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壊れたHDDから見つけた、12年前のカナダの写真

今から11年前、
私が写真の専門学校へ入るときに購入した
外付けHDDが、
そろそろやばそうだ。

MacBookのUSB差込口につなぐコードが
接続が悪くなってしまったからなのか、
少しの微妙な揺れで接続がはずれて、

外付けHDDのフォルダが
デスクトップから消えてしまう。

数年前から「そろそろ買い換えようかなー」と思ってはいたものの、
実際は、だましだまし使うことは出来ていたし、

なにより最近は、写真の保存先をクラウド上に変えていたので
特に急いで買い換える必要もないかなと思っていた。

けれど、そろそろ限界が近づいている予感がする。


とりあえず、外付けHDDを買うまでの間、
データが吹っ飛んでしまったら悲しいので、
一時的に外付けHDDのデータを、クラウドに移動させることにした。

高校生の頃から約5年間の懐かしい写真が、たくさん保存されている。

学生時代に携帯で撮ったクラスメイトとの写真、
幼なじみと、電車に乗って遠出した写真
埼玉から父と私で交代で運転しながら三重まで行った家族旅行の写真、
専門学生時代の、たくさん撮った作品とか。


ちょっぴり照れ臭くて、
甘酸っぱくて苦笑いしちゃいそうな思い出の写真は
そのままHDDに残してみたり。

なつかしいなーなつかしいなーと
慎重にデータを移していく。


そして、私が初めての海外へ行った、
カナダの思い出も、しっかり保存されていた。
もう、12年前になる、バンクーバーのホームステイ。


トロントまで、10万円が足りなかった


小学生の頃、夕方から始まる海外ドラマ
「フルハウス」「サブリナ」などが大好きで、
全ての海外ドラマには、
笑い声や、悲しみに同感してくれる声が入っているのだなと思っていた。


中学生ごろになると、
コメディドラマの他にもロマンス系の学園ドラマも見始めて、

私もいつかアメリカの学校に進学して、
バスケットボールを持ったスケボー少年に恋をして

廊下の大きなロッカーの前で、

「あの子かっこいいよね!」

なんてかんじで、
女友達とひそひそ話したりするのかなって、漠然と思っていた。
(いつの時代の学園話だよというツッコミは、なしでお願いします。)


だから、

私は日本の高校には進学しない!
アメリカの学校にいくんだ!

と中学の進路相談の時間で、担任の先生と母親に息巻いていたけれど、
そんな簡単に両親は「いいよ」なんて言ってくれるわけもなく、
結局、名前さえ書ければ入学できる高校へ進学した。


何を隠そう、私は3以上の成績をとったことがないからである。

ましてや、英検3級でさえ中学時代では合格することができず、
諦めずに受け続けた結果、受かったのは高校3年生になってからだった。


高校に進学した後も、
「どうしても海外で、学園ライフを送ってみたい!」
と勉強はそっちのけに、アルバイトに明け暮れていた。
もちろん、友達とプリクラを撮ったり、
他校の学園生に言ってわーきゃーしていた時もあったのだけれど。


ある日、担任から呼び出され、開口一番に

「お前、学年で一番だったぞ!」

と言われた時には、てっきり数学の点数がよかったのかなと
気持ちが一瞬上ついたのに、
まさか、遅刻回数が学年で一番多かっただなんて思っていなかった。


当然、両親からこっぴどく叱られてしまったので
掛け持ちしていたバイト(早朝の工場バイト)を辞めた。

時給800円から900円にアップしてくれた、
とあるチェーンの中華食堂で、必死に働いてお金を貯めた。

ちなみにそこでは専門学校へ進学しても続け、
サブリーダーから、店長代理まで昇格したのは、
私の中ではかなりの誇り高き過去の栄光だったりする。


高校3年生に進級する頃には、ある程度お金を貯めることができたので、
夏休みを利用して、ホームステイにいくことを決めた。
もちろん、短期でということは重々承知の上である。


オーストラリアやニュージーランドとも迷ったけれど、
カナダのトロントに行きたいと決めていたのは、
ただ単純にナイアガラの滝がみたいという理由だった。


そしていざ、母親と新宿の雑居ビルの中にある
ホームステイや留学を運営している会社の説明会へ行ってはじめて、

トロントへのホームステイは、
予算10万円が足りないことが判明し、
結局バンクーバーにいくことになったということである。



英語は話せなくても”want”でなんとかなる

カナダ9


初めての海外旅行が、
ひとりでいくことになるとは思ってもみなかったけれど

案外、ふつうに空港まではたどり着けたし(途中からバスだった)
なんとか生まれて初めての飛行機にも乗れて(人に聞きまっくりだった)
無事にカナダについた時には、
日本が恋しくてたまらなくなっていた。

やっぱり心細い・・・

「Don't be shy!!」

ホストマザーは、繰り返し私に言っていた気がする。
「へへっ」と恥ずかしがりながら、
たぶん曖昧に返事をしていたんだろうな。


早速、カナダ初日からホームシックにかかった私は、

翌日から始まった語学学校に思いっきり寝坊し、
さらにクラス分けテスト中に停電が起きて
学校から家までの地下鉄は終日運休になるし
(どうやって帰ったかは覚えていない)
散々なスタートを切った。

でも今思い返すと、
毎日が刺激的だったし、ピザは安かったし
毎日持たせてくれる”お弁当”はジップロックだったけど
毎日が楽しかった。


それにしても、若いってすごいなと思うのは、
語学学校2日目は午前中だけの授業だったので、
そのままふらっと、バンクーバーをひとりで観光もした。

言葉もわからないし、正直なんの建物なのかもわからないまま、
緑色の小さなCASIOのデジカメを片手に、バンクーバーを歩いた。

カナダ38 ウォーターフロント


カナダ35 ウォーターフロント


カナダ146


カナダ147


カナダ148


カナダ14


どこかに行きたい時、
何かをしたい時に思いつく英語は、
”want”しか知らなかったので(もうちょっと勉強して行けばよかった)
全ての言葉にとりあえずwantをつけてなんとかしてた。

今思うと、失礼な言葉だったり、
訳わからない文だったはずなのに、
現地の人は誰も嫌な顔をせずに理解してくれていた。
そして、かならずちゃんと、目的地につくことが出来たのは
現地の人の優しさなんだろうと思う。
奇跡や偶然だったのかもしれないけれど。


帰国と同時に届いた、10万円の請求書

カナダ39


2週間のホームステイはあっとゆうまで、
ホームシックはずっとついてまわったし、
とくに英語は話せるようにはならなかったけれど
18歳という年でとてもいい経験ができたんじゃないかな。
その後の人生に、何か変わったかは正直わからないけれど。


帰国し、空港からひとりで実家に帰ってきた時に両親を見て、
実家の良さも改めて実感することが出来た。

また、いつか
バンクーバーへいこう。

その時には、ちゃんと英語が話せる大人になっていよう。
そう心に誓った。



そんなことを思いながら、
帰国して普通に日本の夏休みを過ごしていたある日、

10万円の請求書が携帯会社から届いた。


海外式のプリペイドを使っていたはずの私の携帯電話は、
使い方を間違えていたらしい。


やっちまった。


母からの雷が落ちたことは、
言うまでもない。

カナダ62

夏のカナダは、
夜でもずっと明るかった。

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