何だっていうんだ」と思われたら、少し悲しい。いろんな人の話・事情・考えていること・悩み・・・たくさん聞きたいし、読みたい。みんな、ルフィなので。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。