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神社参拝したら、大切にしたいことの本質に気づいた話。

どうも、さあちゃんです。

お久しぶりです!

いつの間にか10月になって、今年も残り3か月ですね~。

だからって特に、何もないのですが。笑

2021年の残りについては、別記事で書いている途中ですので、また、更新します。


noteを更新していなかった数ヶ月間、何をしていたかと言いますと、勉強のために月一で京都と大阪に通っておりました。

んで、これを書いている今も京都からの帰り道なのですが、京都というと、お寺とか神社とかたくさんありますよね。

わたくし、京都に行った際には、必ず訪れる神社がありまして。

昨日もその神社参拝したのですが、そこで気づいたことがあったので、今日は、それについて書いていきます。


京都府八幡市というところに、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)という日本3大八幡の1つの神社があります。

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八幡(やわた)という地名は、この八幡宮に由来するとか。

この石清水八幡宮は、建物が立派で派手などの理由から国宝に指定されています。

今の建物は、徳川家光の時代に再建されたものだそうで、その前は豊臣秀吉、そして織田信長が再建したそうです。


この石清水八幡宮には、織田信長の時代から残っているものがあって、それが「雨どい」です。

八幡大社の社殿の造りは、「八幡造り」と言って三角屋根が前後に2つ、横から見るとちょうどアルファベットのMの形になっています。

この谷のところに雨水が溜まるので、それを社殿の外に流すために、その谷の下のところに雨どいが通っています。

名称未設定のアートワーク (1)

もともとは、木造製だったそうなのですが、織田信長が再建したときに、金と銅の金銅製にしたんだそうです。

それが、豊臣秀吉、徳川家光の時代を経て、現在まで残されています。


秀吉と家光は、織田信長の時代に作られた雨どいの出来が”本当によいもの”だったから壊さずに、再建するときもそれを使ったのだそうです。

新時代を作った秀吉と家光ですが、”古くてもよいものは大切にしよう”という考えがうかがえます。


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ここからは、今の話を聞いてわたしが考えたことです。

「古くてもよいものは大切にしよう」という考えこそが、秀吉と家光が現代のわたしたちに伝えたかったメッセージだったのかなと思いました。


今の時代って「流行すればいい」「バズればいい」「安けりゃいい」といったような、利益ばかりを追求したような、そんな世の中になっているような感じがしています。

もちろん、それらが悪いとは全く思いませんし、わたくしの現状、恥ずかしながら金銭的にカツカツなので、スーパーに買い物に行くときは、基本、値引きシールの貼ってあるものしか買いませんし(笑)


でも、想いをもってモノづくりをしている人もいるし、世の中をよくしたいと思って活動している人たちもいるわけで。


そういった人たちの想いが淘汰されるようではあってはいけないし、想いがなくなって、どんどん冷たい世の中になっていくのは寂しいなと感じます。


「不易流行」という言葉あるように、いつまでも変化しない本質的なものがあるからこそ、変化を重ねることで新しいものを生み出すことができるんじゃないかなと。


秀吉や家光は、新しい時代を築くとともに、そんな想いを現代のわたしたちに伝えたかったんじゃないかなと思いました。


***

じゃあ、わたしが大切にした本質とは何か。

今はやっぱり、「かくこと」かな。

noteのように文章を書くこともそうだし、グラレコを描くこともそうだし、最近だと漫画も描いています。


人前で話すことが苦手でも、”かくこと”だったらできる。

それは決して、”かくこと”に逃げているというわけではなくて、”かく”からこそ人と繋がることができる。

”かくこと”で自分はここにいてもいいんだと思うことができて、それで安心できるのであれば、

”かいて居場所を作る人”

今は、そんな理想を掲げて生きていきたいなと思っています。




そんなわけで、グラレコの講座や可視化コーチングも近々再開したいなと考えつつ、いろいろ手が回っていない(;^ω^)

とりあえず、年末まで駆け抜ける3か月間になりそうな予感がしている近況でした♪♪







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