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差別の余地は要らないね

「私はノンバイナリーやから。」いきなり子供が言ってきたので、何なんやー、解らへんとか思った。

海賊王になると言った方が、まだ理解できるんだろうと思うほど、馴染みが無い。

でもその頃には、私にはGoogle検索って言う強ーい味方が在ったから、調べたよね、ノンバイナリーって言葉。

調べると自分で認識する性を固定化しない立場を取る人を、ノンバイナリーと云うらしい。

少し前に宇多田ヒカルさんが仰ってたみたいなので、知ってる人も多いかも知れない。

子供が言い出したのは、もっとズーと前の話でLGBTQ2+なんて言葉もない時代だったんですけど。

性自認の問題は難しい、子供の頃は生まれ落ちた時の体の状態で決まるんだろうけど、大きくなってくると精神的な部分が違ってくる。

私自体は自分の性について深く考えた事は無い、生まれ落ちて付いている物が違うとか、男の子が好きとか、女の子が好きとか、何だかどうでも良いと考えて生きてきたから。

私も中学の時には、女子トークで好きな男の子の話をしていたりしていた、女の子ってそういう所が在って、私も言うからあなたも言って、みたいな感じで好きな人の話をするんだよね。

その時には、話題になっていた男子が好きだって言って於いた気がする、でも考えてみると、胸が締め付けられるほど好きとか、どうしても付き合いたいって思ったことは無かったかも。

結婚した時にも、好きで好きで堪らないとか感じたりはしなかった、でも結婚ってこんなもんなんだろうと考えて、納得させていたところはある。

次女がノンバイナリーの定義を話してくれたので、そうか自分の性と自認の間には深くて暗い溝が有るんだな、そんな認識がやっと出来てきた。

そんなこんなで割とLGBTQ2+の話は家で出る、当然法案についても話したりする。

LGBT理解増進法が提出された時に、子供と一緒に憤った、だってね差別は許されないを、わざわざ不当な差別が有ってはならないに変える必要ある?

無いでしょ~、有り得んわ。

性自認も性同一性に文言が変わった、自らの認識で性を決定できると解釈されれば、社会の混乱を招く懸念があると考えられたようだ。

でもね、性に対しての感性や認識は人によって違う、悪用や認識の問題は有っても、そこを問題視するのは解らない。

今日も娘とトイレに入る時、女性性の感性が有るからと言って、男性の体で入るのはどうなんだろうという話をしていたけど。

男子トイレ、女子トイレって分けるから問題なのであって、どっちも入れるトイレを作ったら良いだけなんだよね。

簡単にはいかなさそうだけど、文言を変えてまで差別の余地を残すのは、もう止めて欲しいと思ってるのは、私だけなのかな。

増進法って何だか問題多いよね。







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