霧を雲のかたちにするような、わたし達から生まれたメッセージ
noteでは、なにかメッセージ性のある記事を書こう。そう思っています。思っている事と実際がマッチしているかどうかはベツとして、そんなふうに考えています。
わたしはどちらかというと、終始とりとめもない思考が浮かんだり、消えたりするタイプ。
いいかえれば、つかみどころがない霧のような思考。そういったものが私の中の大半を占めているのですが、それら日常をつらつら書く場として、もうひとつ、ブログをもっています。
そうして、自分のなかの大量の霧のような感情を、いちおう「書いてこの世界に送り出す」ということで、それなりにまとまりのある体裁。つまり霧を雲のような形にまで形成して、記事としてのっけています。
そうすることで、わたしも何となく自分のキモチの整理になるので、この霧から雲へ、のライティングという掃き出し作業は、ウマくできると解放されたような気分になって、とても心地いいです。
ですが、ウマくいかない時も多いのが実際です。
それは私の中の「霧」を、形のある文章という「雲」にする時に、人工調味料を入れ過ぎてしまったような時です。
かっこよすぎる体裁になる調味料は、最近ずいぶんなくなってきた気がします。あとは身の丈を超えた「よいこや優秀」という一見よさげな人工調味料にはもっとも注意しなければなりません!
これが入り込むと、一気に不自然になり、「素材の味」が消え失せて、素材がみえにくい「人工」に早変わりしてしまうんです。
そうそう。そういった記事を書いた後は、何気に後味がワルくなってしまう。
まずは、自分が心地よくなるメッセージや記事を発信したい。
そのためには私の中で生じた霧を、自然体な雲にしよう。
わたしのメッセージの雲は、その時々によって、シンプルだったり、スタイリッシュだったり、やさしかったり、面白おかしかったり、うっかりしてお間抜けだったり、実は負けん気が強かったりするかもしれない。
そもそも自分から生まれ出るものだから、自分そのものに近いという。
だけどそれはきっと、縁あって読む方にとっても、心地よく、よきものが伝わっていくメッセージとなる。そんな風に思っています。