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4%のあなたへ:妻の姓を名乗るたび、あなたは何を思うのか

タカラジェンヌのような名前になった夫

結婚して2年が経った。96%のカップルが夫の姓を選ぶこの国で、我々は4%の陣営を選択し、夫はタカラジェンヌにいても違和感のない、華麗なる氏名に変身した。二度見するような爽やかな字面だ。会社ではワーキングネームとして旧姓を使っているから、社会生活を送る上で、彼のアイデンティティは変わらず維持されているように見える。

見えるけども。

公的書類の封をあけるとき、町内会で妻の姓で呼ばれるとき、歯医者の予約をするときに、あなたは何を思うのか。二人で話し合って決めたはずなのに、いまだにふとした瞬間、夫に苗字を”名乗らせてしまった”と、罪悪感に負けそうになる私は、いつになったらこの感情を昇華させられるのだろうか。圧倒的多数派である96%の夫たちは、妻のそういう、姓をめぐる葛藤に思いを馳せたりするのだろうか。

夫、4%の男。私の姓を名乗るたび、あなたは何を思うのか。ちなみに私はこんなことを思っている。いつも話していることと変わらないけど、ちょっとだけ聞いてほしい。

中学時代に思い描いていた未来、来ず

私の苗字は全国に100世帯もいない。

いまだに身内以外で、同じ苗字に会ったことがない。そのため中学生の頃には、苗字が珍しいことを自覚した。「かっこいい苗字やねぇ」と言われるたびに謙遜しつつも誇りに思い、一方で「このド田舎で悪いことしたら一瞬で特定や、品行方正に生きな」と襟を正したものである。

そして、苗字の字面が持つ、やや爽やかめのイメージに負けないような振る舞いを心掛けた。何じゃそりゃと言われそうだが、そのうち形骸的だった振る舞いが根を張り幹となり、自分の軸となった。私にとって苗字とは、自分という平凡な液体を収納し、苗字から出力されたイメージのラベルを貼り付けて、社会に出荷してくれる箱のようなものだ。苗字なくして今の自分はないと本気で思っている。

一方、この国ではほとんどの女性が、夫の姓に変えることも分かっていた。苗字変えたくない、だなんて世間から「わきまえない女」だと言われるかも。それに「奥さんの苗字になるの?それって婿養子ってこと?」と、未来の夫が好奇の目に晒されるかもしれない。苗字を取り巻くあれこれを想像するたび、15歳なりに頭を悩ませた。確実に、他にやることがあったと思うけど。

同時に、
「自分が結婚する頃には夫婦別姓とやらが法律で認められてるかもしれんしな~、それやと苗字変えなくていいらしいしなぁ」

と、まだ見ぬ未来に淡い期待を抱いてもいた。

それから13年後。期待した未来はやって来ず、法律婚を望む上では依然としてどちらかの苗字を選ぶ必要があった。15歳の頃に頭を悩ませていたモヤモヤたちがふたたび顔を出す。仮に苗字を変えずにいられたとして、自分に向けられる目を想像すると怖くなった。

ここで誤算だったのが、夫(になる予定の男)は「世間」ではなく、私という個体の意思をめちゃくちゃ尊重してくれる人間だったということ。

だからこそ結婚を見据えたあの日、伝えてみた。

こだわりないし、僕が変えてもいいと思ってるよ

2021年、正月。降りしきる雪の中、琵琶湖が見える小さなカフェで話した。コロナ禍かつ遠距離で付き合っていた私たちは、すでに結婚を見据えてはいたが思うように会えず、対面で話せる数少ない機会だった。

「できれば、変えたくないと思ってるんよなぁ」

できるだけ自然に、雑談の延長線上からはみださないようなテンションを意識したつもりだったが、空回っていた気もする。

彼からの回答はこうだ。

「僕は自分の苗字にこだわりがないし、変えてもいいよ」

「結婚しても、お互い仕事を続ける。家事も二人でやる。そういう、対等な二人が話し合って、片方が苗字にこだわりなくて、片方は変えたくないって言ってる。やったら、変えたくない方に合わせるってことでいいやん

え。

苗字にこだわりがない男性が存在するのかと、衝撃を受けた。彼の苗字は確かに人口構成比で言うと多い方ではあるが、この国で男性として生まれて、そういう風に思ってくれる人がいることに驚いた。中学時代の自分が聞いたら何と言うだろう。

かくして私と夫の間では「妻の姓を名乗ること」が了解され、残る課題は親族への周知のみとなった。しかし身構えていたこちらとは対照的に、夫の両親は「二人で決めたことに反対する理由はない」と、あたたかく背中を押してくれた。あとで分かったことだが、義父は結婚の際、妻(義母)に対し、あなたの苗字にしてもいいけど、どうしようか?と確認したという。親子に通ずる何かが見えた瞬間だった。

住民票、取り消し線が入った名前

婚姻届の「結婚後の姓」の項目で「妻の姓」にチェックを入れ、役所が閉まるギリギリに滑り込み、ぎこちない笑顔で写真を撮ってもらって、私たちは晴れて夫婦となった。なかなか役所には来られないので、夫は住民票を取りに行った。免許更新のためである。

夫の住民票には、つい先程まで確かに存在したフルネームに、真っ直ぐ取り消し線が入っていた。その下に私の苗字と、夫の名前。

あれを見たときのショックは相当だった。私の苗字になってくれて嬉しいだなんて微塵も思えなかった。96%の夫たちも、こんな気持ちになったりするのか?

取り返しのつかないことをした。
そんな罪悪感のようなものに襲われ、しばらく涙が止まらなかった。
苗字が変わること。自分は免れたけど、代わりに配偶者がそれを被っている。
望んでいた結果のはずが、思った以上に後味がよくない。

そこから1年ちょっと。既に手続きは済んだというのに、ことあるごとに「ほんまにこれでよかったんかな」と問う、非常に面倒な妻をやめられなかった。そのたびに夫は「またそんなこと言うて」と困ったように笑い、宥めた。「二人で決めたことやからね」と繰り返しながら。あなたが一人で決めたんじゃない、その意思決定に僕も参加している、だからあなたが全て背負う必要はない。そんなニュアンスで。

二人で決めたことなのに、どうしてこんなに申し訳ないんだろう。夫に申し訳ない?それって、夫の気持ちを無視してないか?
そう気づいてからというもの、罪悪感の襲来時には「二人で決めてんからええねん」と言い聞かせ、何とか乗り越えられるようになった。

旧姓に対して、いま思うこと

夫と二人、王将で豪遊した日。金曜日の夜ともなると待ちの列ができていて、ウェイティングボードに名前を書かねばならなかった。いつも通り書きかけて、やめる。
28年間、苦楽を共にしたであろう夫の旧姓を書くと、「ちょっと~、そんなんええのよ~!笑」と返ってきた。私はあなたの旧姓を、これから先もずっと忘れない。

なんてことを思っていた矢先、

「最近、旧姓の頃の名前を見ても、100%自分の名前やと思えなくなってきた。今の名前に馴染み始めてるんやと思う」
「二刀流っていうか。武器を手に入れた感じやな」

そんなことを言う夫と過ごす日々は底抜けに面白く、幸せである。

あの選択が正解だったかどうか答えがわかるまで、この人との人生を全うしよう。



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