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東京に行くよ、と娘は言った


遊びに出掛けた広い公園で、
「帰るよ」と娘に声をかける。

娘は、
「嫌だ!私は一人でここに泊まる!」と、
急に、道なき道を走り出した。

木々の間、雑草だらけの道を、汗だくで走る。

彼女なりの、精一杯の抵抗。


✴︎
もう十年以上前になるが、
上京する前後の話をしたい。


就職活動当初、
私はメディア関係の職種を片っ端から受けていた。

本が好きだから出版社、
映画が好きだから配給会社など。
今考えると安直だが、
大抵の人は就活のかけ出しなんて、そんなものじゃないだろうか。

メディア業界の就活は、早い。
3年生の秋ごろから始めていたように思う。


「就活だから」と、
母から新幹線代をもらって、東京へ通った。

どれくらい行き来したか、定かではないが、
10往復したとして、合計の新幹線代が…
学生にとって恐ろしい大金だ。


両親に、
どんな会社を受けているとか、詳しいことは何も言わなかった。
干渉されるのが、とにかく嫌だった。
というより、「受かったよ」と格好つけたかったのだと思う。

決まってから、事後報告でいいや。
そう思っていた。

ひどい話だ。
今の私が子供に同じことをされたら、
大金を盾に、とやかく言ってしまいそうだけれど、
深く立ち入らなかった両親は、
きちんと成熟した大人だったなと思う。


それから、
メディア関係の会社はことごとくご縁がなくて、
創作活動は向いていないのかな、と思いこんでしまった。
その頃出会った、某システム会社の人事部と意気投合。

私の天職はむしろこっちだった!と確信をして、
一番最初に私に内定をくれた、そのシステム会社に就職した。




会社は、大阪にも拠点があり、
採用試験は大阪で受けていた。

それでも、
システム会社はB to Bの仕事。
会社の中枢が集まる、東京本社で働く人数のほうがずっと多いから、
大阪採用から東京へ行く人が必要らしい。

内定者研修のアンケートで、
私は迷わず、
「東京希望」に丸をつけた。
希望者はほぼいない様子だったから、
この紙に丸をつけた時点で、東京行きはおよそ確定だった。

23年間育った関西を出ることを、そんな風に決めた。

これまた、両親になんの相談もなく。



東京で採用試験を受けまくっていた私が、
この会社の内定を受けて、
両親はほっとしていたと思う。
大阪に支社のある会社だと、伝えていたから。

"娘はまだ、そばにいるんだ。
 きっと嫁入りまでは、一緒に住むんだろう"
と淡く考えていただろう。


東京へ行くと、
言わなきゃいけないことは分かっていた。

友人には苦も無く言えたのに、
両親にだけはなかなか言えない。

がっかりするのが、目に見えていた。

もしかしたら、反対されるかもしれない。
反対されても行く、と思う反面、
反対されたらどうしよう、と怖い。



出来るだけ何気なく、
両親と目を合わせずに私は伝えた。

「私、東京に行くよ。会社、東京勤務希望で、出したから」

あの時感じた、
両親の息を飲む様子が忘れられない。


沈黙の後、
父は、「なんで」と聞いた。
私は、「この家を出たい」と言った。
父は、「この家が嫌か」と聞いた。
私は、「そういう訳じゃないけど。ずっとここにいるのは嫌やねん」
と答えた。



両親はそれ以上、何も聞かなかった。

きっと、関西で生まれ育って、
関西で働いて、結婚して、子供が育って、
それが当たり前だった両親にとって、
娘の私が進む道は、道なき道に見えただろう。

本当は、もっと必死で止めたかったのかもしれない。


けれど、
正式に東京勤務の内示が出て、
東京へ行く準備を、両親は黙々と手伝ってくれた。

私はそれに甘えた。
主張だけは一丁前のくせに、都合よく子供だったな、と振り返って思う。



東京での引っ越しの手伝いには、母が来てくれた。

1kの狭い新居に3日ほど泊まり、
荷解きをして、
見慣れぬ土地で、生活雑貨を買い集めた。


久しぶりに、
一緒に買い物をして、
簡単な料理を教えてもらって、
すぐ隣で寝た。


そんな風に過ごして、母が帰ったあとの新居は、
実家の自分の部屋よりも狭いはずなのに、
ものすごく広く感じた。

私は、寂しさを紛らわすために、背中を丸めて眠った。


✴︎
結婚式のサプライズでもらった両親からの手紙に、
私が上京した時のことを、二人はこう書いていた。

「南天が出ていった空っぽの部屋を見て、
 不思議で、寂しかった。」

両親も、そんな風に感じていたのかと、
母が帰った後の自分の姿と重なって、
涙が止まらなかった。



✴︎
今は諦めて、
公園から一緒に帰ってくれる娘も、
いつかきっとそうなるのだろう。

私の娘だから。

応援したいと、今は、頭で思っている。
実際なったら分からない、が。

後は、
どこに行っても、何をしていても、
ふと思い出して、帰りたいと思える母でありたい。

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