今、世の中に足りていないと痛感した3つのもの
こんにちは、さちこです。
英会話講師、強み開発事業のAwesome!、共働き家族のキャリアと交流のコミュニティのこ・ねくすとをやっている、中高生の2児の母です。
はじめに
小学生からビジネスマンまで、多くの世代の様々な方と、それぞれの活動を通して関わることが多いのですが、共通して「これが足りていないなぁ」と感じることがあります。
なんとなく、そう思って過ごしていた中、高専生の息子がとある飲食店のバイトの面接に行ってきたけど、合否の連絡がなく、なんだか浮かない顔で、面接のときの話をしてくれました。
その話の中にも、まさにこの3つが抜け落ちていたことを痛感。
多くの人とかかわることを生業にしている身として、あらためて「これはどうにかしなくちゃいかんな」と感じ、すこしまとめてみることにしました。
その1「対話」
息子のバイト面接での話です。
面接時間にお店に着くと、「これ、書いておいて」と用紙を渡されたので、勤務希望曜日と時間を記入したとのこと。
書いてあるままに、希望曜日と時間帯を記入。ほどなくして、面接の方が来られたのですが、その用紙を見た時、表情が変わったとのことで、「これ、どういうこと?」と聞かれたそうです。
その時の息子の反応も、ちょっとそれはあかんでっていう、中途半端な返事をしたらしく、そこは注意をしたのですが、そもそも「これ、どういうこと?」が息子本人、なにを言いたかったのかわからなかったようでした。
ここからは、あくまでも聞いた話からの推測にはなるのですが、息子が勤務希望で出した時間帯は、いわゆる忙しくなる時間帯ではない時間帯。本人は純粋に、学校終わりの時間から考えて、その時間に働いて、帰って家で夕飯を食べることを思って書いたようです。でも、きっとお店側としては、ディナータイムで忙しい時間帯に入ってほしかったはず。でも、息子が書いた時間帯はそこではなかったので、表情も曇り、つい「これ、どういうこと?」という一言が出たのではないでしょうか。
お互いの背景をきちんと確認することをしないまま、いきなり「どういうこと?」と聞かれてしまっては、どういうことってどういうこと?となってしまいます。まして相手は16歳。どちらかが「ここの時間帯しか難しいのかな?こっちの時間帯は可能?」、「希望はここですが、この時間まででも働けます」と、相手に少しでも寄り添って声をかけることができたのであれば、着地点はもう少し違ったのではないか。
こういうことは、子ども達に英語を教えていても、ビジネスマン・ウーマンたちに強み開発のお話をしていても、家族や夫婦の会話であっても頻繁に目にします。半歩だけでも、お互いの言葉の背景に寄り添うことができると、自然と対話が生まれ、不必要な衝突や誤解は劇的に減少するはずです。
その2「問い」
先のバイトの話では、「これって、どういうこと?」と一見、問いを立てているように見えますが、これは少し残念な問い方かなと感じています。なぜなら、「どういうこと?」の背景はあくまでも自分目線からみて「どういうこと」なのかであって、相手が同じ目線であることが確認されていない時に使ってしまうと、今回のように、相手が求めている答えが返ってこないだけでなく、お互いの会話やゴールに到達し得ないからです。でも、多くの場合、自分の目線が一般的で、相手も同じに違いないと無意識で思ってしまっています。でも、自分と相手が同じ目線であることはまずないのです。
ここを頭に入れた上で、まずはお互いの目線を合わせるための「問い」や、相手の背景や思惑を引き出す「問い」をはじめに立てる必要がありますが、そこまで考えて問いを立てている人は、かなり限られているのではないでしょうか。
自分の仮説が正しいか確認するための「問い」や、相手の背景を引き出す「問い」ができれば完璧ですが、なかなか難しいものです。
せめて、自分が思い描いた仮説やどうしてほしいのかを「私は~」というアイ(I)メッセージで伝えることができると、一見相反する意見だと思っていた相手が、実は同じ意見だったということがわかることはたくさんあります。これは、アサーティブコミュニケーションのひとつなのですが、もっと多くの人がこのコミュニケーションを少し取り入れるだけで、もっとうまく進めていくことができると思っています。
その3「人を人として見ること」
私自身も、前職の会社員をしていた時、ついつい人を「リソース」の一つとして捉えてしまっていた時期がありました。ベクトルを逆にすると、自分自身も人として見られていないということ。今はそういう概念は消え、いかにその人の良さや強みが発揮することで、いいものを生み出すことができるかにフォーカスするようになりました。
とはいえ、自分自身はどんな風に見られたくないはずなのに、他人に対しては「数合わせの駒」のように見ている人が多いのかもしれません。ありがたいことに、私のクライアントさんの中でこんな風に、部下やメンバーを見ている人は一人もいないことが本当に素晴らしく有難く思っています。
今回のバイトの話からも、きっとバイトの存在は「駒」としてしか見てもらっていなかったがために、「対話」や「問い」などもなく、お互いにとって収穫のないものになってしまったのかなと感じました。
もちろん、バイトに期待されていることは、忙しい時間帯などをカバーするための「駒」なのでしょうが、相手を「人」として見ていれば、結論は変わっていたようにも思います。
同じことは我が息子にも言えるでしょう。単なる数あるバイト先としてしか見ていなかったことが、彼の態度にも表れていたと思います。相手もわざわざ時間を割いて面接してくれているということを意識して、「人」と「人」として対応することの大切さを、私も親として伝えていきたいと思いました。
さいごに
今回のこの3つは、私自身にとっても自戒を込めての3つとなりました。
特に現在、講師として仕事をさせていただいていることもあり、この3つの部分は本当に重要な部分となってきます。相手が、子どもでも大人でも、どんな時でも相手と向き合い、お互いの理解を深めることは、自分にとっても相手にとっても非常に大切で、逆にこれが欠けてしまうと、いいモノも作ることはできないし、いいサービスは提供できないなと実感しています。
私にできることはわずかですが、それでも私ができるところから、この3つをしっかり意識して、人と関わりいいモノを届けていきたいなと思います。
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