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#2000字のドラマ『おじいちゃんが天国へ行くので、ダイエット始めます』

このたび、わたくし本格的にダイエットをはじめます。
理由は単純。
おじいちゃんが天国に行くことになったので。

はこの年まで、ありがたいことに身近な人の死にぶちあたったことがほぼない。
ほぼ、というのは、実際にはひいおばあちゃんのお葬式に出たことはあるのだけれど、かなりの年だったし、老衰で、良くここまで生きたな、というのが当時中学生だった私の正直な思いだった。
というわけで、わたくし恥ずかしながら(なのかはわからないが)礼服というものを持っていない。
持っていないものは買わなければいけないということで、2週間後くらいには、「青木」だか「あおやま」だか「はるやま」だかに行って試着せねばならないということだ。
このコロナ禍で少なく見積もっても10キロ肥えた私には、辛く険しい試練。

おじいちゃん、もう少し待って。
まだ、死なないで。
不純な動機過ぎて祟られるかもしれない、それでも。
どうか、生きて。
どれだけ切に願ったことか。

でも、おじいちゃんは死にます。

リバリの農家だったおじいちゃんに、認知症の症状が出始めたのがもう10数年前。
それでもおばあちゃんと手を取り合って、娘である私の母の力も借りて、野菜を作り続けていたおじいちゃんが、脳梗塞で倒れたのが6、7年前。
まだ、私が東京で一人暮らしをしていた時だった。
左半身に麻痺が残って、おばあちゃん一人では面倒が見られないと施設に入ったおじいちゃん。
それから、あれよあれよと弱っていった。農家の仕事で鍛え上げた体はガリガリにやせ細り、炎天下でバリバリに焼けていた浅黒い肌は、真っ白で、ある意味うらやましいほどきめが細やかになっいた。
母が子供のころは仕事一筋で我が子にすら関心がなかったらしいおじいちゃん。
でも、孫の私たちにはいつだって笑顔で、優しくて、たくましかったおじいちゃん。
そんなおじいちゃんの顔からは一切の表情がなくなっていた。
もはや私のことを覚えていないおじいちゃん。
母のことも、妻であるおばあちゃんのことも曖昧で。
おばあちゃんはそれが嫌で、何度も意地悪みたいに、「私は誰?」って聞いていた。
おじいちゃんは頑なに答えない。
でもその顔は照れ臭そうで、目じりには皺が浮かんでいて、もしかして覚えてるけど気恥ずかしくて言えないだけではないのかな、と私は勝手に思っていた。
おばあちゃんが持ってきたカロリーゼロの水ようかんを夢中になって頬張るおじいちゃん。
途中で必ず、おばあちゃんにも食べさせようとするおじいちゃん。
おばあちゃんが「わたしはいいの」っていうと、「そうか」って言ってまたがつがつ食べ始める。
そんな日々が何年か続いて、世の中にコロナの脅威が蔓延した。
会えなかった2年おじいちゃんがどう過ごしていたのかは、知らない。
でも体は確実に弱っていっていて、そして先日おじいちゃんが市内の大きい病院に入院した。
元々は熱が38度出て病院に行って、詳しく検査したら肺が真っ白になっていたらしい。
もう、自分で物を食べることもできない状態。
おばあちゃんと、母たち三姉妹は病院に決断を迫られた。
鼻からチューブで栄養を入れるか、点滴で水分を体に送るか。
鼻からチューブは延命できるが、本人が辛いらしい。
点滴で水分は苦しくはないが、長くはもたない。もって1か月程度らしい。
家族はおじいちゃんが苦しくないほうを選択した。
だから、おじいちゃんは1か月後には天国に行く。
私はそのために痩せなければならない。

日はおじいちゃんが、市内の大きい病院から、小さい病院に移る日だ。
入院している間、というよりコロナが蔓延してから一度も、おばあちゃんとおじいちゃんは会っていない。
だから今日、母たち三姉妹によって作戦が決行される。
病院から病院へ移る、おじいちゃんが外界に出てこられるそのわずかの間に、おじいちゃんとおばあちゃんを会せようというのだ。
病院側は立場上、できれば誰にも来てほしくない、全部自分たちでやりますから、というオーラをガンガンに出していたらしいが母たちが無理を押し通した。
一度、病院内に入ってしまったもう二度と会うことは叶わないだろうと、誰もが覚悟をしていた。
本当は、親戚一同で駆けつけたい気持ちでいっぱいだった。
でも、それは叶わないから、せめて、おばあちゃんだけでも。それがみんなの願い。

2021年9月10日、おばあちゃんがおじいちゃんに会うのは今日が最後です。

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